馬糞風リターンズ

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ワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)に行ってきました。

2012年04月28日 | 大衆演芸
ワッハ上方は民間の商業ビルに入っています。吉本興業の本拠地なんばグランド花月の前にあります。
やはりテナントビルの家主は吉本興業です。大阪府(ワッハ上方)は吉本の店子と言うことになります。
 ヨシモトの芸人でもあった元大阪府知事・横山ノックの置き土産です。
橋下徹が府知事になった時、府立博物館(弥生、狭山池、近つ飛鳥)の統合、吹田市万博公園の児童文学館の廃止それにワッハ上方の統廃合などの「花火」を打ち上げました。今の所、児童文学館が廃止されて東大阪の中央図書館に移転しましたが、他の施設は従来通り運営しているようです。

 ワッハ上方は時間潰しにはもってこいの穴場です。一度行かれることをお勧めします。

イラストレーター中西らつ子の原画展が開かれています。この種のらつ子さんの展覧会は3度目です。
 

中西らつ子プロフィール 箕面市在住。夙川学院短期大学美術科卒業。 1993年イラストレーターとして活動開始。新聞、雑誌、テレビで活躍。 落語や文楽のイラストや漫画を描くことが多く、 毎月発行の落語情報誌『ょせびっJの表紙 イラストと漫画を担当。
 チョッとした繋がりでらつ子さんの知り合いの方と一緒に観覧しました。
イラスト作品によって、上方落語の魅力を楽しく、わかりやすく伝える展示を目指し、落語すごろく(第1回)、落語紙芝居(第2回)、落語かるた(第3回) と好評を受けて回を重ねてまいりました。 そして4回目となる「第57回特別展・らくごとぶんらくでイラスト紙芝居 -上方落語と文楽の橋渡し!! - 」では、上方落語と同じく、大阪が誇る古典芸能として今なお多くの観客を魅了してやまない文楽にもテーマを広げ、 落語と文楽をイラスト紙芝居で表現する特別展を企画しました。 上方落語には文楽(浄瑠璃)が重要なモチーフとして登場する噺がいくつもありますが、上方だけでなく東京落語でも上演される人気の演目「寝床」を 落語イラスト紙芝居の8作目として、文楽の『本朝廿四孝」「本朝二十四孝」)を はじめての文楽イラスト紙芝居としてそれぞれ描いていただきました。
展示資料は、イラスト紙芝居の原画と、公演ポスターや雑誌などに発表された落語・文楽をテーマにした作品約200点(絵画・ポスター・紙芝居・ かるたなど)を中心に、子ども向けの落語と文楽を紹介したパネルなども展示いたします。

馬齢を重ねること68年。

2012年04月25日 | 日記
私事ながら今日4月25日は当ブロガーの68歳の誕生日です。
昭和19年 4月25日、兵庫県西宮市本町で生れたそうです。その約1年後、西宮大空襲で罹災、大阪市阿倍野区阪南町に避難、両親は仮住いの心算であったのが結局15年間の長屋住まいになりました。お陰で今宮高校が校区であったので皆さんとの出逢いがあった訳です。
 生年月日が全く同じの同級生伊藤さんも当ブロガーの名前も共に靖雄・靖男と言いますが、この名前の言われは以前に当ブログで紹介したことがあります。
 家族が「お祝い」と言って某ホテルの抹茶ケーキを買ってきてくれました。
あと何回この儀式をするのか・・「・・・目出度くもあり 目出度くも無し」

そんな今日、今高畑田会改め今高イチゴ会(ゴルフ)の次回コンペ打ち合わせを兼ねたミニ会合の誘いがありました。4組から15期に広がる第1歩になればと期待しています。

夕方TV、MBS「ちちんぷいぷい」で琵琶湖岸高島市マキノ町の貸し民宿を紹介していました。琵琶湖 海津大崎|貸別荘 四季亭」早速、仲田さんに連絡しました。
前から、琵琶湖西岸を1泊程度のウォーキング兼旅行を提案していましたので・・・。何れ仲田さんの方から奥琵琶湖散策のお誘いが4組掲示板に掲載されることと思います。

