馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の蝉は?

2012年08月31日 | 奥の細道
「NHK夏休みこども科学電話相談」と言うラジオの番組があります。自動車に乗った時しか聞きませんが面白い番組です。質問の冒頭部分を聞けなかったので質問の内容はわかりませんが「昆虫のセミ」についての質問だったようです。回答の先生は「芭蕉の(しずけさや いわにしみいる せみのこえ)」の「セミ」が「何ゼミか?」と言うことを説明していました。
 この句は、芭蕉が山形県の立石寺で読んだものですが、山形出身の歌人・斉藤茂吉が「アブラゼミ」だと言う説を唱えると文芸評論家・小宮豊隆は「ニイニイゼミ」説を唱え、セミ論争が文学界で起こりました。岩波書店の社長・岩波茂雄がこの論争に決着をつけようと当時の名立たる文人を集めて議論をしたそうです。小宮豊隆は「ニイニイゼミ」説は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にしていました。そこで、斉藤茂吉は翌年、芭蕉が句を詠んだのと同じ時期に立石寺に行くと、確かに「ニイニイゼミ」しか鳴いていなかったことから、この論争は「ニイニイゼミ」で決着したそうです。また、この句で鳴いているセミの数が論争の対象になっているようなことも聞いたことがあります。
 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
この句は、セミ論争以外にも「閑さや」の読み方にも論争があるそうです。「閑さや」=しずさや OR しずさや、「しすけさや」か「しすかさや」皆さんはどちらだと思われますか・・・・?

 山形のセミと言えば西沢周平の名作「蝉しぐれ」があります。文四郎と福が聞いた「蝉しぐれ」は「何ゼミ」だったのでしょうか?

「中国のセミ考」(ゲインズ・カンチー・リュウ)と言う本があります。著者のリュウ博士については詳しいことは分からないそうですが、中華人民共和国建国当時には既にハーヴァード大学に在籍する中国系アメリカ人のようです。この本は欧米では非常に高い評価を得ているそうです。欧米人は勿論日本人でも、しかも自然科学分野の人には「漢文・古文」また「中国の民俗・歴史」に疎く近寄りがたいものがありますが、この本(原本は英語で書かれており・Cicadas in Chinese Culture)で得難い情報を多く提供されたためです。著者自身も「一般の昆虫学者にとってはさして興味のわくものではないかもしれない。しかし、中国の科学史や中国文明に興味を持っている人にとっては、おおいに役立つであろうと自負している。これは本来中国の昆虫の歴史であるが、中国の人々を研究するには、この昆虫史は中国皇帝史よりはるかに有用であろう」と述べています。

 この本は発行部数も少なく入手は非常に困難な希少本です。Book Offで100円で売られているのを発見して購入した時は「宝くじ」に当たった喜びがありました。大変面白い本です。全文を紹介したいのですがせめて「目次」だけでも紹介しておきます。






新大阪駅界隈散策

2012年08月29日 | ドライブ・旅行



知人と新大阪駅で待ち合わせることになりました。知人は所要で大阪に出てきますが、仕事の段取りで「お昼過ぎ頃」と言う大まかな予定しか連絡してきませんので、昼食を駅構内の食堂で取りながら待っていました。
「3時過ぎになる」との連絡が入り、2時間ほどの空白ができてしまいました。仕方なく新大阪駅近辺を散策して時間を潰すことになってしまいました。

新大阪駅は北口への連絡通路が無く不便だったのが、新大阪阪急ビルが完成して直接北口に抜けれるようになりました。ただ北口には特別な施設などはなく、単なる通路ですから人通りお疎らです。
 新大阪駅のある所は「宮原」といいます。国鉄の「宮原操車場」があったところですが、大阪市の最北端にあり、昔から行政の光が届かない開発の遅れたところでした。そこに夢の超特急の駅ができると噂が立ち、いろいろ揣摩臆測されました。その胡散臭い噂は、梶山季之の「夢の超特急」で小説となり映画化されました。主に「新横浜駅」の用地買収に絡む政財界の汚職が描かれていますが、それと同じ図式で「宮原地区」の用地買占めが行われました。
 当時、土木技師であった父親が「(新大阪駅近辺が)街になるのは50年、100年後」と言っていたのを思い出します。
現在、周辺にはビルが立ち並び企業や銀行などが拠点を置いていて表面は街らしくはなってきました。しかし、この町は映画のオープンセットのような厚みのない、旅行客やビジネスマンが流れているだけの街です。ターミナル駅で大勢の乗降客が利用する新大阪駅ですが、1軒のデパートもありません。大阪や京阪神の人たちが、例えば「ショッピングに新大阪にイコか」とか「何か旨いものクイに新大阪にココか」或いは「デートで新大阪に・・」とは思わないのです。
 この近辺に有名ブランドのホテルはありません。映画館もありません。人が集まるショッピングモールもありません。噂を聞いて列をなすような飲食店もありません。新幹線利用者とオフィスビルのビジネスマンだけの街です。
街角に佇んで「街の様子」を観察していると死んだ父親の言った「50年、100年後の街」の意味が分かります。
新大阪駅を大阪市の中心方向、南の5分ほど行くと淀川沿いに広大な「柴島浄水場」があります。
敷地の中に「水道記念館」がありますが、橋本徹市長の方針で現在は「休館中」となっていました。

