馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

涌水 清の似顔絵とイラスト展

2016年04月30日 | 日記
1981年から「週刊朝日」誌上で「山藤章二の似顔絵塾」を開講。塾生にはプロのイラストレーターに育った人も多い。この似顔絵塾には常連さんと言われる名人級の作家がいます。涌水 清さんもその一人です。昨年までに71点の作品が週刊朝日・山藤章二の似顔絵塾の入選しています。

  


 
最新号 5・6-13合併号にも「山瀬まに」の似顔絵で掲載されています。

アートギャラリー・ヒルズワンで5月2日(月)から5月7日(土)、涌水清さんのこれまで週刊朝日山藤章二の似顔絵塾に入選した71点の原画を展示します。また、大手広告代理店時代のイラストレーターとしての作品も合わせて展示します。
 また、会場に用意した申込用紙に希望の作品を記入していただくと後日、ポストカードにしてお届けします(無料です)。
ゴールデンウィークの1日、是非ご来場ください。作者・涌水 清さんは終日会場に詰めています。



電柱にカラスが巣をかけています。

2016年04月30日 | 自然
我家のご近所さんは滅多に井戸端会議などでたむろすることはありません。珍しく集まって空を見上げてワイワイと騒いでいます。我家のすぐ横の電柱にカラスが巣を作っています。当ブログは1週間ほど前に巣作りをしているのを気付いていましたが今日までこのような一寸した騒ぎになることは在りませんでした。
どうも2~3日前、大阪環状線でカラスの巣によろ漏電事故が有り、環状線が止まったという報道が有り、そのことなどが影響して巣を駆除するかどうかで相談しているようです。
  
卵を抱いているようですが、当ブログが写真を写していると親鳥は飛び立ち近くの電線に止まり警戒しているようでした。
 何方かが関電に電話をすれば即この巣は駆除されてしまうでしょうが、・・・・・今のところそのような様子はなさそうです。心情的には無事巣立って欲しいものです。
 近くのスーパーの軒下には毎年ツバメが子育てをします。残念なことに今年はその巣も削り取らてています。いつも行く喫茶店の軒下の巣も今年はありません。このスーパーと喫茶店の近所の某政党事務所とたこ焼き屋の軒下には今年も燕の子育ての姿があります。確かに床には糞が散乱して見た目には汚らしいですがそれが何となく「ホット」します。
 当ブログは過去に何度かカラスについて書いた記憶が有り、探してみると1項目だけ残っていました
 余談ながらカラスは英語でcrowとravenの二通りの表現があるそうです。日本に生息するハシボソガラスとハシブトガラスは共にcrowを使用するのだそうです。




ミツバチ便り。・・・・レンゲ蜜最高!

2016年04月27日 | 昆虫・ミツバチ
今年最初の採蜜を行いました。今年導入したミツバチは、ミツバチ本来の温和な性質で攻撃してくるようなこともありません。
作業はオーナーの農家さんと美女軍団が行いました。
  
内、お一人の方は採蜜初体験でお上品に遠心分離機のハンドルを回していました。でも、もう少し力強くグルグルと回さないと蜜は採れませんが・・・。
レンゲの花の香りとともに琥珀色の透明な蜜が出てきました。
 今回は採蜜量が少なく、一人一瓶の割り当てしか採れませんでした。皆さん帰宅後、友人知人と試食されたようで「○○本予約できますか?」とのお問い合わせがありました。GW明けに2回目の採蜜を行う予定ですが、その時どれだけの量がとれるか???今年は飼育頭数も半減しているので量的にはそれほど期待できないかも知れません。


バター不足。農業政策て・・魑魅魍魎の世界。

2016年04月22日 | 時事問題


「バターが買えない不都合な真実」(山下一仁著、幻冬舎新書)を読みました。この種の本は気を付けて読まなければなりません。と云うのは著者のスタンス、提供されているデーター、情報などにバイアスがかかっていないか、など同じ問題を論じていても全く異なった解説になっていることがあります。マスコミなどに出てくる専門家という人たちも同じで「農業周辺受益者」であれば理不尽であっても「農業者を守るため」との大義名分で「甘い汁」の蜜源を絶やすようなことは絶対に言わないのは当然のことです。
「バターが買えない不都合な真実」は客観性があり判断材料の参考にはよい本のように思います。一読をお勧めします。

