雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月11日(水)の2 掛川市へ浜岡裁判の県レベルの支援組織作り会議

2012年07月12日 06時23分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月11日(水)の2 掛川市へ浜岡裁判の県レベルの支援組織作り会議

 午後、車で動くので、朝帰って来てから小さいビール一缶だけにしたので、眠りが浅い。眠りが浅いと夢も覚えていることが多くて、今日は則子さんも登場して来て、夢でかなり叱られて、ぼくはげんなり…して目が覚めました。

 午後は、新婦人事務所へ則子さんと車で行って、貸し出した「新・原爆と人間」パネルをもらってきました。来月の「原爆と人間展」のちらしに必用な写真をデジカメで撮影してから、ぼくは事務所へ短時間の仕事へ。

 なんとか4時頃に家に帰ってきて、慌ててリュックで支度をして、則子さんが愛情込めて(かどうか知りませんが)握ってくれたオニギリをリュックに入れて、家を出ました。

 遠鉄電車でJR浜松駅へ。「ソラモ」で「ミニカー」の展示をしていました。いつの間にか「ソラモ」の天井は何もなくなって、クジラやなんかも居ませんでした。

 浜松駅の横の空襲で被災したプラタナスや周りのプラタナスも、この前の塩害のせいなのか、いつもより葉が少ない感じです。

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 東海道線のホームのベンチで、1列車遅らして、お握りを食べてから、午後4時51分発に乗りました。

 掛川駅まで480円でしたが、うっかり570円の切符を買ってしまいました。JRに90円寄付しました。

 ボクが子どもの頃は「浜松ー天竜川ー磐田ー袋井ー掛川」ですが、今は「浜松ー天竜川ー豊田町ー磐田ー袋井ー愛野ー掛川」で、2駅も増えました。

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 掛川駅からまっすぐ北へ、20分くらい歩いて、今日の会場へ着きました。歩き疲れたあ。

 途中、横を通った掛川城は、浜松城よりかっこよくて、いいお城ですね。

 外で雨が振り出す中、2時間近くの濃密な会議。いろいろ前進できた会議でした。司会のOさん、これだけ口のよくまわるメンバー相手に、ごくろうさま。ぼくも「宣伝担当」ということで確認されましたので、がんばらなくっちゃ。

 帰りは浜松から車で来たOさんに、家までいろいろ話ながら車で送ってもらいました。

 則子さん、傘は忘れませんでしたよ。

雨宮日記 7月11日(火) 「中日新聞」朝刊が曳馬中2年生「自殺」に「いじめ」」ありと

2012年07月12日 06時05分44秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月11日(火) 「中日新聞」朝刊が曳馬中2年生「自殺」に「いじめ」」ありと

 ぼくは今、日本で「自殺」として扱われている現象をすべて「自死」として認識することが必用だと思います。なぜなら今「自殺」とされている当人には「自分を殺します」という意識はないからです。やはり「死んだ方が楽になります」とは言いますが「自分を殺した方が洛になります」と言って死ぬ人はいないと思います。

 なお「老化」で医療を拒否して「自死」する場合のみを「自死」と言い、ほかはすべて「自殺」とすべきという論者もいますが、ぼくはそれは同じ「自死」であると思います。

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 ずっと何のニュースも出なかった、同じ町内の中2の男の子の「自死」事件ですが、中日の朝刊で校長先生が「いじめがあった」とみとめた、ただし教育委員会は「自殺との因果関係」は認めていないとのことでした。

 やっと結果が出てきましたが、またか、ですね。

 大津市の生徒自殺事件で、警察が捜査に入ったとありましたが、浜松の場合より、もっといじめが明確で陰湿な、大津の場合でも学校や教育委員会は「いじめと自殺の因果関係」を認めていないようです。

 これは本末転倒で、ほんとうに「因果関係がない」ことを行政の側が、まず証明すべきで、証明できない事象は、すべて「いじめと自死」の因果関係を否定できないということが大事だと思います。

 どうして、自死生徒の遺族が「いじめと自死の因果関係」を証明しないといけないのでしょうか。

 これは、ぼくや則子さんがずっと支援してきた原爆被爆者の運動で「放射線障害と発病の因果関係」を被爆者の方で証明しなければ因果関係を認めないという戦後の保守行政の論理と同じですね。

 証明は、ぜったいに被害者の側に追わせるべき事ではありません。

 いま来週の締め切りに向けて、国民大運動の浜松市への要求項目を書いていますので、それにも入れたいと思います。

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 誤解や曲解がないように書いておきますが、自死の責任追及ではないんですね。自死に至るような、あるいは「いじめ」をせざるえないような「ストレス学校」をなんとかしたいというだけです。

 先生も、生徒も、教育委員会も、自治体も同じ立場で、学校にいる人たちや子どもたちを幸せにしたいという立場で協力し合いたいと思います。

 自分は「何の罪もない」みたいな立場ではありません。同じ社会と同じ地域に生きている立場で、みんな対等平等に論議して考える、そういう立場です。

 悪を退治するだけの、単細胞の正義の味方とは、あんまり、つきあいたくありません。