ぶらぶらと線路沿いに歩いていると、巨大なビルが建てられています。「淀川キリスト教病院」が増築しているようです。この辺りは地図でも分かるように路地のような狭い道が入り組んだ、失礼な言い方ですがスラムに近い住宅密集でした。嫁さんがどうしても「淀ギリ(淀川キリスト教病院)で出産したい」と2人の息子をこの病院で出産しましたが、見舞いに行くのに、道が入り組んでいてしかも対向車とすれ違いができない住宅地で、また駐車場も無く、随分苛立ったことを覚えています。
 町全体が都市改造で、大きな道路が縦横に区画され、無数にあった住宅はすっかり姿を消して、跡地に巨大な淀川キリスト教病院」が建てられていました。
 

淀ギリのすぐ傍に「崇禅寺」があります。真夏の真昼と言うことなのか、境内に人の子一人どころか猫の子一匹すらいません。

崇禅寺には「細川ガラシャの墓」と言われる五輪石があります。現在、墓地の一角に祠が建てられ「足利義教の首塚」と並んで祀られています。

映画「あなたへ」を観ました。

2012年08月28日 | 映画
映画「あなたへ」を観ました。お客さんは殆どが同年輩の夫婦連れでした。
「あらすじ: 北陸の刑務所で指導技官として勤務する倉島英二(高倉健)のところに、亡くなった妻・洋子(田中裕子)が生前にしたためた1通の手紙が届く。そこには故郷の海に散骨してほしいと書かれており、英二は洋子が生前には語らなかった真意を知るため、車で彼女の故郷・九州へと向かう。その道中で出会ったさまざまな人々と交流するうちに、妻との思い出が頭をよぎり……。」(yahoo映画より)
 

夫婦愛や人と人との出会いや繋がり、昨年流行した「絆」などがテーマなのでしょうが、あまりそのようなことに興味や関心がないので前評判ほど見応えは在りませんでした。
 それよりも隠すことのできない高倉健の老醜はできれば見たくない姿です。高倉健に「やすらぎ」「なごみ」「ほっこりと」などと言うものを期待したくないのです。
高倉健はやはり「網走番外地」や「昭和残侠伝」の「あっちの世界」の「その筋」の人間でないといけません。

 ここしばらく「あなたへ」の公開に合わせて各テレビ局が高倉健の映画を放送しています。いまも「ぽっぽや」を付けながらこれを書いています。他に「あ・うん」「南極物語」「八甲田山」「夜叉」「居酒屋兆治」「駅」・・・・が放送される予定です。
有料放送では60年第70年代の東映の「ヤクザ」ものが放映されていますが、高倉健の真骨頂はやはりこの種のものに限るようです。

「あなたへ」は富山から長崎・平戸まで車で旅をしますが兵庫県和田山の「竹田城跡」が登場します。
以前、4組の仲間と「竹田城跡」に行きましたが、その時仕事の都合で参加できなかった級友が、近い内に是非行きたいとのリクエストがあります。ご希望の方、また「竹田城跡」にドライブしましょう。


吉野に行ってきました。

2012年08月27日 | ドライブ・旅行
奈良県大淀町に野暮用があったのでついでに吉野を観光しました。昨日あたりから朝晩などの気配が変わったのかなァ、と感じることがあります。空気が少し入れ替わったような感じです。今日も朝から暑くなりそうですが標高差なのか緑の多さなのか風が少し違います。
 夏枯れで観光客もこの時期はチラホラ程度で、あの狭い道路も対向車もなく観光スポットへスムースに自動車で移動できました。
吉野神宮から蔵王堂、また土産物店など駐車場も何の苦もなく利用できました。
 吉野は古代から信仰の場でもあり日本人の心の故郷のようなところで、心休まる眺望とも相まって人気の観光地です。また、古代から吉野は中央で傷つき一敗地に塗れた人が、落ち延び再起を図るために隠れ住んだところでもあります。壬申の乱の大海人皇子のように吉野から再起した人もいますが、多くは失地を回復することなく悲運の内に吉野で果てた人の方が多いようです。
大海人皇子は「良き人の良しと良く見て良しといいし吉野良く見よ良き人良く見つ」と詠んでいます 源義経主従が吉野に逃れ、やがて静御前との離別なども悲しい記録です。「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」(静御前)

