雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

新・本と映像の森 223 岩崎昶(あきら)『映画の理論』岩波新書、1956年

2019年01月09日 17時10分10秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 223 岩崎昶(あきら)『映画の理論』岩波新書、1956年

 岩波書店、~1968年題15刷、202ページ、古書店120円

 映画を創る人にとっての、たぶん基本文献の1つと思う。

 「映画の誕生が、19世紀の終わり、資本主義の成立と時を同じくしていることは、だから、けっして偶然の暗合ではない。……「映画は機械をもって芸術を作ると僭称する」とドイツの演劇学者のベルンハルト・ディーボルトはかっていった」(p16)

 「映画は、個性のめざめの後に、個性のめざめの上に立った、それ故に古代的中世的な没個性的な集団とははっきりとちがった、まったく新しい集団をもって、芸術を作ろうとし、また作っている。芸術を孤立した個人と結びつけずには考えない19世紀的な考え方にたいして、それは、もっとも進んだ科学技術ともっとも複雑な機械をつかっての……集団的芸術の存在とその未来を立証している。」(p22~23)

 映画の歴史、映画の構造、映画を創る理論の3つぐらいに分かれている。

 映画の創世記、アメリカ映画、フランス映画、イタリア映画、ソ連映画、日本映画にも概略は触れている。

 最終章「Ⅷ 映画芸術の世界」で触れている「リアリズム」「社会主義リアリズム」の話は、分析不足でボクには退屈でした。

 それは著者自身が「映画における人間の問題あるいはリアリズムの問題を私は最後の小でとりあげたが、第1に私の勉強の不足からして、まだ不充分なものに終わっている。」(p196)と書いているとおりである。

 ただし「私の勉強の不足」とは違うと思う。

 20世紀の「芸術論」「リアリズム論」を総括した「21世紀の芸術論」「21世紀のリアリズム論」が必要なんだと思う。それは集団的な仕事です。