馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

バッタとイナゴ。

2017年08月23日 | 自然
表題の写真は、ワイルドライフアート作家・中島さんのface bookに投稿されたものです。「バッタは、通勤中に新宿で発見‼︎イナゴ系かな?御苑の付近に放しました〜」閲覧した人のコメントに「バッタはクルマバッタモドキですね。しかし新宿にいるんですね~。いい人に見つかってこのバッタは命拾い。」とありました。
 さて、「バッタとイナゴ」の違いて何なんでしょうか?
余談になりますがNHK子供科学電話相談で「クジラとイルカの違い」という質問がありました。先生のお答えは「同じものです。4m以下のものをイルカ、4m以上のものをクジラと言います。」
「蝶と蛾」など他にも分かったようで分からない「違い」は沢山あるようです。

本題の「バッタとイナゴ」の違いて何なんでしょうか?
ネットで調べると沢山の解説や見解がUPされています。興味のある方は是非アクセスしてみてください。
 昆虫博士・前野ウルド浩太郎「バッタを倒しにアフリカへ」によると
「バッタとイナゴは相変異を示すか示さないかで区別されている。相変異を示すものがバッタ(Locust)、示さないものがイナゴ(Grasshopper)と呼ばれる。日本ではオンブバッタやショウリョウバッタなどと呼ばれるが、厳密にはイナゴの仲間である。Locusの由来はラテン語の「焼野原」だ。彼らが過ぎ去った後は、緑という緑が全て消えることからきている。」あります。

「バッタを倒しにアフリカへ」は大変よく読まれているそうで、当ブログが購入した時点では「7万部・・」とありましたが現在は「9万部・・」と急増しています。昆虫専門の本というよりも自己啓発、冒険、チャレンジなどのビジネス書的な内容です。もし、バッタそのもののを知りたかったら前野ウルド浩太郎著「孤独なバッタが群れるとき」がお勧めです。(つづく)




維新史に埋もれた園部城  

2017年08月11日 | 歴史
園部藩は外様です。譜代で佐幕派の亀山藩(亀岡藩)の西に隣接しお城を持っていない俗にいう「陣屋大名」でした。
幕末維新の頃となると武家政治の象徴と云える城郭もやや色あせてきます。諸国諸藩ではこの時代、お城の存在意義も薄れ廃城や取壊しとなります。更に明治新政府の時代、1873年(明治6年)「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(廃城令)」を出し近世城郭の多くが廃城となります。そんな時流に反して園部城は1868年(慶応4年)1月18日緊急に改築が始まり1869年(明治2年)8月26日上棟、工事は完了しました。

大政奉還後も武力倒幕を目論む岩倉具視や薩摩藩の西郷隆盛ら強硬派は薩摩・長州・芸州を中核とした討幕軍出兵を企てます。一方、会津藩・桑名藩・紀州藩や幕臣らには、これに反発する動きがあり一発即発の危機にありました。

慶応3年12月、幕府軍と討幕軍が砲火を交えた時、明治天皇を山陰道より安芸・備後方面に遷し、同時に諸国に檄を飛ばし勤皇軍を募るという計画が立てられました。そのような状況下、園部城は明治天皇の行在所として大改築が行われたのです。

「府史蹟勝地調査会報告」によると「城ノ修理ハ・・・・・若シ事アルニ於テハ鳳輦ヲ奉ジテ城ニ迎ヘ、宸襟ヲ安ジ奉ランコトヲ期ス。即チ城ヲ修メ、壁ヲ高クシ、壕ヲ深クセントシタルナリト。城壁今日残ルモノコレナリト言フ・・・」
結果として官軍が鳥羽伏見の戦いに勝利したため天皇の園部城への行幸は無かったのですが、園部城には維新史に埋もれた隠れた歴史があります。

園部城址には現在京都府立園部高等学校・附属中学校があり、周辺には園部公園、国際交流、図書館などの文化施設が整備されています。

園部城は日本城郭建築史上最後の特異な歴史を秘めたお城です。