馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

ミツバチ便り。アピ・セラピーて・・・?

2015年03月29日 | 昆虫・ミツバチ
一雨あってから一挙に春本番。我がミツバチさんも忙しく活動を始めました。養蜂を指導してくれる大将によると、当ブログのような全くの素人、しかも片手間の養蜂家擬きが無事冬を越せるとは思っていなかったとのことです。
  
防寒用の発泡スチロールを全て取り払いいよいよ本格活動に備えました。
 「線虫が尿のにおいに反応、がん診断に道」と云うのが大きな話題になっています。「尿1滴でさまざまなガンを約95%の精度で検出できるようになると期待される。費用は数百円、結果がわかるのも1時間半と早く、実用化しやすい。」と驚異の発見です。犬の嗅覚を利用してガンを見つける研究は以前からありました。当ブログはミツバチが犬より実用化しやすいことを紹介しました。しかし、今回の線虫を利用する方法は画期的な発見のようです。
 生き物を使った治療方は古くからいろいろありました。同じく当ブログはその1つマゴットセラピーも紹介しました。

 当ブログは、5~6年前から背中から肩にかけて痺れる様な痛みがあり、その痛みが徐々に背中から肩へ、最近では左腕から手の甲へと移って来ました。痛みで夜中に目覚めることすらある状態で、頚椎のMRA検査をしてもスポーツ医療専門の整形外科で診察を受けても原因は分かりません。医者からはとりあえず「経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤」でシップをして痛みを抑えています。
 2月に蜂の世話をした時にたまたま左手の甲を刺されてしまいました。 不思議なことにこの時、蜂に刺された症状が治まるまでの1週間の間、悩まされていた左手の痺れるような痛みが全くなくなってしまったのです。アピ・セラピーなのでしょう。従来からアピセラピーで重いリュウマチの痛みが消えた、腰痛がなくなったと言うのはよく聞く話ですが、まさか自分が体験するとは思いもよりませんでした。アピセラピーの原理は未解明なのだそうですが、実際に体験した今では信じない訳にはいきません。


「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(11)市振の宿・那古の浦・金沢 

2015年03月20日 | 奥の細道
市振の宿 元禄二年七月十二日  陽暦 八月二六日

一家に遊女もねたり萩と月


那古の浦 元禄二年七月一三~一四日  陽暦 八月二七日~八月二八日

わせの香や分入右は有磯海


金沢 七月一五日~二三日  陽暦 八月二九日~九月 六日

塚も動け我泣声は秋の風


あかあかと日は難面もあきの風


秋涼し手毎にむけや瓜茄子



当麻寺・・・草木は人の咎をいわねば

2015年03月17日 | 歴史

 月曜ハイキングは二上山~当麻寺のコースです。10時に道の駅当麻の家に到着しました。この道の駅は、二上山登山コースに最も近い駐車場になります。その為、登山散策をする人達がここの駐車場に車を止めて出かけます。今日も駐車場は満車で中々止める事ができませんでした。徒歩組は今頃二上山雄岳当りだろうかと推測しながら、逆コース、雌岳から歩き始めようかとも思いましたがこの里にも見所は沢山あるのでブラブラ散策を始めました。
「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我が見む」(大伯皇女)

石光寺は平成3年の発掘調査で白鳳時代の日本最古の石仏が出土して話題になりました。当時、当ブログの仕事上の知人がこの近くに住んでいて、見学に行ったことがありました。地元では「ボケ封じ」の寺として知られていたと思います。白鳳の石仏で有名になりましたが、古くから中将姫伝説の寺としてつとに有名です。
  

