馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

芸術の秋・・展覧会巡り。そして今日はハロウイン・・街では・・・

2016年10月31日 | 日記
今日は今宮高校美術部「砂煙会」恒例の展示会がナルミヤ戎橋画廊でありました。4組の仲間を中心に何時ものメンバーが集まりました。今回は同期生では乾君だけの出品でした。
当ブログなどがあれこれと批評するのも僭越な話ですが、乾君は年々見る度に「上手になっていく」ようです。画廊などを運営していると多少見る目も養われてきたと自負しています。そうすると不思議なことに見る度に「下手糞になる人」がいます。下手になる分だけ講釈が多くなっているようです。素人の場合はそういう人が結構多いのですが乾君の絵は昨年より今年、今年より来年と垢抜けして素晴らしい絵に進化してゆくようです。脱帽!
 近くにあるギャラリーで風景画の作家の個展があるので覗きました。ここ2~3年一時よりも絵が売れるようになったそうです。アベノミックスの影響かも?・・・とのことです。
 
なんばパークスで「笑像画展 パークスに○○がある有名人」に移動。これまた乾君の独創的な作品です。
ミニ同窓会、9人が中華料理店で談笑。なんばから道頓堀へ。今日はハロウインで街は大賑わいです。
 
何時から凝んな仮装で若者たちが楽しむようになったのか?
 
外国生活の長かった伊藤君にハロウインについて聞くと「収穫祭で日本の新嘗祭のようなもの」とのことです。何年か前、アメリカ在住の日本人少年が仮装姿で他人の庭に入り込み住人に打ち殺された事件がありました。伊藤君の話では住人が「freeze!」と警告したのを少年は「please」と聞き間違えて近寄って行ったために撃たれたのだそうです。ハロウインの悲しい事件でした。






大阪市西区立売堀

2016年10月20日 | 地名・地誌
ここ暫らく大阪市立中央図書館に通っています。ここ市立図書館は当ブログが高校時代、「落ちこぼれ」て不登校になった時の駆け込み寺のような存在でした。その後もこの図書館は絶えず利用しています。図書館は西区北堀江にあります。その北隣の町名が「立売堀」です。大阪の代表的な難読地名で「イタチボリ」と読みます。
 立売堀は元和六年(1620)開削が始まり一時工事は中断しましたが宍喰屋次郎右衛門により寛永三年(1626)竣工しました。「立売堀」を一躍全国的にしたのがテレビドラマ「どてらいやつ」です。山善の創業者・山本猛夫が当時人気作家であった花登筺に自らの自伝を売り込み大ヒットしたドラマです。立売堀も長堀も埋め立てられて今は高速道路やマンションになっています。立売堀は「どてらいやつ」でも機械工具問屋の街となっていますが、その一世代前までは材木問屋の街でした。
「立売堀」地名解
◎この堀は一名「伊達堀」と呼ばれていました。これは慶元戦争(大坂夏の陣・1615)の折、伊達家の陣所となり、要害の地であったため堀切し跡を削り足して川とした、とあります(摂津名所図絵大成)。「伊達」を「ダテ」と読むのは漢字の音訓の知識だけではチョット困難です。字の読めない一般庶民が多かった時代、多少の物知りでも「伊達」は「イタチ」と読むのも無理からぬことです。「伊達堀」(ダテ堀)→(イタチ堀)が定着した、と云うのが一般的な地名解です。
◎「立売堀」の「立売」について次のような記録があります。元和末年の頃、土佐藩より幕府に材木市場開設の申請があり許可されました。そこで材木の「立売」(セリ)が行われたことにより「立売堀」と言われるようになった、と云うものです。

 上記の「伊達」「立売」説はネットでも紹介され一定の評価を受けて「立売堀」地名解として認知されています。ただ、地元の旧家の家伝にはまた別の由来があります。
◎この川は元「鼬堀」と称する、との伝承もあります。
◎この付近一帯の大地主であった西村家(阿波座)の家伝によると、西村家の所領、現在の新町に遊郭が作られた際に妓楼の懇請により西村家の所領地を割売りしたことから「断売」(タチウリ)或いは「居断」(ヰタチ)堀と称したのが文字を誤って「立売堀」となった、とあります。


