馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

伝統的な色彩。

2016年07月25日 | 歴史
万葉の時代から日本人は四季に応じて繊細な色彩を生み出してきました。そしてその色の名前も直裁的ではなく豊かな感性に根ざしてつけられています。伝統的な日本の色彩は呼び名すら分からないものも沢山あります。同じ系統色でも実に微妙でヴァリエーションが沢山あります。
 当ブログは連作として平安貴族を描いてきました。
参考にしている日本画の写真集や当時に衣装、染色などの本などには結構「鶯色」が出てきます鶯色といっても可也のヴァリエーションがあるようで、当ブログは「鶯茶緑」(吉祥 26)を使用しています。鶯色の衣装が平安時代のあったのかについてはどうも判然としないのです。


ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣、百人一首17番の歌です。からくれない=韓紅とは「紅花で染めた濃い紅赤色のことです。奈良時代には「紅の八塩」と呼んでいました。八塩とは八回染め重ねるの意で濃染のことをいいます。「呉の国からやってきた染料」という意味の「呉藍(くれあい)」が紅という色目に転化しました。平安時代には濃い紅花の赤色は、舶来の赤の意味と美しさを強調するために「唐紅、韓紅」となったといいます。ちなみにここでの「韓」の字は朝鮮半島の三韓ではなく、紅花の産地であった中国を意味しています。」
    

 雨はふるふる 城ケ島の磯に 利久鼠の 雨がふる 雨は真珠か 夜明けの霧か それとも私の 忍び泣き
北原白秋作詞の「城ヶ島の雨」です。「利久鼠てどんなネズミ?」と動物図鑑を開いてはいけません。、「利休色」という言葉があります。千利休が好んだと伝えられる暗い緑みの茶色のことです。同じく利休鼠とは緑みがかった中明度の灰色です。千利休の名を借りた色名で、粋好みの江戸人に愛好されたと思われます。そのクールで微妙な色調が好まれ、明治後期にも流行色として再登場したそうです。「城ヶ島の雨」で歌われた「利休鼠の雨」とは「暗い緑に灰色をまぶしたような雨」「陰鬱な雨」の表現とされています。歌詞としての「利休鼠」は「リキュウネズミ」ですが染料業界や色の名前としては「リキュウネズ」というそうです。(りきゅうねずみと読むのは誤り。)なお、白秋は「休」の字を忌み「久」を用いたと言われています。

「憲法黒」の由来は意外なものです。京都一乗寺下り松で宮本武蔵と決闘し破れたのが吉岡道場一門です。吉岡道場と武蔵は三度にわたり決闘しています。最初が清十郎との洛北蓮台寺野。二度目が三十三間堂における伝七郎(清十郎の弟)、そして最後が一乗寺下り松の決闘で、相手は清十郎の嫡子又七郎を奉じた七十名余の門弟たちであったといわれる。吉岡一門は、京都の兵法家・吉岡憲法(けんぽう)を開祖とする剣法の一派で、足利将軍家の兵法で師範を務めた名門です。武蔵との決闘のその後、吉岡家は紺屋を始めたそうです。そして独特の「黒染」を開発し評判となったようで、その黒染のことを「憲法黒」と呼ばれ黒染の代名詞にもなったそうです。


奈良県葛城市・・・・・

2016年07月20日 | 雑学
古代史が面白くなる「地名」の秘密 八幡和郎著 洋泉社の1項に〈葛城王朝の「葛」と葛※城市の「葛※」の字が違うわけは?〉がありました。 
   
初期大和朝廷の最有力豪族・葛城氏に関わる何か重大な事柄でも書かれているのかと興味津々で読みました。答えはごく簡単で、平成の大合併で北葛城郡に登場した新しい市の名前を公募した時に「葛城市」なったのですが、当時のワープロでは簡略体の※字体が出やすかったため、市民の利便性を考慮したためだったそうです。所が、JISコード変更などが行われて、現在は※字体をパソコンで出すのは大変難しくなりました。
「葛」の字体は幾つかあるようで字体による違いはないそうです。
葛城市役所のHPにはその経緯と取り扱いについて説明されています。

そこで気になったのが「男はつらいよ」の舞台となっている「葛飾柴又」です。ここでも「葛」の字体についていろんなん議論が行われているようです。
葛飾区役所HPネットでの書き込み質問コーナーなどがあります。
 歴史上の経緯や漢字自体の問題ではなく、パソコンの変換という今時の問題でした。


アートギャラリー・ヒルズワン

2016年07月15日 | 日記
7月12日(火)~7月17日(日)動物写真家・小西まこと「フクロウと森の仲間たち」写真作品展が開催されています。
小西まこと・展示作品作品