古い街並みをブラブラしているとチョッと珍しい「傘堂」がありました。傘堂絵図:「西国三十三所名所図会」には「軒にて凡二間四方中心に柱一本を立つる、長さ凡八尺太さ凡一尺三寸四方、心柱一本を以て造るが故に俗に傘堂といふ。岩屋越の旅人ここに下るなり」とあります。
傘堂から式内社当麻山口神社から当麻寺へ向かう途中に十三重の石塔があります。中将姫の墓塔だそうです。因みに中将姫の墓所は奈良市内にあるそうです。
当麻寺に隣接した公園に万葉学者・犬養孝揮毫の万葉歌碑がありました。「あしひきの山のしづくに妹待つとわが立ち濡れし山のしづくに」大津皇子
   
道端にタンポポが咲いていました。恐らくニホンタンポポだろうと思うのですが・・・・・。タンポポの同定は非常に難しいので何とも言えません。非常に興味があるのですが・・・・。

当麻寺で徒歩組と合流しました。一番の目的はメンバーの一人の方に用事があり、決着しました。
当麻寺には中将姫の立像があります。
「なかなかに山の奥こそ住みよけれ 草木は人のとがをいわねば」


月曜ハイキング・・・・「延喜式内社・保久良神社」

2015年03月10日 | 歴史
小雨の中、定例の月曜ハイキングがありました。天気が良ければ芦屋川駅 ⇒ 高座ノ滝 ⇒ ロックガーデン ⇒ 風吹岩(昼食) ⇒保久良神社 ⇒ 保久良・岡本梅林 ⇒ 喫茶 ⇒ 岡本駅という可なりハードな行程のようでした。小雨と云うことで岡本駅 ⇒岡本梅林公園 ⇒保久良神社と云う短縮バージョンになりました。当ブログにとってはこの小雨はラッキーで、予てより一度訊ねてみたいと思っていた保久良神社に限られたので喜んで参加しました。
 岡本は大正時代までは梅の名所として有名だったそうです。古謡には「梅は岡本、桜は吉野、蜜柑紀の国、栗 丹波」と謳わるほどで、江戸時代の「摂津名所図会」に紹介されています。その岡本の梅も昭和13年の阪神大水害で大半を喪失し、昭和20年の神戸大空襲で焼失、その後の宅地化でほとんどの梅を失ってしまいました。阪神淡路大震災後、震災復興を願って岡本を往時の「梅の岡本」にと梅林を復活させているそうです。
保久良神社梅林

 日本でもウメ輪紋病が発生し、昨年は東京青梅梅林が全て伐採されたりするニュースがありました。昨日は伊丹市緑ヶ丘の梅林を今月中に伐採されることが発表されました。池田市、川西市、伊丹市、宝塚市などにもウメ輪紋病が発生しているようですが、未だ神戸市のほうには及んでいないようです。
保久良神社境内は樹林が繁り、巨岩があちらこちらに散在しています。磐境、磐座

◎ 延喜式内・保久良神社:鎮座地:神戸市東灘区本山北畑町ザクゲ原(摂津国菟原郡)六甲山系金鳥山(425m)の中腹180m、通称保久良山の平坦地に鎮座。南面は断崖状に切れ込み、眼下は芦屋・西宮など甲南の高級住宅街、それに続いて大阪湾(茅淳=チヌの海)が開け、大阪、泉州から紀州の山並みまで一望でき、西は神戸港、摩耶埠頭から須磨浦までが見通せるそうです。祭神:現在は主祭神須佐之男=スサノウ、相殿に大歳御祖神、大国主命、椎根津彦命=シイネツヒコミコトが祀られています。しかし、当社の元々の祭神は椎根津彦命であったと考えるのが妥当です。その論拠を書き始めると単行本1冊になるほど長々となってしまいますので、唯でさえ長々とくどいとのご批判がある当ブログなので割愛します。社名:ホクラと称する式内社は和泉国(和泉市三林町)にある穂椋神社と当社の二社だけです。「ホクラ」の解釈には諸説がありますが、代表的なものとして3ツの説を紹介しておきます。①、神功皇后が三韓征伐の帰途、戦利武器を収納した「矛倉=ホコクラ」が訛って「ホクラ」となった。②、社頭にある灯明台即ち「火倉=ホクラ」③、当社の境内からは古代祭祀の遺物が多数出土しており、古代においてそれらの祭祀用具を収納した「秀庫=ホクラ」が由来であるとする説。
①に付いては神功皇后伝承自体が実証できない物語であり論拠にはなり得ないと考えます。②、③に付いては建物跡の遺構が検出されていない弱点があります。
 当ブログが浅慮するに、冒頭にも紹介したように当社境内には多数の磐境、磐座が存在することから「クラ」は磐座の「クラ」即ち「秀座=ホクラ」から来ているのではなかろうかと推察しています。