蔵王堂にもそんな歴史が刻まれているようで、鎌倉幕府打倒に走った大塔宮護良親王、この時幕府軍の進撃を受けて、村上義光が大塔宮の身代わりとなって蔵王堂で自害し、宮は高野山方面へと逃れたとされています。

この村上義光が忠死したと言われる二王門脇に解説板があります。その中に「歌書よりも軍書に悲し吉野山」とあります。各務支考は、、これらの人々をはじめ後醍醐天皇からの南朝の悲しい歴史に思いを寄せて詠んだとされています。

 南朝の悲話、忠義の話としては楠木正行の逸話がこの如意輪寺あります。

楠木正行(小楠公)は、湊川で憤死した父大楠公と桜井の駅で別れたのち、吉野の如意輪寺で討ち死にを覚悟の上で出陣します。そして、四條畷の戦い(四條縄手)において足利側の高師直・師泰兄弟と戦って敗北し、弟の正時と共に自害しました。
 出陣に際して「かえらじと かねて思えば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」と辞世を如意輪寺の扉に鏃で刻んだそうです。
現在「宝物館」にその扉が展示されています。逸話が史実か、またこの扉が本物か、・・などの詮索は野暮と言うものです。

 吉野の山道を移動中に「高野槇群生地」と言う小さな表示板がありました。そう言えば吉野山は「桜」の名所ですが、吉野山が特に桜に適しているのか、桜がほかの樹木より優勢な植生なのか疑問に思いました。
この疑問は、土産物屋のご主人の解説で氷解しました。ご主人によると「吉野山に桜が多いのは、桜が蔵王権現の神木であるとされたことによるそうです。修験道の開祖とされる役小角が、蔵王権現像を桜樹で彫ったそうです。以降、行者達は桜材を使い権現を彫刻し、これを祀る習わしとなった。これより桜は神木となり、桜の枯れ木といえども薪にさえせず、一枝を折る者は指一本を切るといったような厳しい信仰が厳守されたという。そのため蔵王権現に祈願する際には、神木とされる桜の苗を寄進するのが最善の供養となる風習が起こり、平安時代の頃から多くの桜が植えられるようになった。また大海人皇子が、吉野の寒中で、庭の桜が満開の夢を見て、これが動機となって天下を定めたので、桜は霊木であり神木であるとされ、桜の愛護が始まったとも伝えられる。」とのことで、多くの人たちが寄進寄付のたびに桜の植樹を繰り返したために吉野が桜の名所になったそうです。

 また余談ながら修験者が吹き鳴らす「法螺貝」は30~40万円もするそうです。ただ、土産物店のご主人によると、尺八やそのほかのサックス・トランペット…などの吹奏楽器に比べれば「法螺貝」は安いそうです。


細川ガラシャ終焉の地「聖マリア大聖堂」

2012年08月25日 | 歴史
大阪上町大地の一角、大阪城のおひざ元玉造に「 カトリック玉造教会【大阪カテドラル聖マリア大聖堂】」があります。ここに細川ガラシャと高山右近の像があります。

玉造教会の庭にはガラシャの「慰霊塔」が建てられています。この像は「散華350年記念」として1950年(昭和25年)に細川加羅紗頌徳会が建立したものです。
  

大聖堂前広場の両端にある高山右近と細川ガラシア夫人の石像は、カトリック信徒の彫刻家・阿部政義氏の作だそうです。

大聖堂の西北には、細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されており、細川ガラシア夫人を記念して辞世の句碑が建っています。
 明智光秀の娘「珠(たま)」は細川忠興と結婚後、高山右近からカトリックの教えについて聞かされて心を魅かれます。珠は忠利(幼名・光千代)を産みますが、病弱のため日頃から心配していたところ、夫忠興が九州征伐で不在にかこつけて教会に出向きます。この日は復活祭の説教を行っているところであり、コスメ修道士は後に「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった」と言ったそうです。珠はその場で洗礼を受ける事を望んだが、教会側は身なりなどから高い身分である事が察せられたので、洗礼は見合わされた。珠は洗礼を受けないまま、侍女たちを通じた教会とのやりとりや、教会から送られた書物を読むことによって信仰に励んでいた。ところが九州にいる秀吉がバテレン追放令を出したことを知ると、珠は宣教師たちが九州に行く前に、大坂に滞在していたイエズス会士グレゴリオ・デ・セスペデス神父の計らいで、自邸で清原マリアから密かに洗礼を受け、ガラシャ(Gratia、ラテン語で恩寵・神の恵みの意)という洗礼名を受けた。ガラシャはそれまで、気位が高く怒りやすかったが、洗礼後は謙虚で忍耐強く穏やかになったということです。
 

