馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

ミツバチの家探し。ミツバチはなぜ、常に最高の住処を選び出せるのか?

2014年06月20日 | 昆虫・ミツバチ
当ブログの飼っているミツバチが分蜂したことを書きました。丁度この時期(晩春から初頭)にミツバチは分蜂(巣分れ)します。
巣に新しい女王蜂が誕生すると、蜂群=コロニーの大多数、1万匹ほどの働きバチは現女王蜂と共に飛び去り、新しいコロニーを作ります。養蜂家にとっては飼っているミツバチが分蜂することは大変な打撃となります。当ブログのようにタマタマ分蜂群をそっくり回収できることは全くの偶然でラッキーとしか言いようがありません。
 チョッと負け惜しみになるかもしれませんが、ミツバチの生態そのものに興味がある当ブログとしては分蜂した一群のその後の行動に強い関心がありましたが、今回はミツバチの自主的な住処選びの様子は観察することはできませんでした。「知っている」と言うことと「実際に体験した」こととは、全く違うものです。幾ら海外旅行のパンフレットを見て熟知したつもりでも、実際に現地に行くのと行かないのでは、その差は語るべきもありません。
  
ミツバチは人類以外で最も研究されている生き物です。その文献・レポートは2万とも3万とも言われる膨大な件数に上ります。そのミツバチ研究の画期を作ったのがカール・リッター・フォン・フリッシュです。彼はミツバチの研究を通して動物行動学という学問分野の創設に大きな功績を残しました。その功績により1973年ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。現在、我々が常識のように思っているミツバチの8の字ダンスを見つけたのも彼の功績です。古典的名著「ミツバチの不思議」は一般教養としても必読の書です。一読をお勧めします。
分蜂したミツバチは木の枝に集まって「あごひげ」のような塊を作り、数時間から数日間一緒にぶら下がっています。この間、分蜂群の中の最年長の数百匹の探索蜂が新しい住処を探しに飛び立ちます。探索蜂が見つけてきた新しい住処の各候補地を、ミツバチたちは実に民主的に合理的に評価し決定します。そして、候補地が決定すると1っ匹の反抗も無く全群一斉に新しい巣に移動します。肝心なことは、この新しい巣は、各探査蜂が見つけてきた候補の中で最良の巣であると言うことです。

 この研究はフリッシュの弟子のマルティン・リンダヴァーに始まり、その先駆的研究と彼の知見が基礎になっています。
「ミツバチの会議」の著者・トーマス・シーリーは、リンダヴァーを師と仰ぎまた親しい友人でもあったようです。「ミツバチの会議」は原題を「HONEYBEE DEMOCRACY]といいます。シーリーの「ミツバチの会議」はリンダヴァーやその他の研究者が様々な科学雑誌に分散して掲載されている知見を総合的にまとめ、彼自身の研究成果とを併せて系統立てたものです。
 分蜂群が新しい巣を決定するプロセス、メカニズムはかなり専門的なこともあり割愛せざるを得ませんが「分蜂群の意思決定は、選択肢の一つが閾値レベルに達したとき」決まる、と言うことのようです。

 「狂気は個人には稀だが・・・・・集団においては・・・常態である」(ニーチェ)
ミツバチの分蜂群が優れた判断をしていると言う事実は、集団IQ(知能指数)を高める方法が現実にあることを示しています。
ミツバチの意思決定にはリーダーは存在しません。人間の集団には必ずリーダー或はリーダー的存在があります。リーダーシップを発揮して、などと強力なリーダーシップを期待する向きも多いのですが、それは必ずしもその集団にとって最良の選択になるかどうかは別物です。
安倍総理のリーダーシップは、最近の総理大臣では稀なものですが、彼が決定しようとしていることが集団にとって最良のものであるかどうかは大いに疑問の残るところです。むしろ、集団の狂気に近い結果をもたらす選択肢を選ぶのでは・・・・。
 



ミツバチ便り。緊急事態発生!!!!