「ハドソン川の奇跡」と「超高速参勤交代リターンズ」

2016年10月05日 | 映画
今月の映画を観る会は「ハドソン川の奇跡」でした。
映画を観る会恒例の「感想コメント」発表は前回から行わないようになったようです。ほかの人がどのように感じたかを知るのも楽しみでしたが、取りまとめてネットにUPするのも大変なことで、世話役の方のご苦労もよくわかります。また、半ば強制的にコメントを求められる側にしてもなかなか気の利いたコメントを考えるのも億劫なことで中止も仕方ないことかもしれません。
この映画の見所は何といっても離陸して間もなく大都会ニューヨーク上空でバードストライクにより両方エンジンが停止、飛行高度の維持が出来なくなり、緊急着陸に迫られ最悪の条件下で熟達した機長の冷静かつ沈着にして素早い判断、最寄りの空港への着陸ではなくハドソン川に着陸する決断。どれ1ツが欠けても成功できないまさに奇跡の水面着陸、その僅か数分間の不安、緊張、そしてそのあり得ない厳しい状況下での熟達機長の操縦。そして奇跡の水上着陸後の幸運ともいえる定期フェリーが現場近くを航行していたことなどの救出劇。それらを映像でどこまでリアルに表現できるかが見ものです。
映画ではこの肝心のバードストライク以降の緊迫した状況を期待とは程遠い素っ気無い表現に終わっていました。
 現在、映画館の99%はデジタル映写です。また技術革新で素晴らしいCG技法でフイルム撮影の映画では考えられなかった表現が可能になりました。この映画もIMAXデジタルカメラで撮影されました。撮影秘話によると、ハドソン川に着水、救出の場面は飛行機を後で入れこむ空間をあけて撮り、それから、飛行機を別に撮影して合成したそうです。ハリウッドではストーリーよりも、ツールについての映画を作っているように思える、と監督クリント・イーストウッドは語っていますが、今回の映画に限って言うならば離陸から着水、救出劇をいかにリアルに緊迫感をもって表現するかが監督の腕の見せ所のはずです。奇跡を成し遂げたヒーローのはずの機長が事故調査委員会の査問にかけられたことをメインテーマに据えていますが、これこそ予定調和の見本のようなものです。観客は事故発生からの結末を十分承知しています。事故調査委員会の査問がどうなるかについても先刻ご存じです。それをストーリーに仕上げてどうするの?とお聞きしたい。新聞週刊誌、ネットで大評判ですが・・・。
 事故の後、調査委員会で検証こそ大切なことで、もし羽田空港で起きた逆噴射での海面墜落事故と同じことがあったのかどうか検証しなければ分からないことです。何か事故調のメンバー敵役にされていましたがピント外れでは・・・。
因みにNHK BSプレミアム「アナザーストーリズ」で「ハドソン川の奇跡 ニューヨーク不時着 世紀の生還劇」が放映されました。こちらはドキュメントですからいかにこの事故が奇跡的かを余すところなく伝えています。

 文句なく楽しめた映画です。こんな映画にグチャグチャ講釈するのは野暮というものです。この映画の脚本家・土橋 章宏は豊中市出身、豊中高校卒だそうです。当ブログも豊中に住んでいます。豊中市報にも登場、また各メディアにも頻繁に登場する人気者になったようです。
映画は先ほども言いましたように大変面白い映画でしたが、時代劇がこのような形でないと生き残れないのは残念なことです。今話題の「真田丸」で長澤まさみ演じる「きり」のセリフや立ち居振る舞いがトレンディードラマと全く変わらないと苦情が寄せられているようです。時代劇を作った職人、俳優たちが絶滅したら・・・。水戸黄門、大岡越前、・・などがチョンマゲ姿のトレンディードラマでしか作れない時代はちょっと寂しい。