 ガラシャの最後は壮絶なものであったようです。
関ヶ原の戦の直前、夫・忠興が徳川方につき上杉討伐のため不在となった隙に、大坂玉造の細川屋敷にいた彼女を、西軍の石田三成は人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原秀清(少斎)に槍で部屋の外から胸を貫かせて死んだ(キリスト教では自殺は大罪であり、天国へは行けないという教えが一般的なめ)。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」

今日も酷暑です。道路の側溝もこの暑さで「グニャグニャ」に曲がっています。

玉造教会の隣に「大阪女学院」があります。その一角に「大阪クリスチャンセンター」があります。
この会館で結婚披露宴をしました。

酷暑!京都国立博物館「大出雲展」を見に行きました。

2012年08月24日 | ドライブ・旅行
朝からカンカン照りの猛烈な暑さです。車のクーラも利かない様な酷暑です。この日照りの中、街から一切の「音」が聞こえてこない、・・・・そんな不思議な錯覚に見舞われました。
北海道から帰ってきた何時ものドライブ仲間と京都に行くことになりました。何時ものことで別段決まった目的があるわけもなく「国立博物館でも行くか」と言うことで出発。
京都国立博物館「大出雲展」へ。駐車場から会場に行くわずかな距離も頭が「クラクラ」しそうな照返しです。
 古事記編纂1300年記念とかで結構な人出です。
展示品は「国宝」「重文」に指定された「古事記」「日本書紀」「播磨風土記」などの最古の写本、埴輪、須恵器、銅鐸、銅剣・・などの出土品・・・、と恐らく第一級の史資料なのでしょうが僕などのような素人には「猫に小判」・・・、古写本などは当然判読することもできないし、考古資料などは古びた汚らしい土器や金属塊としか理解できません。
以前にも書いたかもしれませんが、遺跡発掘現場の見学会に大勢の人が集まり、興奮気味に「古代のロマンです」などと言っているのを見るにつけ、僕のイマジネーションが貧しいのか、あの土木作業現場のような赤土の凸凹を見て「古代のロマン」を感じる人の感性に敬服するばかりです。
 

唯一、興味が持てまた唯一写真撮影が許可されたコーナーが、2000年に発掘された巨大な宇豆柱(うづばしら)や本殿の復元模型です。
発掘された巨大な芯柱や記録などから「大林組」が復元した平安時代の出雲大社本殿は高さが48mもあったそうです。階段の長さは109mに達したとのことです。想像力の希薄な者でも、このように具体的な模型を見れば「すごい」と言う感動はあるのですが、さて何が「すごい」のかとなると心もとない限りです。
1300円の入場料分にはちょっと惜しい見学時間ですが、ほとんど素通りで出口で友人を待っていましたが、待てど暮らせど友人が出てきません。そこで携帯電話を掛けると、即座に係員が飛んできて「電話は外で掛けてください」と注意され、熱気ムンムンの扉の外に出ましたが留守電で連絡が取れません。暑さ凌ぎに中に入ろうとしたら「再入場禁止」。石段に腰を下ろして小一時間待つ羽目になりました。
出てきた友人に「あんなもん観てたのしいか?」と不満を言うと「貴方が歴史好きだからもっとゆっくり見てると思った」とのこと。
それは「大きな誤解です」・・・・。


錦市場近くの食堂で昼食。ここの創業社長も今年の春先に「ぽっくり」と死んでしまいました。思えば40年以上の付き合いでしたが、もう口喧嘩をすることも叶わなくなりました。富山の入善の田舎モンが、大商社や銀行を手玉にとって北陸から京都、大阪に進出し、やがては東南アジアにまでと意気込んでいたのに・・・。
 一人娘が相手をしてくれて「結構なご馳走」を振舞ってくれました。
「初盆を盛大にして上げた?」と聞くと「お盆に入善に納骨しました」とのこと。
閻魔さん相手に冥界で商売の続きをやってるかなァ。

暑い暑い1日でした。


オスプレーの安全性。判断基準の難しさ・・・・。(ファイナル)

2012年08月19日 | 時事問題
第一列島線・第二列島線と言う軍事戦略上の概念があります、戦力展開の目標ラインだそうです。
第一列島線は、九州を起点に、沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオ島にいたるラインを指し、第二列島線は、伊豆諸島を起点に、小笠原諸島、グアム・サイパン、パプアニューギニアに至るラインです。