2014年06月18日 | 昆虫・ミツバチ
昨日(16日)飼育管理作業をしました。その時には別段変わったことは無い様に思いました。今日、17日は予約していた病院での検診があるので休息していたら、農家さんから「ハチが逃げ出した」との電話が入りました。
 ミツバチは新しい女王蜂が誕生すると古い女王蜂(新しい女王蜂の母親)は、新しい女王蜂に今までの巣を譲り、働き蜂を引き連れて別の新しい巣を探して飛び立ってしまいます。これを分蜂といいます。分蜂した一群は、巣から物凄い羽音を立てながら黒雲のように飛び立ち、巣の近くの適当な場所に団子状に固まります。
 電話を受けたのは丁度その状態のときのようでした。電話を受けても当ブログとしては「どう対処してよいか」全くお手上げです。
西洋ミツバチを飼っていて分蜂すると、新しい巣に飛んでいってしまうので結果飼育する蜂群は減ってしまいます。養蜂家としては大きな損失です。飼育テクニックとして分蜂させることはありますが、当ブログのような素人養蜂かにはお手上げです。
普通は分蜂群はコントロールできないのですが、今回は大変ラッキーの助っ人が現れました。
 農家さんの知り合いで7年前から日本ミツバチを飼っている方が駆けつけてくれたそうです。彼は車にミツバチ捕獲用の機材一式を積んでいます。農家さんの庭の大きな柿木のてっ辺近くの枝にハチ団子を作っているのを、梯子をかけてゆっくりと観察して分蜂群を見事に一網打尽。新しい巣箱の準備ができるまで庭の中央のイチョウの枝に吊るしてくれました。この日本ミツバチ養蜂家が来てくれなかったら40%の蜂を失っていました。本当にラッキーと言う以外の何者でもありません。
  
当ブログが新しい巣箱と新しい巣板を仕入れて駆けつけました。そして、手順に従い分蜂群を新しい巣箱に回収しました。これで我々のハチのファミリーは3家族に増えました。


ミツバチ便り。頭を刺された!

2014年06月13日 | 昆虫・ミツバチ
見苦しい写真で恐縮です。ミツバチの管理作業をしていたら防御ネットと帽子の間に隙間があったようで額と髪の生際を見事に刺されました。結果は写真の通です。これは刺されてから3時間ほど経っての状況です。恐らく明日の朝にはKOされたボクサーのように顔全体が腫上がるだろうと思います。
手や腕は刺されなれているからか限定的で2~3日経てば治ってしまいます。
 頭のほうは初めてなので症状も激しく現れると思います。多分3~4日は外出できそうもなさそうです。

「統治機構の改革」と事あるごとに発言しています。「統治機構」と言う限りそこには「統治する側を統治者、 統治される側を被治者」が存在します。橋本徹の「統治機構」の概念がどのようなものか判然としませんが、言葉の端々に「権力者が上から治める」と言うニュアンスを感じ取れるのですが・・・・。
 戦前の反省から教育を政治から守るとして様々な法律、制度が発足しました。しかし、その理想、理念とは裏腹にその任に当たる人達の不作為がいろいろな弊害を生みました。待ってましたとばかり、教育委員会への介入、校長の公募、・・・など様々な政治の侵害が起きています。一番の原因は、教育界に身を置く人の、理想・理念を成し遂げようとする情熱の欠如、プロパガンダ政治に汚染された教育貴族たちなどの教育界現場の為体(ていたらく)にあります。
制度が問題なのではなく、携わる人の高い志が問題なのです。大体、「統治機構改革」などと言って皆さんは「統治される側」で納得するのですか?
橋本徹のような「チンピラ」に「あぁせい、こうせい」と顎で使われたいのかなぁ?組織の中で生きている人にしてみれば、系統だった命令系統が無い生活は不安なのだそうです。