今回のゲスト作家は、ドライフラワーリース・吉本美佳、ブリザードフラワー・フロリスト花音:中原厚子、バードカービング・谷平正男と

おおさか・すいたハウス木工班の皆さんです。おおさか・すいたハウスは有意義な社会貢献をしている公益財団で、最近情報番組でも大きく紹介されたことがあります。この活動を様々な立場で支援するボランティアがあるそうです。その1つが木工班です。コンクリート壁、スチールの家具など潤いのない部屋を少しでも和むようにと、プラスチックの時計ではなく木の文字盤の時計や木製の置物などを作成して患者家族を支援しているそうです。たまたま、今日午前中にバザーがあったそうで、終了後、多くの方が展示品を携えて来場されました。販売目的ではありませんが、収益金は全額支援の為寄付するそうです。

皆様のご来場をお待ちしております。


参議院選挙・・・。投票したい人がいない・・・。

2016年07月10日 | 時事問題
今日は参議院議員選挙の投票日です。選挙の前から自民党の圧勝との予想でした。注目点が「自民党単独過半数確保なるか」「改憲勢力が3分の2獲得するか」と言う勝敗をどうのこうのレベルでの興味ではありません。奇しくも今日から大相撲名古屋場所が始まりました。大相撲に例えれば横綱・白鵬に平幕か十両の力士が立ち向かっているような哀れさです。
 投票場に行きましたが、・・・・誰が立候補して何を公約しているのか、・・・お叱りを頂くかもしれませんが当ブログは全く関心事ではないので・・・。でも放ておいても当選する自民党に入れる気もせず、宗教色の強いところはご遠慮申し上げ、共産党や維新などとは主義主張が違いますし、・・・・となると・・・。
結局、棄権ではなく白紙投票しか選択肢がありません。選挙というのは普段のストレス解消に行う一大セレモニーですが、ストレス解消とはならなかったようです。
 でも、報道関係、新聞・ラジオ・テレビ、広告会社、・・・・・選挙が一種の公共事業のようになっている業界の人々の飯の種か?そして日本の民主主義はこうして守られたのです。日本人は賢明です。戦後、何回となく「国論を二分する」選挙がありました。しかし、結果から振り返ると日本人は賢明な選択をし、安定した穏やかな国柄を築きました。今回も大きくは間違いのない選択が行われたと思います。



「帰ってきたヒトラー」を観ました。

2016年07月05日 | 映画
今月の「映画の会」はドイツ映画「ヒトラーが帰ってきた」です。先月はオランダ映画「素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店」でしたが、2ヶ月連続のヨーロッパ映画でしかも両作品ともコメディーです。
 前回も痛烈に感じたのですが「言葉が分からない」のは決定的に作品を理解できないということです。恐らく「幕字」とはかけ離れた、軽妙な言葉のやり取り、その国の生活習慣、文化・宗教的背景が画面ではチグハグな状況を表現しているのだと思いますが、当ブログにはそこのところが全くわからないので「何がそんなにおかしいの?」となってしまいます。現に、今日の映画でも全くおかしくもなんともない場面ですが、外国人のカップルは「クスクス」と声を上げて笑っていたそうです。
 戦後70年、日本でも戦争時代を体験した世代が少なくなり、時間の経過と世代交代で当時のことが歴史の1ページの出来事となりつつあります。ヒトラーを風刺した映画はチャップリンの「独裁者」などがありますが、今までは全てドイツ以外の外国で製作されています。
ドイツではヒトラーを礼讃したり、ナチスの意匠や出版物を流布すると民衆扇動罪(ドイツ刑法第130条)で違法とされています。これは「戦う民主主義」(民主主義を否定することを認めない民主主義)と呼ばれているそうです。そんなお国柄のドイツで今回制作された「帰ってきたヒトラー」はかなりのリスクがあったものと想像します。何故コメディーなのかの理由もここのところを押さえれば首肯できました。ただ、そうとは言えヒトラーのコスチュームで全くヒトラーになりきった役者が街頭で一般のドイツ人にインタビューをする事を受け入れているドイツの今の歴史観には少し驚きました。やはり時間がある程度客感的に過去を見つめる冷静さを与えたのかも知れません。
話が飛びますが、昨夜ネットで小説「ヒトラーが帰ってきた」(上・下)を注文しました。今日映画を見終わって帰宅すると本は既に届いていました。これにはチョッと驚きました。

ヒトラーは表面上、合法的に権力を手中に入れます。それも熱狂的にドイツ国民に歓迎されてのことです。

 映画の最後のシーン。人気絶頂のモノマネ芸人と思っていたヒトラーは、実は本物のヒトラーがタイムスリップしてきたと気付いたテレビマンが「これはやばい」とヒトラーを射殺します。が、次の瞬間、背後に再びヒトラーが現れます。「やばい」と気付いた時にはヒトラーは人々の心の中に入り込んで生き続けることになったようです。