 同じく、夕方郵便物を整理していると吹田・万博公園にある民族学博物館の特別展示「今 和次郎採集講義・・考現学の今」の解説書類と特別展招待券10枚が送られてきました。
以前、4組のミニ同窓会を万博公園で行ったときに同博物館の名誉教授の先生が、皆さんを案内して、4組の仲の良さに感心して
送ってくれたようです。
 この件は、近日中に4組HPにお誘いの告知をしたいと思います。
その折には、是非お誘い合わせてご参加ください。


琵琶湖、坂本・海津大崎の桜を見てきました。

2012年04月19日 | ドライブ・旅行
今年は「桜」の当り年のようです。
先週から大阪城の桜、岐阜墨俣一夜上の桜、奈良大宇陀の又兵衛桜、また葛城古道の桜と正に桜、桜・・・の毎日です。

今日は近江坂本の桜を見に行きました。
 

例によって「鶴喜」のそばで腹ごしらえをして満開の桜を楽しみました。
竹林院では四代目高橋松山「大津絵展」が開催されていました。伝統的な絵柄の大津絵100点が展示してありました。
 

天気予報では午後から崩れる、とのことで坂本で帰る予定でしたが、春爛漫、空模様も一向に変わりそうにないので湖西を更に北上。堅田の浮御堂~安曇川「近江聖人・中江藤樹記念館」~マキノ海津大崎の見事な桜を堪能してきました。
海津大崎から延々数キロ湖周道路は桜のトンネル。

週末は雨のようで、さすがの今年も名残の桜も散ってしまうかもしれません。
でも、ひょとして奈良室生・大野寺の桜を見れるかもしれません。

敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花

葛城古道ウォークに参加。珍しい郷土食「あかねこ」

2012年04月17日 | 雑学
16日(月)まずまずの天候、葛城古道ウォークに車で伴走しました。
詳しくは4組HPに掲載されると思いますのでそちらをご覧ください。

今年は桜の時期が長いので4月中旬を過ぎてもまだ桜が彼方此方で楽しめます。
ここ葛城丘陵も品種によっては今が満開のものもあります。九品寺境内の見事な桜です。


先回りして鴨山口神社で皆さんを待っていたら、同年輩の歴史愛好家の一行が参拝に来ました。
この一行は鴨都波神社でも会いました。きっと古代氏族「カモ族」に関連する史跡を廻っているのだと思います。

ウォークの目的は、体力維持・健康増進が第一義ですが、単に歩くだけでは単調になり長続きしませんので、興味のある歴史や自然、街並みや景観を眺めながら歩くことになるのだろうと思います。

逆に地名や歴史が主眼で対象の地に現地調査などに入ると興味の対象を追い求めて地を這うように歩き回るはめになってしまうことがあります。特に民俗調査などはもう既に多くのものが消滅しているので地元の人より詳しくなるくらいに調査エリアを歩き回ります。それでも過去の調査報告や伝承になってしまった民俗行事が殆んどで実際に見聞きし体験することはありません。

一言主神社境内で昼食をとりました。
そこで、太田夫妻から手作りの「あかねこ餅」が振る舞われました。

「あかねこ」は本や話では聞いていましたが実物を食べれるなど思いもよらないことです。
 雨がふれば、水溜りが出きる地道で、木の電柱に鼻輪で繋がれた牛が、尻尾で蝿(はえ)を追い払う、そんな風景も特別ではなかったジブン。牛で田を鋤(す)き、馬鍬(まんが・まんがん)をかき、棕櫚縄(しゅろなわ)で、田を区切り、束(そく)った苗をほうり投げたのを、横一列で腰をかがめて手植えしました。田植えの終わった畦(あぜ)には、大豆と小豆を交互に植え、いい雨と夏の日照りそして秋の豊作を願い、そして無事終わったのを感謝し骨休めを兼ねて餅米と小麦で半夏生(はげっしょ・はんげしょう)についたお餅を『あかねこ餅』と言います。黄な粉をまぶして食べます。」