 バターが不足しているそうです。一時期には店頭からバターが姿を消してしまったこともあるそうです。店頭に出回っても「お一人様1個」と販売制限しました。世界市場ではバターは過剰気味で価格も低迷しているとのことです。利に敏いスーパーや商社が何故緊急輸入をしないのでしょうか?それよりも何故バターが不足そるのでしょうか?足らなかったら増産すればいいのにと思うのですが・・・。
新聞・テレビなどで「専門家」が解説しています。それに依ると「酪農農家の減少、また一時的な病気などが重なり生乳出荷が減ったため」とのことです。
TPP国内承認や選挙が近いせいか「農業問題」が話題になることが多くなりました。しかし、これらの報道を見・聴きしてもどうも理解し難いことが沢山あります。例えば上の新聞記事で「生乳」或いは「生乳流通自由化」などと云われても一般の人にしてみれば何のことか分からないのが普通です。

この図からだけでもいろんなことを解説してもらわなければ分からないことが沢山あります。1ツづつ関わっていればそれこそ収拾がつかなくなりますので今回はバター生産に存在する摩訶不思議な団体のことだけを書いてみます。
 「農畜産業振興機構」と云う農水省の天下り団体がバター輸入業務の独占しているそうです。バターは国家貿易品でこの農畜産業振興機構がすべてを取り仕切っています。国際価格1kg/500円のバターを輸入したとする市場に出回る時の価格は2000円/1kgを越えてしまうそうです。そして問題なのが輸入に伴う巨額の収益は農畜産業振興機構に入ってしまうことです。その為、機構の天下り官僚の報酬は、理事長で1672万3千円、一般職員の平均年収も665万円と、国家公務員平均を上回る高給を得ているそうです。即ち、酪農家に還元されることはなく「書類を右から左に流すだけ」の木っ端役人崩れの「美味しい」財源になっているのです。酪農に限らず農業関連の世界にはこのような利権団体が隅々まで侵食して農業を食い物にしています。そんな連中が専門家と称してコメンテーターとしてマスコミに登場して「日本農業を守るため」とそれらしく解説しているのが現状です。
 当ブログは酪農家や農業関係者に多くの友人知人がいます。皆さん一般のサラリーマンより「豊かで余裕のある生活」をしています。「弱者を守れ」と云う「弱者」に当たらないのです。むしろ、バターも買えない都市勤労者のほうが「貧しい弱者」のように思えます。
農民1人当たりにぶら下がって「甘い汁」を吸っている農業周辺受益者があまりにも多いのが日本農業を取り巻く現状でしょう。

 尚、バターと脱脂粉乳を混ぜ合わせると「生乳」になります。このことはバターの輸入制限とチーズとの差です。そんな専門的な複雑なことが沢山あって、そこを上手くピックアップしながら利権構造を築いていくのが政治家であり役人であり大手農業関連商社・メーカーなのです。

ミツバチ便り。

2016年04月13日 | 昆虫・ミツバチ
今年もミツバチを飼うことになりました。話題も賞味期限切れとなった感があるので飼育頭数は最低限になりました。今回導入した群は以前の系統とは違い本来のミツバチの温和な性格で攻撃性は無い様です。ゴールデンウイーク前後には採蜜できそうです。周辺の畑にはレンゲソウが満開で良い蜜が今年もとれそうです。
  