 一度は訊ねてみたいと思っていた保久良神社を参拝でき大満足しました。そして、古代史にのめりこんでいた頃を思い出し、ブログを書きながら「あれも」「これも」書きたいと夢中になりますが、今日はここまでに止めます。ただ、如何してもストレスになりますから、次回1度だけ邪馬台国の時代「倭国大乱」と保久良神社、高地性集落、烽火及び河内国について書きたいと思います。お付き合いのほどを・・・。

和泉市立久保惣記念美術館「物語の情景 -源氏・伊勢・和泉式部」

2015年03月07日 | 歴史
和泉市立久保惣記念美術館へ行きました。この美術館は昭和57年、泉州和泉で綿織物で財を成した久保惣株式会社のオーナーが所蔵の美術品を土地建物に運用資金と共に和泉市に寄贈したのが始まりだそうです。当ブログは当時、和泉市の隣・泉大津市で仕事をしていたので当時の事は記憶しています。松尾川に沿った山間の長閑な田舎、大阪府下にまだこんなところがあるのかと思われる所に久保惣美術館はありました。このエリアはその後、関空開港などで開発が進み、阪和自動車道や外環状線、第2阪和道などの道路網が整備され、また都市計画で山が切り開かれ工業団地や大型商業施設が次々と建設されました。久し振りに行きましたが周囲の景色は全く変わっていて、カーナビが無ければ迷ってしまいます。美術館も施設が拡充され、新しい建物も建設され、周辺の敷地も見違えるほど綺麗に立派に整備されていました。施設内部も綺麗で静寂、落ち着いた空間になっています。庭園も見ごたえがあり、ゆったりとした時間を得たい人にはお勧めの場所です
  
花散里・詞 山科言緒書  夢の浮橋・土佐光吉筆 (源氏物語手鏡)(同館発売のポストカード)
 
野分・土佐光吉筆  胡蝶・土佐光吉筆 (源氏物語手鏡)(同館発売のポストカード)

 館内に併設された和泉市民ギャラリーで水彩画の団体の合評会が行われていました。見るからに美術の教師と思える先生が、1点1点批評をされていました。水面を描いた作品の前で「波頭に当る光を・・・どうのこうの・・」と作者の老婦人に話されていました。当ブログの感じでは「上手に描いているなァ」と思いましたが、先生の目から見るとまだまだ修正の余地があるのでしょうか・・?当ブログなどがそのようなご指摘を頂いたら「放っといてくれ!」と不遜にも言うだろうに・・・。
 帰宅後、柄にも無く源氏物語の姫君を描いて見たくなりました。
明けぬ夜に やがて惑とへる心には いづれを夢と わきてかたらむ   明石

ひき別れ 年は経れども鴬の 巣立ちし松の根を 忘れめや    六条院の春・明石の君


映画「アメリカン・スナイパー」を観て来ました。

2015年03月04日 | 映画
三日「シネマ倶楽部」に参加して「アメリカン・スナイパー」を観賞しました。前回、シネマ倶楽部に参加したのは昨年十二月で同じく戦争映画「フューリー」でした。この映画も実話を基に製作された、と云うのが謳い文句でした。アメリカン・スナイパーにしてもフューリーにしても、今迄に「シネマ倶楽部」に参加し観た映画「アルゴ」「キャプテン・フィリップス」「コンチキ号」・・・なども謳い文句は「実在の・・」「実話を基に・・・」で、この「アメリカン・スナイパー」も実在の狙撃兵と云うのが売りの1つです。よく考えると、「実在の・・」とか「実話を基に・・」とか言うのは健康食品の「無添加、天然、国産の・・」というキャッチコピーと同じで何の意味も無いのかもしれません。ただ「アメリカン・スナイパー」の場合は、モデルになった人物が同じ帰還兵に射殺され、その犯人の裁判の判決がつい数日前に確定したという生々しいニュースが報じられたばかりで、その意味でリアリティーがあります。
     