「アカネコもち」のいわれにも諸説があります。
「あかねこもちは、農繁期の合間やお祝いの時に食べるお餅です。昔は麦をこねて作ったので、出来上がりが赤くなったところから「あかねこもち」と言われるようです。」とあります。
しかし、もう少し専門的な調査書には「半夏至だんごは、小麦のカスを付けたまま粉砕器又は臼でひいた小麦粉を使います。蒸籠の上に餅米を敷き、その上に半夏至の小麦粉(少し薄い小豆色の粉)を練って小分けをしてのせます。それを蒸したものを杵でついた後、きな粉を敷いたもろ板のうえに杵でついた餅をおきます。この姿があかねこが座った姿に似ているところからこの餅を『あかねこ』とよびます。この時に数日で食べ終わるものは、ちぎってだんごにして、「田植えがすんだ(終わった)よって半夏至のだんご作りました」と言って、親戚などへ持って行ったり貰ったりしました。
保存するものは、そのまま壷の中へ入れます。何日かするとカビが生えるので上のカビをこさぐ(削る)ように取り、食べるときに食べる量だけ取ってだんごにし、きな粉を付けて食べます。この発酵した『あかねこ』は特に美味しくこの味を『ヒスイ』といいます。ヒスイとは松原の方言で酸っぱいの味をまろやかにした味で、みかんはスッパイといい、あかねこはヒスイ味と表現します。ヒスイは麹の味がします。ちなみに『しがつさんにち』と『春ゴト』のアエモチ、草餅は小麦粉を使用しませんが、正月の『あも』(もち)で『こむぎだんご』(おかき用の餅)は小麦粉をいれました。また半夏至の日は蛸ごはんを食べるところもありました。何故か判りませんが、この日に蛸ご飯を食べると稲の生育が良くなり、収穫が増えるとの言い伝えがあります。」とあります。

 本や話では聞いていた「アカネコ」を実際に食べれるなんて・・・感動しました。







葛城古道の難解地名「櫛羅」

2012年04月14日 | 地名・地誌
16日(月)に「葛城古道ウォーキング」があります。
4組HPにコース案内の地図がリンクされています。
当日、ウォークでも立ち寄る「鴨山口神社」の少し上に「櫛羅」と言う字地名があります。
この「櫛羅(くじら)」という地名は難解地名として知られています。
山国で海のないこの地区にクジラという地名があることで様々の地名解があります。

素朴に「太古、このあたりは海でクジラが泳いでいた」という説も当然のようにあります。
地球誕生からの歴史、地質時代のタイムスケールとたかだか1万年程度の人類の文明史とでは比較する対象が違いすぎるように思うのですが・・・。

 この地の地名説話があります。

登山口から10分程の所に「櫛羅の滝」があります。この滝は「一の滝」「不動の滝」「尼ヶ滝」等とも言われる。
そこに写真のような御所市観光協会が設置した「櫛羅」の地名説話を紹介した説明板があります。
「弘法大師がこの滝を訪れた時、この滝が天竺のクジラの滝に似ていることから供尸羅(くじら)滝と名づけ、それが地名の元になった。ただし、供尸という字は「供に屍」と書くので良くないと、領主の永井信濃守が「櫛」と改めた」と言うようなことが書いてあります。
 各地に伝わる地名説話がそうであるように、ここでも「後付け」で話としては面白いのですが信憑性に欠けます。

「クジラ」地名解
クジラと言う地名はそれほど珍しい地名ではなく、全国(北海道から沖縄)に分布しています。
勿論、長崎県五島市の「鯨埼」の様に文字通り「鯨」が回遊してくる事から付いた地名もあります。

 もともと「クジラ」「クシ・串」などは和語の「くじく」「くずれる」「ぐじぐじ」等、窪地・えぐり取られた・崩れたなどをあらわす崩壊地名です。
葛城の「櫛羅」もその語源とされる「櫛羅の滝」近辺の地形などを実際に見れば葛城山系の湧水や急斜面・脆い花崗岩地質など地滑り・崖崩れの痕跡などが彼方此方で見ることができ、崩壊地名が肯けます。