この戦略概念は日本の自衛隊のものでも沖縄駐留アメリカ軍のものでもありません。他ならぬ中華人民共和国の軍事戦略上の概念のことです。
この第一列島線内には「南沙諸島問題」「尖閣諸島問題」「東シナ海ガス田問題」などが含まれています。
 中国では、かつて朝貢貿易を行っていた地域(シンガポールからインドシナ半島全域、タイ、ネパール、朝鮮半島、琉球など広大な地域)は「清の版図でありながら列強に奪われた中国固有の領土である」という基本的な国家観があります。
中国では、これらの地域を本来の国境とは別の「戦略的辺疆」とし、中国固有の領土であるこの地域の安全保障・海洋権益は、中国の手により保全すべきというのが中国の考えす。第一列島線とは、まさに「戦略的辺疆」のラインなのです。
この戦略は机上のものや絵空事であは在りません。ソ連が崩壊して長い中ソ国境での深刻な対立が無くなり、中国は最大の懸案である台湾解放に全力で集中することができます。台湾有事の際、一番の障害となるのはアメリカ軍の介入となります。その為に中国軍としては第一列島線内の制海権、できれば制空権を確保しなければなりません。
世界最強の陸軍国が海軍大国に変身しようと海軍力増強をに奔走する中国の思惑が露骨に表れています。小平以降の「解放改革」と言う「国家資本主義の成果」で飛躍的な経済成長のおかげで軍事増強のペースも順調に進んでいます。

 防衛白書やアメリカ議会の軍事レポートまた「ミニタリーバランス」などの軍事年報が繰り返し警告している通り「中国の軍事的脅威」は増大すり一方です。最近の報道でも「アジアの軍事費が初めて欧州超えへ 中国軍拡などで/中国初の空母「1隻では足りない」―軍高官 アジアの軍事費が初めて欧州超えへ、(ロイター 3月8日(木)12時25分配信)
 3月7日、英国のシンクタンク国際戦略研究所(IISS)は、2012年のアジアの軍事費が欧州を初めて上回るとの見方を示した。英国のシンクタンク、国際戦略研究所(IISS)は、7日発表の年次報告書「ミリタリー・バランス」で、2012年のアジアの軍事費が欧州を初めて上回るとの見方を示した。経済成長や中国の国防費拡大などが要因だという。
中国の11年度国防費は約890億ドル(約7兆2250億円)とみられ、5年おきに倍増するペースで拡大。12年度も前年から11.2%増加する。 また報告書は、他のアジア新興国も軍事費を拡大し、新たな紛争リスクが生まれていると指摘。IISSのチップマン所長は「アジアで起きていることは、19世紀型の領土紛争から経済的対立、核兵器を保有する可能性がある国など、あらゆる種類の戦略的挑戦だ」と述べた。 一方、欧州では経済危機や差し迫った安全保障上の脅威がないことから、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が兵力規模を削減。こうした背景から、オーストラリアとニュージーランドを除くアジア各国の総軍事費が、欧州を上回る見込みだという。」とあります。

 中国のこの種の問題に対する姿勢は一貫しています。
自国の方針は一切変更しない。一切交渉の余地がない。譲歩も妥協もしない。既存の国際ルールを無視して、自国に都合の良いルールをを勝手に作り上げようとする。
これらのことは、独断や偏見ではなく中国の行動を客観的に分析すれば、と言うリアルな現実です。
チベット侵略、ウイグル族弾圧、・・・などその実例は沢山あります。心情的親中派の人々がどのように弁護してもこの事実の正当性は説明できないと思います。

 象徴的な報道があります。「外相会議の声明見送り、ASEAN史上初の事態(2012.7.13 01:13)(共同)
アジア諸国連合(ASEAN)の議長国カンボジアは12日、9日に開いたASEAN外相会議の共同声明について、南シナ海問題に関する文言の調整がつかず発表を見送ると決めた。会議筋が明らかにした。 会議の討議内容や決定事項などを記した共同声明類が出されないのは、ASEANの45年の歴史上初めてという。2015年のASEAN共同体実現を控え、大きな不安を残す事態となった。
 共同声明をめぐっては、フィリピンが南シナ海のスカボロー礁での中国艦船とのにらみ合い事件を明記するよう要求。ベトナムも自国近海での中国による石油開発計画を念頭に排他的経済水域の尊重などを盛り込むよう求め、これらを拒否する親中派のカンボジアと対立していた。」

 「南沙諸島問題」でも中国は絶対に国際会議のテーマーに同意しません。飽く迄も「2国間協議」の姿勢は譲りません。
「尖閣諸島問題」「東シナ海ガス田問題」がヒートアップしだしました。「この海を友愛の海とする」「東アジア共同体」で友好平和なアジアを築こう、など幼稚園の幼児でも言わない「戯言」を言ってみたり「(沖縄の基地を)国外、最低でも県外」などと誰が考えてみても実行不可能なことを本気でやろうとする「底抜けバケツ」。この間の日本国の国際的地位の低下は計り知れません。本来、軍事的弱点を政治・外交力が補うものですが、この国の政治家は、政治・外交力でも更なる失点を重ね、反省も恥すら感じないテイタラクです。
沖縄の人たちの負担軽減方策の第一義は、政治がきっちりと機能することです。
自前の軍隊を持たない日本がこの中国の現実に増大する軍事的圧力から国を守る方策を国民的議論とする時期が来たようです。

