「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

不謹慎な被災者

2009年08月15日 21時07分04秒 | 文化論
 静岡で大きな地震があってから、5日。明日には東名高速道路の登りも開通する。お盆の休みが明ければ、瓦問屋が動き出し、ボクの街の屋根も復旧に向けて動き出すのだろうと思う。
 僕らは傍から見たら完全に震災被害に遭っている街だ。瓦を中止とした建物の損壊は600を超え、怪我人も15人出ている。崖崩れ、水道管の破裂による断水。一時的とはいえ、停電にもなった地域もある。東名高速道路の牧ノ原サービスエリア付近の道路の損傷と復旧は連日報道に取り上げられ、ヘリが上空を飛び交い、開通している東名高速の最東端インターとなった僕らの街は一日中他府県ナンバーの車であふれかえった。
 被害のあった家の屋根には、ブルーシートがかけられ、破損した家具やガラスが家の外に運び出されている。
 しかし、ボクの家は損害と言った損害がないのである。地震のあった夜くらいから他府県にいる友人からメールや電話をもらった。お見舞いや励ましの言葉である。ありがたいのは当たり前だが、どうもピンとこない。こそばゆい感じがする。彼らはボクの街名がニュースに出て、心配している。もちろんニュース映像をみてもいるからなおさらだ。
 だがボクの家も家族昨日と変わらないその日を過ごしたにすぎない。それでも世間的には被災市民である。それはおまえの運が良かっただけではないか、それとも何か自慢したいことがあるのかと言われそうだが、それは今回の主旨ではない。全国ニュースで流れようが、マスコミが悲惨さをアピールしようが、ボクとボクの街の大半の
人たちはボクと同じように、昨日と変わらない日常を過ごしているのである。夫婦や、親戚や近所の人が手伝いながら、破損した屋根瓦を修復している横のパチンコ屋さんは大繁盛しているのである。壊れたビールケースを片付けている酒屋の隣のスーパーマーケットは安売りを求める客でごった返しているし、ラブホテル脇の道路にはワゴン車がとまり、派手な格好をしたお姉さんが白い足を見せて降りてくるのである。それが震災当日の我が街の偽らざる風景なのだ。地震の規模が小さかったからそういうことを言えるのだといえばそれまでかもしれないが、僕らは神戸や富山や新潟や岩手を同じような、極めてマスコミ的感情おあり手法に則った目で見ていなかっただろうか。助けるべき人は確実にいる。でも当事者、関係者じゃなきゃ何処吹く風の奴らだってきっといるはずなのだ。今回、ボクの自治会では自主防災組織は機能しなかった、というより機能させる必要もなかった。しかし自分の家が、自分が大丈夫だったからと言ってそれを街全体に拡げていいものかどうかわ疑問が残る。とにかく僕らは今までニュースの映像を見て、「うへ~」とか「うわ~」とかいいながら、ニュースキャスターの声色に乗せられて、安価な同情なり、優越感なりを感じていたが、それは「今回の被害者に日本人いない模様です。」に安心しちゃうほど失礼なことで。僕らは報道の本質をいつも見ようとする姿勢が必要なのではないかと思ったのです。