本と映像の森40 古田武彦さん『失われた九州王朝 ー天皇家以前の古代史ー』<古田武彦古代史コレクション2>、ミネルヴァ書房、2010年2月20日、559ページ、定価2800円+消費税
古田武彦さんという名前をここに書くと、なんとも言えない、甘酸っぱいような、つまり甘さと酸っぱさが同居した気分になります。
1970年代、自分の20代の青春時代に『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』の3部作を読んだ衝撃。
それは「神話=天皇家の神話」「倭=日本天皇家」という固定観念からぼくを解き放ってくれ、客観的な、生き生きとした古代史と人間像をもたらしてくれて、この「雨宮ブログ」に流れ込むようになりました。
その後、古田さんは、悪名高い和田家文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を古田さんのそれまでの主張とは変化して、それを信じ切ってしまい、いわば「変質」していきますが、それだからといって、それまでの主張が変化するわけではありません。
雨宮は、古田さんが「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を「盲信」する以前の到達点と思想を「前期古田さん」と呼び、詐欺師の和田さんにからめとられた「後期古田さん」と明確に区別します。
この本での「前期古田さん」の主張は、近畿天皇家は『日本書紀』が主張しているような朝鮮との関係はあまりなく、7世紀末まで朝鮮半島に軍を派遣していたのは、北九州に本拠のある九州王朝だったということです。
九州王朝の本拠地が、いま「太宰府」と呼ばれている場所です。
九州王朝は、7世紀末の唐・新羅連合と百済・倭国連合との「白村江」での決戦で大敗北をきっして、滅亡します。
天智や天武の王朝は、この滅亡した「倭国」ではなくて、九州を占領した唐軍とも同盟したり、対立したりした、亡命朝鮮人を含む近畿の王朝で、やがて「倭国」を圧倒して「日本国」を名乗り、日本列島全体の、中国からも承認された正当な王朝となります。
そういう「物語」で、いろんなことが説明できます。
「倭の五王」「好太王碑」「七支刀」「磐井の「反乱」」、「九州年号」「日出ずる処の天子」などなど。
この本でも、和田ウイルスの汚染は治っていませんが、汚染以前の清涼な状態を復元することは可能だと思いました。
古田武彦さんという名前をここに書くと、なんとも言えない、甘酸っぱいような、つまり甘さと酸っぱさが同居した気分になります。
1970年代、自分の20代の青春時代に『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』の3部作を読んだ衝撃。
それは「神話=天皇家の神話」「倭=日本天皇家」という固定観念からぼくを解き放ってくれ、客観的な、生き生きとした古代史と人間像をもたらしてくれて、この「雨宮ブログ」に流れ込むようになりました。
その後、古田さんは、悪名高い和田家文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を古田さんのそれまでの主張とは変化して、それを信じ切ってしまい、いわば「変質」していきますが、それだからといって、それまでの主張が変化するわけではありません。
雨宮は、古田さんが「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を「盲信」する以前の到達点と思想を「前期古田さん」と呼び、詐欺師の和田さんにからめとられた「後期古田さん」と明確に区別します。
この本での「前期古田さん」の主張は、近畿天皇家は『日本書紀』が主張しているような朝鮮との関係はあまりなく、7世紀末まで朝鮮半島に軍を派遣していたのは、北九州に本拠のある九州王朝だったということです。
九州王朝の本拠地が、いま「太宰府」と呼ばれている場所です。
九州王朝は、7世紀末の唐・新羅連合と百済・倭国連合との「白村江」での決戦で大敗北をきっして、滅亡します。
天智や天武の王朝は、この滅亡した「倭国」ではなくて、九州を占領した唐軍とも同盟したり、対立したりした、亡命朝鮮人を含む近畿の王朝で、やがて「倭国」を圧倒して「日本国」を名乗り、日本列島全体の、中国からも承認された正当な王朝となります。
そういう「物語」で、いろんなことが説明できます。
「倭の五王」「好太王碑」「七支刀」「磐井の「反乱」」、「九州年号」「日出ずる処の天子」などなど。
この本でも、和田ウイルスの汚染は治っていませんが、汚染以前の清涼な状態を復元することは可能だと思いました。
感動と驚き。諸説に毒される前に、自分の感受性に忠実でありたいとあらためて思いました。