城跡で見かけ碑である。
土佐は、高取藩植村氏二万五千石に城下町である。さぞかし歌のように山全体が白く見えるくらい山城として立派な様相をしていたのだろう。
「土佐の石川さんで診てもろたら、直に治るで」子供の頃、できものが皮膚に出来たらこの言葉をよく耳にした。
四国の病院まで行くのだろうかと思ったことがあった。
今高取の城下町を歩いて、この医院のことだったのだと、思わずNさんと顔を見合わせた。門構えからこの医院の歴史を思う。
武家屋敷の長屋門も復元されている。
土佐の名の由来は、古代に「土佐の国」から移り来て住み着いた土地といわれている。(見学資料)
観光案内所、夢創館の裏手から中を見ると、懐かしい竈があった。
「へっついさん」と呼んでいたが、今PCで変換すると、竈と出てきたので驚いた。
ここでは、今も薪を入れて使うことがあると、居合わせた人が話してくれた。
城下町としての町筋をを、綺麗に復元し大事にしている町だ。
近郊に知られていた・・・
今では、私の町にも皮膚科がありますが、やはりそこまで行く人いるのかなぁとふと今思いました。
何度も通いました。
ただ、待たされただけの印象です。
遠いお医者さんは、
噂は噂を呼ぶようです・・・・。
案内の先生もそのように言っておられました。
壺阪寺からの登りにしてくれていたので、どうにか、心臓が持ちました。
それにしても、EFEFさん、とってもよく調べてくださるので、張り合いがあります。有り難うございました。
その上、地図を見る限り、この等高線の密な事がどうでしょうか。anikobeさんはがこれを登られたという事は、かなりタフですね。
写真を拝見する限り、登られたのは、土佐から子島とか、宗泉寺の方からの道だったのでしょうか。
最終の傾斜の坂道は、心臓が飛び出てきそうな感じですね。
壷坂寺の直ぐ奥という様なものじゃあないですね。お疲れ様でした。お陰で楽しい情報を甘受する事が出来ました。有難うございました。
へっついさんの中でネコがよく寝ていました。毛に焦げ目がついている時もありましたよ。灰神楽のネコでした。
植村氏の代で完全な山城としての大きさ、凄いですね。
出かけていましたので今頃になってしまいました。
その頃からpoloさんは、きちんと上手に、へっついさんの、火のお守りが出来る少年だったのですね。
お母さんは安心してお任せになった様子が目に浮かびます。
吹き零れないようにってなかなか。タイミングが難しいのですよね。
壮大な山城だったのですね。
anikobeさんのわくわくがこっちにまできこえてきそう。
昔のお城の階段が急で1段が高い、昔の人の方が背が低いはずなのに、鎧をつけて上り下りもしたでしょうにといつも思います。
資料を見ますと、三層の天守、小天守、27の櫓33の門、土塀2900m石垣3600m、橋9と書いていますので、それらが、白壁だと、遠くから。雪のように見えたのだろうなぁと思ったのです。想像するのが面白いです。
オクドさん、聞いたことがあります。
懐かしい言葉です。
薪で炊いたご飯美味しいよね。
石川医院の立派な佇まい「直に治る」が納得です時代劇の療養所のようです。
ヘッツイさんのご飯は美味しいですね。奈良町で食べましたよ。大阪ではオクドさんと呼んでました