ミツバチ便り。大変だ~、天敵オオスズメバチが来襲・・。

2014年06月10日 | 昆虫・ミツバチ
熟練のハチ飼いの方に見て貰う事も無く、比較する養蜂家も無いので果たして自分たちの飼い方に間違いが無いのか絶えず不安になりながらも概ね順調だろうと自分に納得させながらハチ飼いを続けています。今日も蜜でズッシリと重くなった巣板から蜜を絞りました。予想以上の収穫で、ドンドンハチミツが溜まって行きます。腐るものでもないからゆっくりと捌き方を考えるとして・・・。
 ミツバチの巣の出入り口が騒がしくなった。巣箱を開けたりしたのでストレスがかかり落ち着かないのか、と思って巣箱から離れてタバコをすっていると、巣箱の上を覆っている桜の茂みに大きな虫が見え隠れします。光の加減で判別しにくいのですが大きなスズメバチ!
コイツに狙われたらミツバチは全滅します。秋口から警戒が必要と思っていましたがこの時期に・・・。静かに観察しているとどうも単独で1匹飛来したようです。偵察飛行か・・・?兎に角、コイツを巣に帰したら仲間にミツバチの所在を知られてしまう。何としても捕獲しなければ・・。農家さんの孫のメダカ捕り用の小さな網を持ち出し、ミツバチの巣箱の横にしゃがんで敵の飛来をジーと待ちました。大きな羽音を立てながら何度か傍を掠めて行きます。巣箱のミツバチは入り口にびっしりと集まり興奮状態で臨戦態勢です。何度かオオスズメバチは巣箱を目掛けて直線的に飛来し、上昇し桜の茂みを旋回して、また攻撃態勢でまっすぐに飛んできます。ジーとタイミングを測りながら網をどう振るかをイメージしました。旋回して真直ぐに降下してきたその瞬間、立上りざまオオスズメバチの側面から水平に網を振ると見事にキャッチ、捕獲に成功しました。
  
恐らくメスと思われます。この捕獲したオオスズメバチはネズミ捕用粘着シートに貼り付け囮に使います。

 今日は農家さんの田植えの日です。水利の関係で少し遅い田植えです。農家さんの息子さん2人が主力で、応援で都会の住人が参加しています。
  
農家さんの倉庫には高級車が何台も買える様な高価な農機具が一杯あります。年に1度しか使用しない田植え機を始め耕運機、コンバイン、ユンボ・・脱穀機、・・・・

 昔は農村では田植えの日には「豊作」を祈るとともに苦しい農作業の労いご馳走を頂いたそうです。その名残でもないのですが、田植えに参加した人や農家さんの親しい人たちが集まり「バーベキュー」をしました。
残念ながらこの日は見れなかったのですが、「ホタル」が飛び出したそうです。



大阪弁「どんならん」でどういう意味?

2014年06月03日 | 雑学
大阪弁に「どんならんなァ」と云う言い方があります。辞書の語釈だと「どうにもならない。」となります。でも方言の持つ独特の意味合いを言い表すことは中々難しく、この「どんならんなァ」も言い方で千差万別の意味合いを持つ言葉です。
「どんならんなァ」「どんならんやつやなァ」など上方落語ではお馴染みのフレーズで、「無茶ゆーたらどんならんでぇ~」などと表現します。
六代目笑福亭松鶴がだみ声で「どんならんでぇ~」と云うのがごく自然で、恐らく彼は日常普通に「どんならんでぇ~」とぼやいたり弟子を叱っていたのではないかと思います。桂米朝や桂枝雀などが語る「どんならんでぇ~」は科白として上手に使ってはいますが、松鶴のような根っからの大阪弁ではないような印象を受けます。

 「どんならん」は、辞書的には「どうもならない。始末におえない。けしからん」で、元々は「どうにもならん」→「どうもならん」→「どんならん」となったと言われています。
   

 「どんならん」・・もう1つの語源
大阪城天守閣の入り口付近の大砲は、徳川幕府の時代には時間を空砲で知らせていたそうです。豊臣の時代には釣鐘がゴ~ンと時報代わりに鳴らされたので、釣鐘町なる街があります。明治政府になるまでは、正午には必ず「ドォ~ン」と、大砲の空砲が放たれていたそうです。大阪の庶民はお昼の食事前、口々に「ドン鳴らんな?」と呟いたとか・・・。それが今の大阪弁「どんならん」の語源なのだそうです。
この大砲は、もともと天保山砲台に据え付けられていたものを ご維新の後 大阪城内へと運ばれてきたものだそうです。
 大阪府布令集によると明治 3 年 6 月 25 日から大阪城内用の時報として天守台上の大砲から空砲を、朝・昼・夕の 3 回発砲を実施するようになったようです。それが、何時しか昼だけになりこの時報が「ドン」と呼ばれ大阪の名物となっていました。大きな音で、風向きによっては堺まで聞こえていたらしいです。(この出典は皆同じのようで、どの記述も内容文体はどれも同じです)
大阪城の「ドン」はその後、大阪庶民の生活に溶け込んでいましたが大正末期に廃止されたそうです。廃止の理由は大阪府庁が移転してきて「うるさい」と言うクレームが付いたとか、軍縮条約締結で予算削減によるものとか諸説があります。大阪城の「ドン」が廃止されて、それに取って代わるように北浜三越の屋上の鐘が取って代わったと言うことです。