「栄山寺の秋」とタイトルを付けて、紅葉の栄山寺をアップし始めた頃は、立冬とはいえ、秋の名残が
寺域にいっぱいでした。
それがなんと、ここ2~3日はすっかり冬の寒さになってしまいました。
奥吉野は雲の中ですが、あの雲が消えたら、ひょっとしたら冠雪の奥吉野の山並みが見られるかもしれません。
栄山寺も今日でお終いにします。
お寺を出て、音無川(吉野川)に沿って少し歩いてみました。
山門は締め切ったままです。
こんなカーブが川に沿って続いています。
音無川に架かる赤い橋と、流れを感じさせない深い淵のような川面の色は、
多分栄山寺創建当時もこんな状態だったのでしょう。
対岸は、落葉樹がなくて、深い緑の木々が茂っていて、栄山寺側の紅葉と
対比してどちらも綺麗です。
この岩から岩へと泳いだのは、中学生の頃でした。
学校にプールが無くて、夏休みの水泳部の合宿練習は、ここでしたのも、遠い遠い思い出です。
中学生のアネコベさんが目に見えるようです、
こんなに見事な景色が近くにあるのに
みなさんの話には、乗りませんね。
私の母も小学生の頃、川上から流れてきた
いかだに乗って、大川橋まで、流れながら
泳いでいったことを、よく話しました。
子供ならこそですね。
それは85年以上昔のことです。
大阪の金持ちの親類を呼んで、鉦や太鼓、そして三味線の鳴り物入りで川下りの船を出した話は、祖父の自慢話の中に
いつも出てきました。
こうして変らない流れの中に、多くの歴史があります。
もう昔の話を聞くことも、話すことも相手もいなくなった寂しさ
今日はこれをみせてもらい、色んな話を思い出せました。
有難うございます。
水中の温度が流れがあるために、低いのです。
泳いでいるうちに、足がつってこむら返りが起こって、先生にロープを投げてもらったことが1度だけあって、それが強烈な思い出になっています。
栄山寺へ行った日に、他府県からの車があって、何組かの人たちに出会いました。
この町の人よりも、よその町の人たちに、歴史を紐といて訪れる方があるのですね。
お母様のいかだ下り、懐かしいお話です。川上の吉野の山で切られた材木がいかだに組んでこの川を下って二見の貯木場へ運んでいた頃のことですね。
いかだに乗ったのは大川橋の下で、おじさんに見つかって叱られても叱られても、いかだのりを子供たちはしたものでした。
豪華な川下りのお話は、初めて聞きました。
川はその頃に川筋の人たちにとって、宝物だったのですね。