御手洗渓谷の傍の駐車場に車を置いた。
309号線がトンネルの手前で大きくカーブしている。トンネルの向こうに何があるのか歩いていってみようと中に入って驚いた。
入り口は普通のトンネルと変わりがない。しかし中は横も天井もまるで、鑿で削り取りながら彫り進めたように思える。(掘り進めたというようには見えない。)
おそらく大きな一枚岩がデンとここにあって、その向こうに道路をつけるのを阻んだことだろう。しっかりした岩なので岩剥きだしのままでもトンネルとしての役目を果たすことが出来たに違いない。
トンネルを通りながらの想像であって、これについては、確かめてない。
このトンネルから何の脈絡もなしに3つのトンネルが頭を過ぎった。
一つはずっと昔、夫の運転で通った上高地への釜トンネル。舗装もなくでこぼこの地道の中ほどには水の流れさえあった。
次は、伊豆の踊り子のトンネルの場面。こんな岩壁でないのになぜ思い出したのだろう。最後は、カンヌで、新人監督賞を取った河瀬直美さんの「萌の朱雀」のシーン。映画の中にトンネルのシーンがあったのかさえ記憶はないのに。
このトンネルから、私のイメージの世界が広がるのは、手彫りのようなトンネルのせいであろう。
人の手の温もりか、息づかいのしそうな不思議なトンネルだった。
ここのトンネルは、今時珍しい部類に入るのではありませんか。309号線が貫通した時には、整備されるのでしょうね。
そんな意味では、ここは秘境に違いありません。サスペンスドラマでも出てくることだし、ますます人が増す事でしょう。
天川からの帰途に、道路よりも高いところを、鉄道の線路があるような、高架のあるところがありました。鉄道が通っているはずはないし、もしかしたら、廃線になって、専用バスが汽車の代わりに走っていると思ったら、やっぱりそうでしたか。
五条から南紀の海岸までの路線計画があったとは、何と壮大な計画でしょうか。戦前の国土計画は、採算よりも、国力増強だったのかも知れませんね。
板門店でなく、DMZを見学ツアーにしました。
北朝鮮との国境までトロッコに乗り
長いトンネルを下って行く訳です。
その突き当たりは壁一つで遮られております。
民族分断!考えさせられました。
それに比べ我が奈良県。
新しく掘られたトンネルには全て奈良県
知事のお名前が・・・・・。
貴方が造った訳でもないのに。
行ってみたい所ですが車が無ければとても無理のようですネ。こんな時、車を運転できないのが残念です。
御写真のトンネルは削り取られたままに剥き出しの岩が圧倒的な存在感ですね。
御歌の赤灯台躑躅はトンネルの向うにあるイメージとして読み、大変印象的でした。
ところで当方のblogよりこちらをリンクさせて頂きました。事後承諾で失礼かとは存じましたが…。ご諒解頂けましたら幸いに存じます。
伊豆の天城トンネル、すれ違えなかったような気がしますが、対向車がトンネルの向こうで待っていてくれたような。
福井の南条近くで細いトンネルが結構長かった記憶があります。
手彫りのトンネルというと昔国語の教科書に載っていた青洞門というのを思い出します。
FEFEさんへ
「萌の朱雀」について、お調べくださったようで、幻の「五新鉄道」のトンネルがふと頭に浮かんだのです。
mimi_papaさんへ
トンネルの上に書いているトンネル名は、いつも興味深く見ていますが、作った人の名、全く気がつかなったですね。
国道であっても、知事名が書いてあるのでしょうかしら・・・
poloさんへ
トンネルに纏わる思い出話。それ、よく分かりますよ。
食糧難の時、兵隊さんの置き土産。鮭缶の美味しさ。
河内長野の天見での、兵隊さんのトンネルですね。
tadaさんへ
バスが出ていますが、時間的には大変ですね。いつかブログに書いたのですが、ヒッチハイクの、カナダの青年を洞川まで乗せてあげたことがあります。もう少しバスの便がよければいいのですがね。
水垣さんへ
ご丁寧なリンクの件、勿論ありがたく思っております。
今後とも宜しくお願いいたします。
短歌につきましては、一番呟きに近いものです。お気づきの事など、教えていただければ、嬉しく存じます。
かとさんへ
夫が大の車好きだったもので、生前は方々をドライブしました。
それらが、今は宝物の一つです。
昔、黒部に行きたくなって、夏季の休みに行った事を思い出しました。
宇奈月で泊り、朝一番のトロッコ列車に乗り、引き返してきて、称名滝を見て、ケーブルとバスで立山の雄山に接近しました。
山を降りて、その日は「亀谷温泉」というところで宿泊でした。
その翌日、亀谷温泉から有峰湖を抜けたときのことでした。
有峰ダムの建設の為の林道が続いていました。谷側は深い谷底に続き、山側の石垣はすでにコケで覆われていました。
崖を切り開いた道路は、トンネルだらけでした。それが、黒部鉄道のトンネルと同じ構造でした。
雪が降っても崩れないようにしっかりとした石垣を積み、どうしても迂回できない崖はトンネルを穿ち、しかもトンネルの中には明り取りの為に、10-20m位ごとに50cm四方の窓が開いていました。
時々、山の崖でもないのに、トンネルになっている所もありました。
これは明らかに、雪崩を避けるトンネルだと思いました。黒部鉄道がそうでした。
行けども行けども先が見えてきません。地図には道があるので、それを信じて前進あるのみでした。地図の上では全長12km位あります。体感15kmでしょうか。
くねくねと1車線の地道を走りますが、その間、100mから10m位までのトンネルが連続していました。
そして、何と、トンネルの入り口には、タブレットが置いてあったのでした。あの鉄道の単線区間に使う物です。
それを持ってトンネルに入り、トンネルの向こうに置いていくと書いてありました。
それを持って、暗いトンネルを、のろのろ走り、出口でタブレットを所定の場所に置きます。
こんなトンネル見たことない。
一台車が通ると、その後はどうなっていたのか、未だもって謎ですが、単線の鉄道のような感じがして、楽しかった。
これらのトンネルは岩盤が剥き出しの巨大な穴でした。
ダム建設の為とは言え、こんな道路を、よくもまあ付けたものだと、先人の力に感動したものでした。S62.8.7出発の旅でした。
今はどう変っているのでしょうか。
その後、ドライブは、神岡鉄道の走る谷に出て、宮川村を、延々と走り、更に東へ天生峠を越えて、白川郷、平瀬温泉で湯につかった時は、既に日が暮れていました。
南へ進み、郡上八幡まで来た所、土砂崩れで通行止め、引き返して九頭竜湖から福井に出て、高速道路の敦賀ICから舞鶴に出て、福知山から帰って来ました。
早朝6時頃に出て、夜中の2時頃の帰宅でした。若かったんです。
もうこんな元気はありません。
どうも長々と、思い出三昧にお付き合いくださり有難うございました。
anikobeさん、ごめんなさいね。気侭に紙面を使ってしまって。
トンネルの中が、1台ずつしか通れないからでしょうか。今ならさしづめ、一方通行の赤、青信号で後何分とかの表示のあるやり方なのでしょうが、タブレットを車に載せていくなんて初めてですね。そしたら、トンネルの中には1台しか居なくて後続車も行けないのかしらなんて、考えてしまいますね。
通行止めにあったりさんざんのドライブだったでしょうが、思い出としては、忘れられないドライブですね。
FEFEさんの若き日の思い出話、楽しく拝読しました。