「みつばち高校生 富士見高校養蜂部物語」(森山あゆ著 リンデン舎発行 サンクチュアリ出版発売)と云うドキュメントタッチの本があります。何方かと云うと本のタイトルに惹かれただけかもしれませんが250ページ弱で1~2時間もあれば読める手軽さもありました。よくある青春根性物語顔も知れません。脚色次第では面白いドラマにできそうです。
 養蜂部を立ち上げた富士見高校園芸科の竹前千春さんのセンスの良さが窺い知れます。養蜂部を立ち上げる準備として見習い体験や講習会に参加して養蜂への知識を集積してゆきます。日本のミツバチ研究の最高峰玉川大学ミツバチ科n佐々木正己名誉教授の講習会の質疑応答で、千秋さんはほかの参加者とは全く趣の違う質問をします。「・・・ミツバチは群れに危険が及ぶと自分を犠牲にしてまもろうとしますょね。生き物の中には自の家族のために命を捨てられるのでしょうか?」この疑問こそがミツバチ観察の面白いところです。養蜂技術やどの様にすれば成果を上げられるかということの関心が集まりがちですが、千春さんの疑問は彼女のセンスの良さを感じます。この疑問はハミルトンの血縁選択説・他利行動などミツバチの生態に関わる根本的な問題です。このセンスの良さが富士見高校養蜂部が成功する1要素かと思いました。

養父市大屋町樽見の大サクラ。JR福知山線・武田尾の廃線トンネル。

2016年04月11日 | ドライブ・旅行
4月3日、朝日新聞に大屋町の大サクラが紹介されていました。翌日、4日(月)早速見に行きました。昔から有名であったそうですが概ね地元近隣の方が訪れる程度の人出だったそうです。昨日大手新聞で紹介されたためか大変な現物人でした。自動車でないと中々行きにくいとこだけに地元の方の交通整理も大忙しです。一度マスコミに取り上げられると大勢の人々が押し寄せて地元は元気づけられ、設備なども整備されて環境は改選されるのですが、今まであった趣というものがなくなってしまうのも事実のようです。
  

  

 駐車場からはかなり急な山道を登らなければなりません。道といっても山肌むき出しで当日はぬかるんでいたよく滑るので登るのが大変でした。

 自生しているミツマタがあちらこちらで満開でした。

 サクラ以外にも見どころはたくさんあるようですがそれはまたの機会に。


 1週間後、4月11日(月)。ウォークの会の日です。中山寺から山越えをして武田尾もコースのようです。とても全行程は歩けないので廃線トンネルだけでもと思い一行と出会いそうな時間に武田尾駅から一人で廃線トンネルを散策しました。携帯電話が繋がらず結局皆さんとは合流できずに一人寂しく歩きました。




大阪府立弥生文化博物館・・・・弥生時代の匠は凄い?らしい。

2016年04月10日 | 歴史
野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)小篠原1号銅鐸(国宝・最大)復元

大阪府立弥生文化博物館に行きました。4月9日(土曜日)弥生プラザ展示ミニシンポジウム「西を向くムラ、東を向くムラ」 が開催されました。中高年のおじん連中が開会時間待ちの間もお互い古代史の蘊蓄をぶつけ合っていました。

今回はタマタマひろてんさんから「なんで鋳物で厚み2ミリで作れないのでしょう?」とのコメントを頂きましたので銅鐸復元について書いてみます。
当ブログ「弥生の銅鐸は復元できない。」に関してのご質問と思います。銅鐸復元で多大な功績を挙げている東大阪市の上田工房が鋳造した「八尾の恩智垣内山で出土した銅鐸」は44cmと実物と同サイズ。しかし、やけに重いので計ってみたら10kgもあった(実物は6.3kg)。この時、上田富雄社長が「銅と錫(すず)を混ぜた合金を鋳型に厚さ3ミリの薄さでまんべんなく流し込む作業が難しかった。弥生時代の鋳物師の魂を感じた」と話しました。また、古代銅製品研究の第一人者であった三宝伸銅・久野雄一郎社長も『本物の銅鐸と寸分違わず復元銅鐸を作りました。ところが作った久野さんがいつも「この音は実物とは違います」と言っています。現在のトップ技術で作っても厚さが分厚い物しかできないのです。今度、加茂岩倉遺跡で出土した一番いい銅鐸は2ミリです。現在2ミリで全部鋳物で仕上げる技術はありません。日本のトップレベルの技術者がいくら挑戦してもできないのです。現在の技術では厚さが5ミリぐらいが限度です。久野さんは復元銅鐸を旋盤で削れば薄くなるということを知っていますが、弥生時代の技術はすごいんだぞというので、彼は復元銅鐸を削っていないのです。だから久野さんはいつも「あの音は実は違います、弥生の音ではありません」』と言っています。
 現代の技術では弥生時代の銅鐸の「薄さ」は鋳出すことができないのだそうです。
多くの関係者が銅鐸復元に挑んでいますが弥生時代のような「薄肉の銅鐸」製作に失敗しているようです。
古代工人は薄肉の銅鐸をどのように鋳造したか
銅鐸復元 ~鋳造~
モノづくりのルーツに迫る~鬼虎川遺跡出土の鋳型から銅鐸を復元

