日本古代史 「「君が代」は天皇家を歌った歌でしょうか?」その2
8月9日付けの「日本古代史 「君が代」は天皇家を歌った歌でしょうか?」の続きです。
公正な議論のために、議論の元ネタの本をあげておきます。
古田武彦さん著『「君が代」は九州王朝の讃歌』<市民の古代 別巻2>、新泉社、1990年7月10日第1刷、126ページ、定価840円+消費税25円
「君が代は 千代に八千代にさざ(細)れ、石のいわお(巌)となりて 苔のむすまで」
前回は、元歌の『古今集』の関連する歌4首を分析して、この4首が、内陸部での歌ではなく、海に面した海岸での歌であることを示しました。この点は、雨宮の独自説です。以下、紹介するのは古田さんのこの本での「発見」です。
古田さんは古代史学者ですが、ほかの問題で、福岡付近の現地見学を、福岡付近の地元の人たちと企画します。そのドキュメントが、この本です。
古田さんは、福岡市の海岸が「千代の松原」と呼ばれていることは承知していましたが、この現地見学で、糸島郡の西のはし、唐津湾に望む神社「桜谷神社」の祭神が、なんと「苔牟須売神(こけむすひめかみ)」ということを発見して,驚嘆します。
さらに、弥生の「王墓の谷」である三雲遺跡や平原遺跡のある付近に「細石(さざれいし)神社」があります。
つまり、福岡市近郊に、「君が代」の歌詞に関連する地名や神社が完璧に存在しているのです。
こういう事実から、古田さんは「君が代」は明治維新後の近代天皇制が主張しているようなヤマト天皇家の賛美の歌ではなくて、筑紫「倭国」で「わが君」と言われた君主の讃歌であると主張しています。
この「九州王朝」説、ぼくの言い方では「筑紫「倭国」説」については、古田さんの基本的な著書、「「邪馬台国」はなかった」「失われた九州王朝」「盗まれた神話」の3冊を自分で読んで、自分で正否を判断してください。
この3冊は、最近、ミネルヴァ書房から復刊されましたので、手に入れやすいです。
なお、そのさいには、ぜひ、100%肯定とか、100%否定、あるいは感情的好き嫌い判断ではなくて、それぞれの具体的な事例について事実の判断をして欲しいです。
雨宮は、古田武彦さんの最近の「「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」は偽書ではない」という説には、事実にもとるので、断固、反対しています。