雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2020年12月16日(水) ヘーゲルとベートーヴェン

2020年12月16日 10時21分24秒 | 雨宮日誌
雨宮日記  2020年12月16日(水) ヘーゲルとベートーヴェン


 昼閒の予測最高気温がきのうより1度下がって7度に。エアコンを入れといてよかった。


 今までだと電気ストーブをつけて、腰と足に毛布を巻いて、手袋をつけて完全武装という感じですね。


 今日は作曲家ベートーヴェン生誕の日。250年前の1770年12月16日です。


 今やっているNHKFMの夜の記念番組がとても興味深くおもしろいです。作曲家の宮川さんやピアニストの仲道郁代さんなどなど。


 蛇足だが哲学者ヘーゲルも同じ1770年に生まれたということを最近、ボクは気づいた。そうかあ同時代人なんだ。2人は会ったことはなさそうだけど。


 2人にとって1789年のフランス革命は同じ19才の年に起きた大変革なんだ。


 「フランス革命とヘーゲルとベートーヴェン」という3題ばなしを書きたくなったです。



郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216

2020年12月16日 09時44分32秒 | 浜松静岡郷土史
郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216


 「郷土史」とういうのは古い言い方で今は、はやらないかも知れませんが、ここではその範囲を2020年現在の浜松市・静岡県を中心とする範囲としておきます。話が三河地方や愛知県・長野県・神奈川県へ行ってもいいということでお願いします。


 「郷土史の片隅に」という呼び方は、もちろんアニメ映画「この世界の片隅に」へのオマージュです。


 なお古代史のことは「遠州古代史」のなかで扱います。ここでは中世史・近世史・近代史・現代史・未来史の範囲です。


 今日が第1回。




郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216




「にんげんをかえせ」で知られる原爆詩人峠三吉さんと静岡とのかかわりは、ほとんど知られていないと思います。


 増岡敏和著『原爆詩人 峠三吉』という新日本新書があります。1985年発行の本です。いまはAmazonなどで古本で探してください。


 1952年の峠三吉さんの活動を妻の和子さんは、次のように手記に残しています。


 「1952年峠にとって命を賭けた最後の闘いの年となった。原爆を受けた広島として、病人でありながら平和運動の為に休む事無く働き続けなければならない峠であった。
 2月、国鉄全国大会への原爆展を依頼され恰度来広中の赤松俊子さんと面談中喀血、翌3月、文学戦線統一の重大性を思う故に推されて新日本文学会全国大会参加の途中で喀血。静岡文学会支部、民主グループの手厚い看護を受け、1ヶ月療養後上京」(p198)


 増岡敏和さんは、そのあと次のように詳しく書いています。


 「三吉は上京途中汽車の中で喀血し、下車して静岡日赤病院に入院するはめになった。そして入院直後大量喀血をし、また死に瀕した。新日本文学会静岡支部や全日自労静岡支部は救援活動をおこし、それを伝え聞いた新日本文学会広島支部と合同して峠三吉救援活動委員会を結成、全国に檄をとばして活動する。そうした力と療養のせいでかれは回復し、1ヶ月後に退院する。」(p200)


 この「静岡日赤病院」は静岡赤十字病院として、JR静岡駅から大通りを北へ左側を歩いて、市役所を過ぎて産業経済会館へ行くすぐ手前にあります。


 1952年当時、おなじ場所にあったか、峠三吉さんが入院したり、救援活動を静岡市民がしたことを直接体験した方や文献はないものでしょうか。


青い銀河とオレンジの花 断片資料 3 1988年のパソコン生活 20201215

2020年12月16日 08時47分35秒 | 青い銀河とオレンジの花
 青い銀河とオレンジの花 断片資料 3 1988年のパソコン生活 20201215




 1988年のパソコン生活




 1988年7月28日付け紙カード(B6)メモに手書きしたものが残っている。


 「パソコン 当面の学習と作業 88年度 88/7.28 
   9801VX2=メイン機 
   エプソンワードバンクNote2=補助機 
 当面の学習 
  (1)MSーDOS
  (2)ハードディスク
     来年 (パソコン通信、パソコン会計)
  (3) 桐、新松の習熟」


 「9801VX2」がNEC98の最初に買った機種かどうかは、いまわからないが、当時はデスクトップが主流で、いまみたいなノートパソコンは考えられなかったと思う。


 「エプソンワードバンクNote2」は三二補助器だった。


 ボクは当時はパソコンワープロに「松」を、データベースに「桐」を使っていた。今でも松ファイル、桐ファイルは残してある。これをなんとかテキストファイルに落とす方策がないものだろうか。