 尖閣諸島領有権問題の中国のシナリオは、その海域の資源の豊富さから領有を主張しだした、と言われることが多いのですが、資源問題も1つの要因であることは確かですが、飽く迄も「清の版図でありながら列強に奪われた中国固有の領土」の奪還と言う基本戦略の一環です。(1953年1月8日付けの中国共産党中央委員会の機関紙人民日報など)
 

 オスプレイが安全であるのかどうかは重要な問題です。それを十分議論することも大変重要なことです。
しかし、もしオスプレイが危険で配備しない、と日本国民が選択をした時、次に我々はこの国の防衛に打つ手は何なのか?
中国の「清の版図でありながら列強に奪われた中国固有の領土の奪還」は現在進行形で着実に実行されています。
尖閣諸島は愚か沖縄・琉球も奪還すべき領土となっています。

オスプレーの安全性。判断基準の難しさ・・・・。(4)

2012年08月17日 | 時事問題
米国防総省は6日、海兵隊の新型垂直離着陸輸送機「MV22オスプレイ」を2012年後半に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備すると正式に発表した。
 老朽化したCH46中型輸送ヘリの後継機となる。同省はオスプレイについて、「CH46と比べ、より安全で騒音が小さく、能力も高い」としている。(2011年6月7日02時28分 読売新聞)

 オスプレイ配備に関して安全性などの問題は然ることながら、日本の主体的意思が反映されていないのではないか、と言う不満があるのは確かです。何かアメリカさんの言い成り、お仕着せで事が進んでいることに対する憤懣もあります。
それでは日本としてオスプレイの配備にどのような対処法があるの・・・。

「政府は27日の閣議で、米政府が計画する垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場への配備について、日米安保保障条約第6条に関する交換公文で取り決めた重要な装備変更をめぐる事前協議の対象にならないとする弁書を決定した。」
 簡単に言うと「オスプレイの配備は老朽化したCH46中型輸送ヘリの交代であり、単なるアメリカ軍内の装備の変更であり、日本が口出しすべき問題でない・・」と言うことのようです。

 日米安保条約第6条、またこれに関する交換公文(いわゆる「岸・ハーター交換公文」)については、当時の国会審議(安保国会)で散々議論された問題です。
今でも耳に残っているのは「極東の範囲はどこなのか?」「台湾海峡は極東なのか?」など議論や「核搭載の疑いのある艦船の寄港に際して事前協議の対象になるのか?」などなど・・・・です。

そして今、オスプレイ配備は「事前協議」の対象となるのか?また、日本側は米国に対してオスプレイ配備を拒否できるのか・・・、難しい問題に直面しています。

 日米安全保障条約第6条並びにそれに関する交換公文を転記しておきます。皆さんの見解は・・・・!?

第6条
 侵略に対する抑止力としての日米安保条約の機能が有効に保持されていくためには、我が国が、平素より米軍の駐留を認め、米軍が使用する施設・区域を必要に応じて提供できる体制を確保しておく必要がある。第6条は、このための規定である。
 第6条前段は、我が国の米国に対する施設・区域の提供義務を規定するとともに、提供された施設・区域の米軍による使用目的を定めたものである。日米安保条約の目的が、我が国自身に対する侵略を抑止することに加え、我が国の安全が極東の安全と密接に結びついているとの認識の下に、極東地域全体の平和の維持に寄与することにあることは前述のとおりであり、本条において、我が国の提供する施設・区域の使用目的を「日本国の安全」並びに「極東における国際の平和及び安全の維持」に寄与することと定めているのは、このためである。
 第6条後段は、施設・区域の使用に関連する具体的事項及び我が国における駐留米軍の法的地位に関しては、日米間の別個の協定によるべき旨を定めている。なお、施設・区域の使用および駐留米軍の地位を規律する別個の協定は、いわゆる日米地位協定である。
 米軍による施設・区域の使用に関しては、「条約第6条の実施に関する交換公文」が存在する。
この交換公文は、以下の三つの事項に関しては、我が国の領域内にある米軍が、我が国の意思に反して一方的な行動をとることがないよう、米国政府が日本政府に事前に協議することを義務づけたものである。
米軍の我が国への配置における重要な変更(陸上部隊の場合は一個師団程度、空軍の場合はこれに相当するもの、海軍の場合は、一機動部隊程度の配置をいう。)。
我が国の領域内にある米軍の装備における重要な変更(核弾頭及び中・長距離ミサイルの持込み並びにそれらの基地の建設をう。)。
我が国から行なわれる戦闘作戦行動のための基地としての日本国内の施設・区域の使用。
 なお、核兵器の持込みに関しては、従来から我が国政府は、非核三原則を堅持し、いかなる場合にもこれを拒否するとの方針を明確にしてきている。

