「阪急電車 -片道15分の奇跡ー 」という面白い映画がありました。阪神間で活躍されている方々なら説明の必要もないのですが、映画・阪急電車は何本かある路線の内西宮北口から宝塚駅までを結んでいる「阪急今津線」が舞台になっています。その今津線の中間にあるのが「仁川」です。「にがわ」と読みます。阪急沿線・甲南エリアの高級住宅地として人気のある地域です。
「仁川」の地名解
1)、二川・・・本流の武庫川に流れ込む支流の2本の川。
2)、贄川・・・ニエガワ。この川の流域に贄部(ニエベ)が住んでいたという伝承から。(参照)
3)、新川・・・新しく出来た川「ニイカワ」が訛って「ニガワ」となった説。
4)、滲み川・・この川は「雨が降らないと水が滲むほど」から「ニジミガワ」⇒「ニガワ」
以上の4説はいずれも「ニガワ」の音意からの着想で然したる論拠があるわけではありません。ただ、(2)贄川説は顕彰に値する資料が存在します。が、地名論は往々にして「言った者勝ち」と云うことがよくあります。
5)、用字からの解釈
音意からではなく「仁川」の用字から解釈を試みた地名解もあります。勿論、コレにも幾つかの解釈がありますが、今回は「井」と「仁」に関わる仮説を紹介します。
図・仁川の用水路をもう一度見てください。そこに「井ノ口」「湯元」「百合野」と云う地名に注目してください。この地域では「用水」のことを「井・ユ」と呼んでいます。仁川は重要な生活用水、農業用水であったので古くから「井川」と呼び習わしていた。そこで「井川」がどうして「仁川」に変わったのか?論者は「井の字を崩せば縦棒が二本、横棒が二本であるが、左の縦棒はノのよに下に左折れしている。従って縦棒を二つ組み合わせればイとなり、にんべんとなる。つまり井を崩すと仁に転じる」と論じています。しかし、上の草書字典で見て分かるように井を崩しても仁にはなりません。この説明は強引に過ぎるようです。
しかし、井が仁に転じた可能性は高いと思われます。その過程は以下のように解釈すればすっきりするのでは。先にも述べたように「井」は「ユ」と発音されこのエリアには「井ノ口・ユノクチ」「湯元・ユモト」の地名が現存しています。この「ユ」は「湯」ではなく用水の意味です。「井川。ユ川」⇒「ニ川」⇒「仁川」と誤って転記されたのでは・・。
「仁川」の地名解
1)、二川・・・本流の武庫川に流れ込む支流の2本の川。
2)、贄川・・・ニエガワ。この川の流域に贄部(ニエベ)が住んでいたという伝承から。(参照)
3)、新川・・・新しく出来た川「ニイカワ」が訛って「ニガワ」となった説。
4)、滲み川・・この川は「雨が降らないと水が滲むほど」から「ニジミガワ」⇒「ニガワ」
以上の4説はいずれも「ニガワ」の音意からの着想で然したる論拠があるわけではありません。ただ、(2)贄川説は顕彰に値する資料が存在します。が、地名論は往々にして「言った者勝ち」と云うことがよくあります。
5)、用字からの解釈
音意からではなく「仁川」の用字から解釈を試みた地名解もあります。勿論、コレにも幾つかの解釈がありますが、今回は「井」と「仁」に関わる仮説を紹介します。
図・仁川の用水路をもう一度見てください。そこに「井ノ口」「湯元」「百合野」と云う地名に注目してください。この地域では「用水」のことを「井・ユ」と呼んでいます。仁川は重要な生活用水、農業用水であったので古くから「井川」と呼び習わしていた。そこで「井川」がどうして「仁川」に変わったのか?論者は「井の字を崩せば縦棒が二本、横棒が二本であるが、左の縦棒はノのよに下に左折れしている。従って縦棒を二つ組み合わせればイとなり、にんべんとなる。つまり井を崩すと仁に転じる」と論じています。しかし、上の草書字典で見て分かるように井を崩しても仁にはなりません。この説明は強引に過ぎるようです。
しかし、井が仁に転じた可能性は高いと思われます。その過程は以下のように解釈すればすっきりするのでは。先にも述べたように「井」は「ユ」と発音されこのエリアには「井ノ口・ユノクチ」「湯元・ユモト」の地名が現存しています。この「ユ」は「湯」ではなく用水の意味です。「井川。ユ川」⇒「ニ川」⇒「仁川」と誤って転記されたのでは・・。