馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

地名の話・・・・「仁川」

2015年11月21日 | 地名・地誌
阪急電車 -片道15分の奇跡ー 」という面白い映画がありました。阪神間で活躍されている方々なら説明の必要もないのですが、映画・阪急電車は何本かある路線の内西宮北口から宝塚駅までを結んでいる「阪急今津線」が舞台になっています。その今津線の中間にあるのが「仁川」です。「にがわ」と読みます。阪急沿線・甲南エリアの高級住宅地として人気のある地域です。

「仁川」の地名解

1)、二川・・・本流の武庫川に流れ込む支流の2本の川。
2)、贄川・・・ニエガワ。この川の流域に贄部(ニエベ)が住んでいたという伝承から。(参照
3)、新川・・・新しく出来た川「ニイカワ」が訛って「ニガワ」となった説。
4)、滲み川・・この川は「雨が降らないと水が滲むほど」から「ニジミガワ」⇒「ニガワ」
 以上の4説はいずれも「ニガワ」の音意からの着想で然したる論拠があるわけではありません。ただ、(2)贄川説は顕彰に値する資料が存在します。が、地名論は往々にして「言った者勝ち」と云うことがよくあります。
        

5)、用字からの解釈
   音意からではなく「仁川」の用字から解釈を試みた地名解もあります。勿論、コレにも幾つかの解釈がありますが、今回は「井」と「仁」に関わる仮説を紹介します。
 図・仁川の用水路をもう一度見てください。そこに「井ノ口」「湯元」「百合野」と云う地名に注目してください。この地域では「用水」のことを「井・ユ」と呼んでいます。仁川は重要な生活用水、農業用水であったので古くから「井川」と呼び習わしていた。そこで「井川」がどうして「仁川」に変わったのか?論者は「井の字を崩せば縦棒が二本、横棒が二本であるが、左の縦棒はノのよに下に左折れしている。従って縦棒を二つ組み合わせればイとなり、にんべんとなる。つまり井を崩すと仁に転じる」と論じています。しかし、上の草書字典で見て分かるように井を崩しても仁にはなりません。この説明は強引に過ぎるようです。
 しかし、井が仁に転じた可能性は高いと思われます。その過程は以下のように解釈すればすっきりするのでは。先にも述べたように「井」は「ユ」と発音されこのエリアには「井ノ口・ユノクチ」「湯元・ユモト」の地名が現存しています。この「ユ」は「湯」ではなく用水の意味です。「井川。ユ川」⇒「ニ川」⇒「仁川」と誤って転記されたのでは・・。







平櫛田中美術館(岡山県井原市)へ行ってきました。

2015年11月07日 | ドライブ・旅行
6日(金)朝起きると絶好のドライブ日和。山陽自動車道で岡山県井原市目指しました。片道230kmのドライブです。

  
田中美術館             中国地方の子守唄

  
田中美術館横の田中苑公園の楷の樹の紅葉  田中揮毫の記念碑
田中美術館内は写真撮影禁止でした。美術書でお馴染みの作品展示は息を呑み圧巻そのものです。また田中の書も見応えがあります。九十八歳の時「いま やらねば いつできる わしが やらねば たれがやる」の書も豪快で力強い筆致です。燻し銀の渋さや枯れた風情などと老いの弱弱しさを持ち上げる嫌いがありますが、当ブログはどうも納得できない面があります。その点田中のそれは本物の力強さがほとばしっています。田中美術館では第27回平櫛田中賞受賞記念特別展「黒蕨 壮展・木による情念の追求」が開催されていました。
井原市にはもう1つ大きな美術館があります。「華鴒大塚 美術館」で落ち着いた見ごたえのある庭園があります。日本画ビッグネームの作品が並んでいます。ゆったりとした時間を楽しむことが出来る場所です。井原市には他に郷土資料館(銅鐸・銅鏡がみもの)、源平合戦で名をはせた弓の名手・那須与一、戦国武将・北条早雲所縁の場所があります。
  
笠岡市街をブラブラ散策。笠岡諸島遊覧船桟橋。
当ブログが新米サラリーマンの頃、鶏糞焼却炉設置で交渉があった社長の住宅兼工場は廃屋になっていました。
往復500kmの日帰りドライブでした。