雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 71 坂上田村麻呂伝説、東区半田山の船岡山・法源堂

2012年04月19日 17時40分24秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 71 坂上田村麻呂伝説、東区半田山の船岡山・法源堂

 遠州の遺跡・寺社 70 浜北区根堅・岩水寺の「赤池」 2012年04月18日 を書いてから「法源堂」について書いてないことを気づいたので、今日アップします。

 写真は見つかり次第掲載します。

 場所は浜松市東区の半田町、東西に大きな道路、浜松環状線が走っています。道路の向かい側(北側)に「エイデン浜松半田店」があり、南側に「カーテンじゅうたん王国半田店」の西側にお堂があります。それが「法源堂」です。

 法源堂のすぐ西に日米戦争の時代の、戦争中の陣地「トーチカ」があります。

 この船岡山が坂上田村麻呂将軍が東征するときに「岩田の海」が荒れていて海を渡れずに陣地を敷いた場所です。将軍は海が静まるように薬師様に祈願しました。現地の女性「玉袖」をめとり、出産を覗くと玉袖は大蛇で、将軍に水を鎮める玉を渡して、岩水寺の奥の赤池に身を潜めます。

 それが前回の「赤池」です。では、上島の赤池は?

 この半田町の付近は地名の「半田」のとおり、朝鮮からの渡来人の「秦(はた)氏」など渡来人が多かったところです。「八幡(やはた)」の「幡」も同じです。浜松には「八幡(はちまん)さま」「八幡神社(やはたじんじゃ)」がたくさんあります。

 つまり、坂上田村麻呂伝説は、その朝鮮からの渡来人たちのいちばんの出世頭である坂上田村麻呂さんを祀った「伝説」でしょう。

 


雨宮日記 4月18日(水) 久しぶりに則子さんと馬込川の堤防を散歩

2012年04月19日 06時05分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月18日(水) 久しぶりに則子さんと馬込川の堤防を散歩

 仕事をまだ、始めていないのに、妻の則子さんは、市民運動や家事や家庭内のお世話で忙しいのです。ボクは、前線司令官である則子さんの指示で、参謀または秘書として、文書やら提案やらを書くのが任務(役割)です。

 今日の昼間は、則子さんを誘って、久しぶりの、2人で馬込川堤防を、春の太陽を満喫しながら、春の花たちを鑑賞しながら、歩きました。

 「菜の花、きれいだね」

 「これ、日本タンポポね。セイヨウタンポポと感じが、繊細で、違う」

 「まだ、オオバンが4羽もいるよ。このまま、いつかないかな」

 「ほら!、ここにナナホシテントウムシ」

 「これ、シャガだね」

 「ツバメが楽しそうに飛んでる」

 「あそこ!コイのあいだに、ミシシッピーアカガメだよ」

 「これ、外来種のナガミヒナゲシだよ」「残酷だけど、抜いちゃお」

 夫婦で、こういう、大地と生命についての交感、うれしいです。

 もっと、もっと、一緒に生きたいな。

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 写真は早朝の総合庁舎前から三日月の出た東の空を撮影。月齢は午前5時に26.2です(誠文堂新光社『天文年鑑 2012』p26「4月の空」の午後9時の値から計算)。