 余談ながら、ウォークコースの崇道神社は、早良親王(さわらしんのう)を祀った神社です。
早良親王は、桓武天皇の同母弟で藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近で憤死しました。
早良親王の死後、桓武朝内で不吉な事件事故が続き、早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。延暦19年(800年)、崇道天皇と追称されました。
菅原道真と共に御霊信仰の代表的な早良親王を祀ったのが崇道神社です。


7組とコラボ・地歴部の仲間と会食。

2012年04月10日 | 日記
8日(日)、地歴部の仲間と会食をしました。
やっと気温も平年並みに上昇して、幸いにも桜が満開になった大阪城を見下ろすKKRホテル12階のレストランで昼食をともにし楽しみました。

ホテルは「桜祭り」と銘打ったサービスを行っていますが、お日柄も良かったのかこの日は12組の結婚披露宴があったようです。

他にも同窓会が行われているようで、ロビーは大混雑です。それにちょうど見ごろを迎えた大阪城の花見客も立ち寄る盛況で駐車場もホテル利用かどうかを確認して1台、1台入庫させる混雑ぶりです。

懐石料理は薄味で大変美味しいものでした。

料理にも堪能しましたが、ここからの眺望にも堪能しました。

機会があれば菖蒲の頃、今度はもう少し人数を増やして楽しめればと思います。

徳永さん、木戸さんはご存知のように自治会活動で活躍し、自治会長を務めました。2人とも大阪大学に進学後、それぞれ学究の道を進み、徳永さんは阪大教授、木戸さんは民間製薬会社の研究員として「創薬化学」の分野で貴重な成果を残しました。
 この席になぜ僕がいるのか自分でもよく分からないのですが、多分同窓生・クラブの仲間という空間を経験していなければ、交差することのない人生を送っている3人だと思います。

 70歳を前に、単なる老人になってしまえばみんな同じかもしれません。
木戸さんは、マラソンに挑戦しており、つい最近行われた徳島県での10kmマラソンでは「壮年の部」72人中52位で1時間00分14秒の記録だったそうです。目標の1時間切りに僅か14秒及ばなかったのですが、参加人数が多いためスタートに30秒以上かかったので、実質1時間切りは達成したそうです。





「今宮畑田会ゴルフ」は「イチゴ(15)会」に変わりました。

2012年04月02日 | 日記
3月28日(水)第7回今宮畑田会ゴルフコンペに参加しました。
今回は4組以外からも多くの同期生が参加しました。ゴルフコンペは同窓会モードで大変楽しい会になりました。

今回も仲田君の介添えで何とかラウンドアップできました。でも、やはりゴルフをやり切るのは無理のようで、これ以上続けると皆さんに迷惑をかけるので退場しなければ・・・、と思っていたところ「ブービー」になったので会の規約で、優勝者とブービーが次回の幹事を務める為、次回までは参加しなければなりません。

 今回、4組の枠を超えて15期生が集まり、さらに広がるようです。それを受けて、今回の幹事・仲田君から「今宮畑田会」を「イチゴ会」に名称変更する提案があり了承されました。「イチゴ」とは「15期」の語呂合わせでなかなか気のきいた名前です。
 それを受けて、4組HPの掲示板も「15期」の掲示板に変更されました。いづれ4組のHPを核に15期全体のHPに広がる第1歩になると思います。
そこで、当ブログも今高4組のHPに不似合いな「馬糞風」から「イチゴ ハクションをもう一度???」と15期に相応しい(?)ものに変更しました。また、今までアップしてある記事で似つかわしくない内容の記事を可なりの数削除しました。
条件が整い次第、今高関連以外のものは早急に削除します。

 削除した記事で「人気(?)」の記事もありますので、本来の「馬糞風」に引っ越し準備が完了し次第そちらに移し、当ブログは今高関連の記事のみの掲載にしたいと思っています。
ただ、ゴルフにしても葛城古道ウォークにしても20名前後の参加者があり、まだまだ参加者が増えそうな勢いです。
4組HPも含めて生意気にも「応援」など必要なくなったようで、当ブログの役目も終わったようです。
 ゴルフを退場する時期頃に当ブログも退場することになりそうです。