「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

茶業家のGWに異変!

2006年04月30日 16時11分59秒 | 日記
 世間一般はゴールデンウイークですね。僕は暦通りの休みで元来が出不精なので敢えて人混みの中に突入したことは一度しかない。
 その時は横浜に行ったんだけど、もう人がすごくて横浜の中華街なんぞ行列の嵐だった。
 さんざん歩き回ったあげく場末の喫茶店で食事して彼女を不機嫌にさせた覚えがある。

 まあそれは良いとして、僕の小さい頃は必ず母親の実家にいて幼い従兄弟達の面倒を見ていたような気がする。
 では母親は実家で羽を伸ばしていたかというと、そうではなくて一番茶の手摘みを手伝っていた。
 一日中お茶の葉を摘んでいて、乾燥させて脇屋で大きなベルトが掛かった機械がウオンウオン動いていて、そこいら中に新茶のかおりが充満していた。

 従兄弟達は何人いたのだろうか。
 
 とにかくこの時期は親戚一同が手伝いに来て、みんなでワイワイやって夜はお酒を呑んで。僕らはお菓子をもらって、一枚の布団に2人入って寝ていた。

 毎年の恒例行事だった。

 それが茶刈り機が導入され効率が良くなって、僕らも部活やら勉強やらで来なくなったし、母も手伝うことをしなくなった。

 今の僕の通勤路は茶産地牧ノ原を縦に突っ切ってから横に突っ切って谷口橋に出るコースだ。

 だからこの時期は朝早くから軽トラックが鷹揚に道に駐車されていて、日常のスピードで走ることが出来ない。いつ誰が車の影から飛び出てくるか分からないからだ。

 ゴールデンウイークは茶業家にとって勝負時とも言える大切な時期なのだ。

 しかし今年は少し様相が違う。未だに続く寒冷な気候のために茶葉が伸びきれない。

 

 先日「茶」について書いたときに萌葱色と表現したが刈るためにはもう少し葉が伸びて緑が濃くなければ味が乗らないのだそうだ。

 だから今のところはすることがない。

 のではなく、逆に心配の種がつきないそうで。茶葉を台無しにする「遅霜」になるんじゃないかと戦々恐々の所もあるそうだ。

 

 写真はご存じの方も多いと思うけど、「防霜ファン」と呼ばれるもので、ある一定温度以下になるとブーンと結構大きな音を立てて回り出す。

 霜が降りるときは茶葉の高さあたりが一番温度が低くなるそうで、その上の空気は逆に高くなるそうだ。このシステムはそれを利用して上空の空気をお茶の木に吹き付けて霜を防ぐ。
 極めて単純なシステムのようだけど、実際は扇風機の高さとか向きとかをその土地の地形やら気流やらを考慮しないと効果を生み出さないそうで、しかも必要な本数もその土地によって違いがあるらしい。
 センサーがついているから自分の茶畑まで出かける必要もなさそうだが、やはり心配になって見に来る人もいると言いますね。

 まあ1年の努力が水の泡になってしまうかどうかの瀬戸際ですから無理もないですね。

 じゃあ、このシステムが出来る前は何をしていたかというと一番多かったのは古タイヤを燃やす方法で茶畑の温度を上げる方法だそうで、今から考えると随分と陽環境的な方法だったんだなあと思うのです。

 ダイオキシンとか大丈夫なんだろか。

 で。火を扱っているのだから、その人は一晩中火の管理をしてるわけでそんな日が何日も続いたら辛かっただろうなと思いますね。

 他に方法がないのかなと思うけれど、ビニールで覆ってしまう方法は温度の下がり方がきついと役に立たなくなるそうで、また散水して霜が降りる前に茶葉を氷で覆ってしまうという大胆な方法もあるそうだが半端じゃない量の水が必要なのに、牧ノ原は高度120メートルの高地で水がなく、今ではポンプで水を汲み上げているけど、入植当初は人間が桶を担いで大井川まですくいに行ったと言うからその苦労は想像出来ないものがある。だから水はとても貴重なもので、タンクに溜めた水をどの地域の誰がどのくらい使うかで毎年会議が開かれるのくらいなのだから、とてもじゃないけど散水法は使えない。

 話がまとまらなくなりそうだけど、とにかく防霜ファンは茶業家にとって必要不可欠なアイテムになっている。

 しかし、そういう技術をもちながら僕らは未だに自然の気まぐれに翻弄されながら生きていくしかないのが人間の人間たる所以かなとも思う。