(条約第六条の実施に関する交換公文)
内閣総理大臣から合衆国国務長官にあてた書簡
(定訳)
書簡をもつて啓上いたします。本大臣は、本日署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に言及し、次のことが同条約第六条の実施に関する日本国政府の了解であることを閣下に通報する光栄を有します。
合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動(前記の条約第五条の規定に基づいて行なわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。
本大臣は、閣下が、前記のことがアメリカ合衆国政府の了解でもあることを貴国政府に代わつて確認されれば幸いであります。
本大臣は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。
千九百六十年一月十九日にワシントンで
岸信介 
アメリカ合衆国国務長官クリスチャン・A・ハーター閣下


オスプレーの安全性。判断基準の難しさ・・・・。(3)

2012年08月15日 | 時事問題
オスプレイ、平均より低い事故率 2012.7.1 00:18 (2/2ページ)[安全保障]
 陸上自衛隊の元ヘリパイロットで防大教授の山口昇氏は「事故率はバスタブ曲線を描く」と話す。配備当初は事故が多発するが、その後低下し、老朽化して再び多発するU字となるというもの。要するにMV22の事故率は今後低下する見通しだが、逆に普天間飛行場に配備中のCH46には老朽化による事故が多発しかねない危険もあるのだ。
 米国防総省はモロッコとフロリダの事故で「機体の安全性に問題はない」と発表。モロッコのケースは追い風の影響を受けた際の操縦ミスとの見方も示した。
 2件とも回転翼を前方に傾け、ヘリモードから固定翼モードへの変換時に起きており、オスプレイの特性を生かすための操縦で異常が発生した可能性が高い。
 防衛省はフロリダの事故を独自に分析する調査チームを編成したが、山口氏は「米軍の調査結果をうのみにするのではなく、防衛省が責任を持って安全性を確認し、地元を説得するしかない」と話している。


オスプレイ 高い事故率 米情報で判明 晴天弱風でも墜落
 防衛省は26日、今年4月と6月に発生した米軍の新型垂直離着陸機オスプレイの墜落事故について米側から提供を受けた情報を公表しました。この中で6月に米フロリダ州で墜落した米空軍のCV22オスプレイの事故率(10万飛行時間当たり)は13・47で、事故率の高さが問題にされてきた米海兵隊の垂直離着陸機AV8Bハリアーの6・76の約2倍にも上ることが明らかになりました。
 最終的な事故調査は、4月の事故については7月下旬、6月の事故については8月末までに完了が見込まれるとしています。防衛省の発表によると、6月のCV22の墜落事故は、13日の日中、通常の空対地射撃訓練を実施するため、転換モード(両翼のプロペラを斜め前方に傾けている状態)で低高度を飛行中に発生しました。天候は晴れで弱い風が吹いていたとされます。パイロットはオスプレイでの飛行時間が554時間になる経験者。機体は飛行前に整備されていました。
 事故原因は調査中ですが、事故機が所属する部隊の司令官は「設計に根本的欠陥を疑う理由はない」としています。しかし、今回明らかにされた情報は、通常、墜落事故など起こり得ない状況の下でも、オスプレイがいつでも事故を起こし得る危険性を持っていることを示しています。
 4月11日にモロッコで発生した米海兵隊のMV22の墜落事故については、ホバリング状態から両翼のプロペラを前方に傾けていた時に、追い風を受け、事故機の縦軸周辺に回転の力が働いたとされます。「機体に機械的な不具合はなかった」としていますが、これも墜落事故が容易に起こり得ることを示唆しています。

上記の2つの記事、サンケイ新聞webとしんぶん赤旗のオスプレー安全性に関するものです。
 2つの記事ともに何処にも「嘘」「間違い」は無いそうです。でも結論は真逆です。
マスコミ報道のあいまいさの見本のようなものです。
結局、受け手の私たちの感性の問題のようです。

オスプレーの安全性。判断基準の難しさ・・・・。(2)

2012年08月13日 | 時事問題
危機管理の分野で「インシデント(incident)」と言う概念があるそうです。重大事故に至る可能性がある事態が発生し、なおかつ実際には事故につながらなかった潜在的事例のことをさす、と解説されています。

