「古代史研究会」に入会を勧誘されたことを以前紹介しました。
今日、例のご近所さんが来られまして「どーですか?お入り頂けませんか」と催促されました。
ご近所さんが結成された「「談会・歴史クラブ」の1回目の「発表会」が八月にあるそうです。その発表会でご近所さんはトップバッターとして日頃の研鑚の成果を発表するそうです。お題は「邪馬台国は岡山県津山市にあった」だそうです。「誰もが来た道、通る道」と云う感じです。
このご近所さんの奥さんの実家が「岡山県津山市」だそうです。代々津山藩の「御典医」の家系だそうです。実家の住所が「久米郡大倭村(やまとむら)」と云う所だそうです。
現在は「津山市南方一色」と云うそうです。
「大倭村」が大いに気に入ったようで「大倭」を「やまと」と読むのもご近所さんにとっては「大発見」だったようです。
要は「邪馬台(やまと)国」と「大倭(やまと)」が一致すると云う一点で「邪馬台国津山説」になったようです。
彼曰く「そう思って調べてみると、この近辺には面白い遺跡や地名が多いのです」とのことです。そして、更に調べてみると「邪馬台国」や「卑弥呼」と関連してくるのだそうです。ご近所さんは完全に自分の世界に入っており、その表情は腕白な小学生の様に輝いています。きっと、今が一番面白い時なのかもしれません。読む本聞く話が「初めて尽し」でご存じなかった事ばかりで、知ることが楽しくて仕方が無いのだと思います。
一通りお説を披歴されて話が途切れましたので、僕が「津山説」は「九州説や大和説」ほど有名ではありませんね、どうしてですか?と聞いてみました。
「それは・・・。有名な学者がマスコミの声が大きいので、皆が固定概念に縛られているからですよ」とのことです。
ご近所さんに言わせると「日本の古代史」は分からないことだらけで、大抵は有名な学者の意見が「正しいもの」として、それ以上追及や研究をしないんだそうです。
そして「古事記は偽書です」とも言いだしました。あれは「平安時代に書かれたものです」とのことです。そして、今度は「古事記」について喋り始めました。
これも「誰もが来た道、通る道」だなア・・、と思いながらお説を拝聴しました。
僕が「沢山の偉い学者先生」が必死に研究しても「解らない」「邪馬台国」の位置が、半年ほど勉強して「津山」にあったと仮説を立てれるほど「日本歴史界」は「研究」が遅れているんですか?とお聞きすると「だから面白いのです」「是非、一緒に勉強しましょう」と薮蛇になりました。
「まァ、僕には合いそうにありませんので・・」とお断りしました。
でも、あの顔は「また、来そう」な雰囲気です。
※1
久米郡大倭村:戦前、全国の「やまと地名」を調べ、その地名が、少なくとも古代にまで遡れるかどうかを調べた論文があります。それによると岡山県久米郡大倭村は明治22年(~昭和18年まで存在)に3ケ村合併により成立した。その際、各村が所属していた大井荘の「大」と古代の郷名「倭(しとり)」をから「大倭村」とした、とあり、邪馬台国候補選考から最初に脱落した地名です。
※2
「古事記偽書説」過去に「偽書説」を唱える幾つかの「論文」が発表されましたが、どれも批判に耐えれる「論拠」に乏しいものでした。「上代特殊仮名使」の研究に依り「平安時代」には完全に「消滅」していた「上代特殊仮名使」を「古事記」は正確に踏襲している事で「偽書説」は完全に否定されています。