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「ショウブ」地名考(5)植物名「アヤメ」と「ショウブ」

2022年09月29日 | 地名・地誌

大変ややこしいことを書きます。

アヤメと呼ぶ植物とショウブと呼ぶ植物があります。無論両者は全く違う植物です。ややこしいことに両者の漢字表記は「菖蒲」です。フリガナがなければ「アヤメ」なのか「ショウブ」なのかは分かりません。

古代(万葉時代)アヤメは安夜売具佐、安夜女具佐などの万葉仮名で表記されていました。漢字表記は菖蒲(アヤメグサ)です。

アヤメグサ

当時のアヤメグサは現代のショウブ(菖蒲)のことを指します。

万葉時代のアヤメグサ・現在のショウブ。

ショウブはサトイモ科に属します。アヤメと混同されますが、花は写真のように全く鑑賞の価値のないものだが葉に芳香があるのが特色。その香りによって病魔を打ち払い災厄から逃れられるというので端午の節句の前夜にショウブの葉を束ねて軒下に吊るし風呂にも葉を入れて菖蒲湯として入浴する習慣が生まれた。

サトイモ科のショウブは全国の池や沼のふちなどに群生する多年生草本。地下茎は太く白色が普通だが赤味を帯びるものもある。葉は幅が1~2センチ、長さが70センチぐらいで剣のような形をしていてよう香りがある。

ショウブ(アヤメグサ)の花は現在のアヤメのようなものではなく大変地味なものです。

肉穂花序(ニクスイカジョ)と呼ばれ淡い黄色で小花を密生させて毛筆の先のような姿です。為にアヤメグサは花を愛でる観賞用ではありません。

肉穂花序(アヤメグサ)の花

万葉時代のショウブ(菖蒲)・現在のアヤメ。

万葉集にはこの地味なアヤメグサ(菖蒲草)12首に詠まれています。12首の内11首は大伴家持で残り1首も家持と縁の深い田辺福麿のものです。

奈良・万葉貴族の大伴家持らが何故この地味な菖蒲草を斯くも愛で歌に詠んだのかは偏にこの菖蒲草の薬効によるものです。

 和漢古典植物名精解(木下著 和泉書院)第8章 僻邪に利用された植物各種第1節 「あやめぐさ」(ショウブ科ショウブ)を引用します。

「第1節「ぁやめぐさ」(ショウブ科ショウブ)

「万葉集」に「あやめぐさ」を詠む歌は十二首ある。そのうち、十一首は大伴家持ほかの奈良時代の貴族の歌であるから「あやめぐさ」は当時の庶民にとって縁遠い存在であったといってよい。集中の「あやめぐさ」はすべて「かづらにする」あるいは「玉に貫く」と詠まれ、いずれも大陸伝来の習俗を反映し、後述するように、揚子江流域の荊楚地方に源流がある。具体的には僻邪植物を緒に貫いて環状に結び、手や頭に巻くか頭に載せて鬘につくった。

この風習を、大伴家持を中心とした一部の貴族の間で風流を楽しむ趣向と考える説もあるが、「続日本記」の天平十九(七四七)年五月庚辰(五日)に「是日、太上天皇詔して曰ふ、昔、五月の節には、常に菖蒲を用ひて鬘を為れり。此來、此の事已に停む。今より後、菖蒲鬘に非ざる者は宮中に入ること勿れ。」(巻第十七)という記述があるように、決して単なる風流とは考えられなかった。

当時は天候不順で災害も多かったから、厄払いなら何でも受容するような社会的状況があったのである。

平安時代になると、「延喜式」巻第四十五の左近衛府に「五月五日藻玉料 昌蒲艾」とあるように、菖蒲、艾などを五色の糸で結び垂らした薬玉に形を変え、続命縷・長命縷といって長寿を祈願する風習に変質し、貴族社会に広く流行した。

 奈良時代に大陸から伝わった風習が貴族社会に受容され五月の節句として時代の変遷に伴い変容をしながら今日まで受け継がれており、年中行事として広く社会に定着しています。

しかし、近世までは「あやめぐさは当時の庶民にとって縁遠い存在であったといってよい」もので況し山間僻地の生活する庶民とは全く関係のない代物であったに違いありません。

そのような「アヤメ(菖蒲)」が地名として成立するとは考え難いのが妥当だと思われます。

 

 

 

 

 

 

 


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