 ひろてんさんは金型・鋳物の専門家で上田社長や久野さん(故人)とも親しい関係にあると聞いています。当ブログは寧ろひろてんさんに「何故薄肉の銅鐸」が作れないの?とお聞きしたいくらいなのに・・・。


聽雨庵を結び旋風と号す。(2)

2016年04月08日 | 歴史
源之助のもう1ツの道楽は阿波歴史の研究でした。ここでも蒐集癖を発揮して古書、古記録などを集め阿波裏面史や人の余り遣らない分野の探求を精力的に行いました。この為、阿波先哲の書画を五百幅を蔵していましたが刀剣、蔵書諸共戦災で灰燼に帰しました。しかし、膨大な著作は疎開させてあり残ったようです。源之助の死後、この存在を知った同好の友人が埋もれて打ち捨てられるのを惜しみ阿波徳島の郷土誌に関わる分野の代表的なものだけを精選して徳島県立図書館に寄贈し、今日わずかにその研究成果をしのぶことができます。
「法律事務の合間でも僅かな暇があると読書に親しみ、文想を練る。法律の勉強より文学書に親しみ毎日三百頁を読破し、興に乗ると一夜に50枚の原稿を書いた」そして、その用紙は半紙、筆は毛筆が古くなって先端が擦り切れ、普通の人なら捨てるようなものを好んで用い、新しいものはわざわざ先を切って克明に楷書で書きました。しかし、これらの著作は公開を目的としていなかったので「甚だ多く私に机底に潜め独人楽しむ」ようであった。
 講演依頼や新聞への投稿の原稿は別途書き改めていたようで、その文章は枯淡で内容も珍しいものが多かったが現代離れしており素人向きではなかったと云われています。戦後、地方自治体が郷土史を発刊するブームがありました。徳島県下の各自治体も多くが市町村史を発刊しました。その折に、源之助翁の郷土誌原稿が大切な資料として活用されました。特に貞光町史は昭和15年12月5日脱稿の「郷土趣味史論」25巻3000枚が町史編纂の重要な参考資料となりました。
 以下に現在わかっている著作の一覧を期しておきます。
阿波懐古録・開闢、正史。国守歴世考。国守郡領総説。年中行事2巻。伝説誌3巻。明勝旧跡誌3巻。名木大樹誌。墳墓誌3巻。城塁誌3巻。人物誌4巻。徳島・名東郡・名西郡・麻植郡各寺院誌各1巻。国号・郡沿革・郷庄考。郡村名義考。神社誌。経済誌。行政誌。阿波史話雑録。阿波文学。阿波盆踊り考。楠公雑考。禅蒙求和和解。貞光村史料2巻。刀剣雑録。年中行事俗謡。名所俗謡。夕霧考。十郎兵衛考。霊場記。一里松・棋道・吉野川考。忌部氏考。義経通過路。珍誌。懐古録史料断片。旋風漫筆30巻。阿波奇談狸合戦8巻。西国三十三所霊場巡礼七巻。忍術新説概論2巻。泥棒録3巻。世話諺考10巻。奇説怪筆。奇説怪説珍説異説。読書余論2巻。不老長生考。長寿者考。史外史談。文学上より観たる物価2巻。媚薬・菊花考。江戸薬店ノ名薬。狐狸幽霊雑録。食人肉考・性器崇拝考。自作俗謡集15巻。高尾考。親子考。洒楽禅・狐禅録。碧巌録俗謡。従客俗謡。狸奴白猫禅話。都々逸考稿本・・・・。
 今、この多くは散逸してしまい誠に残念極まりない次第です。
源之助翁の私生活についての逸話もありますが、概ね「変屈、変人、頑固・・」なものばかりですが、どうも誇張された面があるようです。また、源之助の父親・竹市は「うどん屋」を営んでいましたが目に障害があったようで「めくらうどん」と大層人気の繁盛店で、この店で使う小麦粉を運ぶ徳島本線は臨時の貨車を運行したほどでした。この竹市は子供の教育に熱心で、源之助はよくその期待に応えたようです。この父子の話は戦後の小学校の道徳副読本にも取り上げられましたが、現在その副読本は「差別用語」使用とのことで閲覧できません。
 源之助は当ブログの祖父です。形質は引き継ぐことは少なかったようですが、その性癖は係累では当ブログが一番引き継いでいるようです。






