雨宮日記 7月17日(火)の2 「いじめ」「自死」問題の解決のために必用な「心」は
なぜ身近なクラスメートを虐めるのか、というと、やはり自分が家で身近な両親に虐められたから?でしょうか。
というより、いじめっ子の人格は、その周りに十分に心が育っていなくて、傷つき安い人格がそのまま外界に露出しているので、いじめっ子は、少しのストレスで人格が過剰反応してしまって、身近な同じ人格を虐めてしまうのではないでしょうか。
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人間の子は、生まれてから、たくさんの人や、たくさんの自然を体験して、その体験を自分の中にいっぱい取り込んで、自分の元の人格のまわりに、自分の体験や思考からなる「心」という外界と交信するインターフェイスを作っていきます。
この交信装置が、十分に深く安定的にできれば、子どもでも大人でも、どんな逆境にも耐えられるのだと思います。
たとえば、幼いときに、両親からいっぱい愛されること。
保育園で子どもどうしで、楽しく、いっぱい遊ぶこと。
小さい頃に、自然の中でいっぱい遊ぶこと。
同じようないじめを受けても、それに抵抗できる子や、それから逃げられることの出来る子、そういう子ばかりではなくて、心が育っていない子は、人格自体が大きな打撃を受けてしまうのではないでしょうか。
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自分の人格の周りに、十分な心が育っていると、どんな悲しいとき、苦しいときでも、自分の心の中に潜っていって、そこで、自分をじっくりと休める心の深さがあります。
でもその深さがないと、ナイーブな人格が、冷たい現実に直接触れてしまい、すごくストレスが増幅されてしまいます。
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写真は馬込川の堤防の横に咲いていたネムの花です。