 戦争映画の名作は沢山あります。「風と共に去りぬ」から「西部戦線異状なし」・・・・と枚挙に暇がありません。当ブログが印象に残ったのは「戦場にかける橋」等があります。日本映画では「永遠のゼロ」が作品賞や監督賞、主演男優賞など最多8部門で最優秀賞を受賞して人気を博しています。ただ内容、スケールなどからハリウッド映画とは比較すべくも無い様に思います。
    
「アメリカン・スナイパー」はクリント・イースト・ウッドが監督した手堅い作品ですが、イマイチ焦点の定まらない仕上がりのように思いました。何を訴えたいのか、「反戦」なのか「戦争の悲惨さ」なのか「アメリカにおける志願兵制度」なのか、或は過酷な戦場での体験による「精神破壊」なのか「帰還兵と社会との精神的乖離」なのか・・。様々な問題の「何を」を描きたかったのか分かりにくい仕上がりのように思えます。
その点、過去の話題作「プラトーン」「地獄の黙示録」「プライベートライアン」などの作品には及ばないのではないだろうか、と云う感じがします。

「シネマ倶楽部」は映画を見た後、喫茶店で「感想」を求められます。いろんな立場からの感想意見が聞かれて、これも楽しみの1つになっています。
戦争映画の場合、この平和な日本では「戦争」そのものが異次元の世界の出来事で、自然災害の惨状を語り合うようなリアリティーが全く無いのが実情です。ある意味、現在の日本人にとっては「戦争」やその周辺の事象に対する知識は、他国の人達にしてみれば「幼稚園以下」だろうと思います。そして幸いなことには、そのような状態で70年もの間安穏と繁栄を享受できているという奇跡的な環境にあるということです。
 映画で2000m近くの敵を狙撃します。そのことが話題になりました。「2000mも離れたら風の影響もあり、絶対無理だ」と云う意見が多かったように思います。しかし、ネットで調べてみるとネイビーシールズ(Navy SEALs)の装備品の狙撃用ライフルは2000mであっても確実に命中させる能力があるようです。GPSの援助や風、気温、湿度、大気圧の各種センサーを備え、スコープにはターゲットまでの距離、方位測定のレーザーレンジファインダーと、それらで得たデータから最適な弾道データを提供できるシステムが組み込まれているそうです。
 余談ながら、日本人が未だに誇りにしている戦艦大和やゼロ戦ですが、その事が象徴するように日本人の軍事知識も戦艦大和。ゼロ戦から一歩も進歩していないのでは・・・。
 例えば、戦艦大和の主砲の弾道距離は最大50km、実用距離は20~30kmといわれています。そしてその命中率は僅か5%といわれています。しかし、現在の海上自衛隊の護衛艦では300km、大阪湾から伊勢湾にある標的を100発100中で破壊することができる能力があるそうです。
再軍備反対、戦争反対は当ブログも思いは同じですが、それを可能にする状況や理論武装は全く欠落している幼稚さに背筋の寒さを覚えます。


「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(10)象潟・越後路 

2015年03月02日 | 奥の細道
象潟  元禄二年六月十五日 ~ 十八日  陽暦 七月三一日 ~ 八月 三日

象潟や雨に西施がねぶの花

汐越や鶴はぎぬれて海涼し


越後路  元禄二年六月二五日 ~ 七月十二日  陽暦 八月一〇日 ~ 八月二六日

文月や六日も常の夜には似ず

荒海や佐渡によこたふ天河