雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 11月13日(水) 次女と名古屋へピアノコンサート

2013年11月14日 22時32分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月13日(水) 次女と名古屋へピアノコンサート

 今年封切りされた、映画「さよならドビュッシー」を見て感激した、次女とボクでした。この映画に「名探偵+ピアニスト」役で出演したリアル・ピアニストの清塚信也(きよづかしんや)さんのリアルピアノコンサートに行ってきました。

 お金は少しで、時間はたっぷりあるので、JR東海道線で、浜松駅から名古屋駅まで各駅停車で行きました。午後2時40分頃浜松駅を発、名古屋駅についたのは、もう暗くなった5時前でした。

 名駅(めいえき)地下で、次女のアイさんと夕食を、山菜そば500円で食べ、アイさんは誰かへの(だれかな?)おみやげを買ってました。

 地下鉄東山線で、名古屋駅から栄駅で下車。地上へ出て、愛知県芸術劇場4Fのコンサートホールへ。

 アイさんがネットでいい席を取ってくれたので、1階の前から3列目の左から1番目と2番目の席でした。本を読みながら開会を待ちました。

 開会のブザーが鳴って会場が暗くなって…あれ…暗くなったまま、なかなか舞台が明るくなりません。その時、暗闇の中で、いきなり、「月光」ソナタの第1楽章が始まって、びっくりしました。

 うわ、なんという演出なんだ。真っ暗ななかで演奏を始めるのか! 「月光」第1楽章の途中で明るくなって、ホッとしました。

 清塚さんの指使いが全部見えて、とてもいい席です。

 びっくりしたのは、クラシックのコンサートなのに、清塚さんがマイクでしゃべって、聴衆を笑わせること!

 清塚さんの演奏は、リストのような、素晴らしく、激烈なダイナミックな演奏でした。とっても素敵な夜でした。則子さんと、この感動を分かち合えなくて残念。

 MCの時間で、かなりしゃべるし、サービス精神もすごいので、「アンコール」もなんと2回も演奏してくれました。「2曲」ではないです。2回とも、清塚さんが、自分で編曲したのかな?いろんな曲を埋め込んだ変奏で、すごかったです。

 終わったのは午後9時20分頃で、みんな、家へ帰り着くため、必死で会場を出ました。

 4800円払って、浜松=名古屋の交通費を払っても元はとれたと思います。遠鉄電車120円。東海道線片道1890円×2=3780円。名駅~栄地下鉄200円×2=400円。夕食500円。帰りのタクシー代1400円。合計で、1人5700円でした。

 東海道線「特別快速」で豊橋駅まで、それから「普通」で浜松駅まで。浜松へ着いたのは、午後11時40分過ぎで、遠鉄電車はもうないので、タクシーで帰りました。

 家へ帰り着いたのは、午後11時55分頃。疲れましたけど、いい日でした。

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 122の2 西区雄踏町の息神社の2

2013年11月14日 22時27分54秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 122の2 西区雄踏町の息神社の2 

 この息神社には、南北朝時代の2つの獅子頭(ししがしら)と、室町時代の7つの古面が伝わっています。獅子頭というのは獅子舞の踊りに使う木製の獅子の頭です。古面は、もちろん仮面劇で使われる、顔にかぶるお面のことですから、推測では、冬至の「能舞台」で使ったもの、あるいは能で使われることを想定して作られたか、奉納されたものということでしょうか。

 獅子頭には「永和元年乙卯十月吉日」「応安七甲寅七月一日」とあるので、永和元年は南北朝時代の北朝の年号で、西暦1375年のこと、応安七年は1374年ですから、近接する1年3ヶ月くらいの間隔で2つの獅子頭は作られたか、奉納されたことになります。

 この年代が「製作年月日」なのか「奉納予定年月日」なのかは、不明です。

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 今日、書きたいのは、能面の方です。7つの能面のうちの1つの「女面」には、なんと「いらこ里う志ん参」という文字が記されているのです。

  「いらこ里」とあるのは、この雄踏から船でそう遠い距離ではない、渥美半島の先端「伊良湖岬」の「いらこ」でしょう。だとすると、問題は「里」です。

  8世紀初頭から、それ以前の「国ー評ー里」制から「国ー郡ー里」制へ替わり、さらに「国ー郡ー郷ー里」制に変わったのが、霊亀元年(西暦715年)です。そして郷の下の単位としての「里」が廃止されたのは天平十二年(740年)ごろですから、「里」の呼称は、正式にいえば、西暦740年以前ということになります。

 「8世紀半ば以前の古面」??

 観阿弥や世阿弥による「能」自体が室町時代なのに、「8世紀の能面」というのは形容矛盾ですね。でも、室町以前でも、日本列島には踊りもあり、仮面劇もあり、たぶん「面」もあったろうと思います。

 「面」は、すべて室町時代以後の「能面」ということは言えないと思います。

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  この面も含め、7つの面の「木材の科学的検査など」、現代科学による分析をおこなっていただきたいと思います。少なくとも、この「古面」の木材年代を推測することは可能ではないでしょうか。

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  現時点で、可能な推測を言うなら、ここ雄踏の地の水軍ともつながりを持つ、渥美半島先端の「伊良湖岬」付近の「いらこ里」の女性、もしかしたら「う志ん(うしん)」という名前の女性が「女面」を作らせ、この息神社に奉納したのでは、ないでしょうか。

  「う志ん参」は「う志ん参(うしん参る)」つまり、「う志ん」が息神社にお「参」りした)と解釈していいのでは?

  この「伊良湖里」の「う志ん」は、いったい何世紀の女性なのでしょうか?何才くらいの?どんな女性だったでしょうか?