馬糞風リターンズ

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利根の川風袂に入れて・・・・天保水滸伝の世界6 大原幽学

2012年10月09日 | 雑学
一角の出自であるが故に無宿浪人となった平手造酒は過去を語らなかったようです。
この同じ時期に同じ下総にまた過去を語らない浪人がいました。大原幽学がその人です。
「天保水滸伝」をテーマにした映画は大正3年牧野省三監督「天保水滸伝」(日活)以来昭和51年山本薩夫の「天保水滸伝」(大映)まで46作が制作されています。「天保水滸伝」は「忠臣蔵」同様に確実にヒットする人気の映画でした。その為、主演俳優も当代一流の大物人気俳優が演じています。林長次郎、大河内伝次郎、片岡知恵蔵、市川歌右衛門、嵐寛寿郎、高田浩吉・・・・・、特に昭和34年東映の「血闘水滸伝怒涛の対決」などは市川歌右衛門、片岡知恵蔵の2枚看板と東映オールスター作品との触れ込みの豪華版です。
映画としては最後の作品山本薩夫の「天保水滸伝 大原幽学」は今までの「天保水滸伝」とは趣を異にした異色の内容です。主人公は平幹二郎が演じる大原幽学で、遊女に売られ花街から足抜けをして故郷の村に帰農した寡婦を浅丘ルリ子が好演しています。他には ハナ肇 (飯岡助五郎)、 加藤武 (笹川繁蔵)、 高橋悦史 (平手造酒)が出演しています。この映画は、日本映画或いは時代劇専門チャンネルで放映されたことがありますので、いつかまた見る機会があると思います。

天保水滸伝の映画が作られなくなって36年がたちます。笹川繁蔵の地元東庄町では町おこしとして再び天保水滸伝をドラマ化しようとの運動が始まっています。東庄町の青年が親切に案内説明をしてくれました。言わなくてもいいことでしたが「暴力団排除条例の今の世の中で、一天地六の賽の目家業はドラマにしにくい・・」と余計なことを言ってしまいましたが、この青年「一天地六の賽の目家業」の意味が分からなかったようです。
大原幽学に興味を持ってかなりの資料を集めたことがありますが、当ブログでも紹介したように「断・捨・離」で多くを処分していたようで今、数冊の読本しか残っていませんでした。断捨離も考え物です。
大原幽学と笹川繁蔵や平手造酒、飯岡助五郎の賭場などに関わり合いを持つことなどは実際にはあり得ないことですが、大原幽学が地回りのヤクザに集会場を襲われ、それを口実に6年もの長い間江戸で取調べと称して身柄を拘束されてしまいます。荒廃した農村も大原幽学の指導の下、何とか再生の兆しが見えだした頃、6年もの間江戸に拘束されたため、幽学が再び下総に戻った時には、村は元の荒廃した農村になっていました。幽学取調べの切欠となったヤクザの乱入は、どうも飯岡助五郎の仕掛けた策謀だったのはどうも本当のようです。
 天保と言う動乱期、時代が大きく変わろうとしていた頃、下総の国に平手造酒と大原幽学と言う過去を語らなかった流れ浪人が同時にいた偶然。一人は無宿渡世の無頼の用心棒、もう一人は疲弊し、荒廃した農民の救済者、人の活き様の難しさを思い知ららされる人生行路です。

 この時代の農村指導者として有名なのは二宮尊徳、大蔵永常がいます。特に二宮尊徳などはその後も日本の道徳教育に欠かかせない人物です。二宮尊徳をどうこう言うつもりはありませんが、もし日本人が二宮尊徳と同じくらい、或いはもう少し二宮尊徳より大原幽学に心を寄せていたならもう少し世の中が変わっていたかもしれません。
 時代の転換期には、沢山の変革者が出ます。しかし、その選択1つで後の世のでき方が大きく変わります。二宮尊徳より大原幽学、松下幸之助より早川徳次、・・・・・福沢諭吉や新渡戸稲造よりももっと心を寄せるべき人物が日本にはいたのではないかと・・・・・。

 僕が初めて大原幽学に興味を持った時、何の脈絡もなく「地の塩 世の光」という新約聖書内マタイによる福音書(山上の垂訓)の言葉です。今回何の当てもなく千葉県にドライブしたのは無意識に長年一度は大原幽学の事績に触れたい願望があったからかもしれません。

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