聽雨庵を結び旋風と号す。

2016年04月04日 | 歴史
源之助は本業の弁護士としても異色の存在として一定の評価を得ていました。しかし、その真骨頂は源之助翁が深く親しんだ趣味の世界への評価です。その根城となった自宅を「聽雨庵」と名付けて本業そっちのけで源之助ワールドを展開していました。
 万人が認める趣味のその第一は「刀剣蒐集」です。大正末期には「聽雨庵」の箪笥に300振りを蔵していたと云われています。古今の名刀が含まれていたと云われていますが金属製品の所有に制限が加わるような時代背景もあり精選に精選を重ねて50振りを秘蔵していたが昭和20年(1945年)7月4日未明の徳島大空襲で聽雨庵と共に全てが灰燼に帰してしまいました。その損失は今尚好事家の間では惜しんでも惜しみあると残念がられています。当ブログは手を尽くし源之助翁の蒐集していた刀剣の明細を知ろうと試みましたが資料はすべて焼けており往時を知る人も今は死に絶えて調べる術もありません。
「御大典記念 阿波人物鑑」昭和3年・徳島日々新報社刊 

 源之助はまた大変な読書家であり、必然的に膨大な蔵書を有していました。本業の法律関係の書籍は弁護士事務所に収納していましたが、個人の趣味に関わるものは自宅・聽雨庵に置かれていました。大正末期にはその蔵書数1万冊と云われて、その後も増え続けたようです。この頃には「もう普通の書物は読み飽きた」と放言し自ら「変態読書家」と言ってもっぱら奇書、怪書、珍書の類を好んで愛読し蒐集も行った。蒐集癖も強かったのか珍しい本の所在を知ると困難な障害を苦にもせず万難を排して入手していたようです。エピソードとして残っているのは、和歌山県立図書館に「忍術書」があることを知って欲しくてたまらなく人を派遣して写させたこともあったそうです。また、徳島出身の巨人・岡本葦庵の「柯太日記」が樺太庁にあるのを知り、同じく写本してもらい謝礼のほかに当時まだ珍しかったビール1箱を奮発したと言い伝えられています。また、当然の如くY本、Y画類のコレクションも相当数あったようで「どうもあれだけは仕舞う処に困るよ。誰にでも見せれるものではないし、子供が大きくなると・・・」と困惑していたようです。このようなことがあって天下の奇書珍書は徳島にあるともいわれ、中央の文人・学者が訪れることも多かったそうです。聞くところによれば大仏次郎、吉川英治などが小説の取材のため度々聽雨庵を訪れ庵主と歓談したそうです。特に吉川英治が名作「鳴門秘帖」を執筆の際には多大な協力を行ったようです。