 2007年3月13日、大阪国際空港発、高知空港行の全日本空輸 (ANA) 1603便が、着陸前になってQ400の前脚の着陸装置が故障し、高知空港に緊急着陸を行った事故がありました。カナダの航空機メーカーのボンバルディア機がこの事故を皮切りに世界各地で連日のようにトラブルを起こしたの報道がありました。その為、ボンバルディア機と聞くと、すぐ「故障だろう」と思ってしまう、と言われる程利用者に不安を与えました。しかし、この為にボンバルディア機の採用をやめたのはスカンジナビア航空だけだったようです。事故のあった日本やほかの航空関係の機関ではその幾つかは重大インシデントとして対処をしました。
 ここしばらく、ボンバルディア機に関する報道を見かけることは無くなりました。ボンバルディア機が改善されたのか?或いは相変わらず事故は起こっているがニュースにならないのか判然としません。

2002年、横浜市で走行中の大型トラックのタイヤが外れ、近くにいたお母さんと子どもがその直撃で死亡すると云う悲惨な事故がありました。この事故を起こしたトラックは三菱自動車(三菱ふそう)ですが、三菱自動車は国土交通省に「虚偽報告」を行い「整備不良が原因」とし「リコール隠し」をしました。その「リコール隠し」が発覚したため三菱自動車は連日マスコミの集中砲火を浴びました。
三菱自動車への集中砲火は、「車両火災」の報道で連日マスコミに「三菱車また炎上」と攻撃されました。
 2004年6月からの3か月間で「三菱自動車の炎上事故」の記事は約30件にのぼったそうです。確かにこの当時、隣に三菱自動車が走っていたりすると不安になった記憶があります。
所が、この時期の消防白書では、車両火災件数:7,785件で原因のトップは放火:841件、排気管を原因とするもの:786件、その他(衝突・たばこ・内燃機関)となり、整備不良・改造などの持ち主の責任が原因で車両火災は毎日どこかで起こっていたようです。そして、特に三菱自動車だけが特別車両火災多く起こしたデーターはなく、また三菱自動車1社だけが車両火災を起こした事実もない。

 マスコミの影響は非常に大きなものです。この三菱自動車の報道でも分かることは、車両火災の原因の全てが三菱の不祥事と関係しているかのように読み取れる報道のやり方です。「三菱自動車ってしょっちゅう火がでる恐い自動車」と世間に強烈に感じさせました。
この様にマスコミの報道のやり方次第で世間の受け取る印象がガラリと変えることができるのです。

 オスプレー配備の報道のやり方を見てみると「安全性に問題があると言われているオスプレー・・」と「枕詞」を付けて報道します。
マスコミのズルいところは「「安全性に問題があると言われている・・」と表現するやり方です。
「安全性に問題がある」と言ったのは一体誰なのか?きっと誰も言っていないのでは・・。言っているのは報道しているマスコミの側にいる人達だろうと思うのですが・・。

 「夢の垂直離着陸機オスプレーがやっと配備されます」と言う風な報道をすれば今の世間の風潮とはまた違った状況が生まれていたのでは・・・・。
少なくとも恣意に満ちた「枕詞」無しに「オスプレーが配備されます」とだけ報道すればどうなっていたでしょうか・・・。

 現状では明らかにオスプレーは危険である、と言う風潮が強いようです。となると必然的に「そんな危険なものを何故沖縄に持ち込むのか!」「政府は何故アメリカに毅然と拒絶しないのか」という憤懣が起こってくるのは当たり前のことです。
普段「日本のマスコミは信用できない」と言っている人たちが、オスプレーに関しては完全にマスコミ報道に誘導されているように思えるのですが・・・・。
オスプレーはマスコミが喧伝するように本当に安全性に問題があるのだろうか、僕は疑問に思っています。


オスプレーの安全性。判断基準の難しさ・・・・。(1)

2012年08月10日 | 時事問題
「米海兵隊は9日までに、沖縄県の普天間飛行場に配備予定の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの事故発生状況をまとめた。それによると、重大事故に分類されない中程度以下の事故の発生率は、海兵隊が持つ全航空機の平均値を超えることが分かった。」
10日付けの新聞各紙に中程度の扱いでオスプレーの安全性に関する記事を報道しました。
 それによると「海兵隊は航空機事故を重大な方から順にABCの3段階に分類している。今回のデータは2001~12年に起きた事故についてまとめたもので、後遺症が残る重傷者か50万~200万ドルの損害が出た「クラスB」と呼ばれる中程度の事故の発生率は、10万飛行時間当たりオスプレイは2.85件。海兵隊が運用する全9機種の平均2.07件を上回った。」という簡単なものです。

 この記事が出る以前から「オスプレーは危険」として配備に反対する意見が多くありました。そこで不思議に思ったのですが、「オスプレーは危険」とする論拠は何なんだろうということです。
一般にこの様な事柄に関する情報はTV,ラジオ、新聞などのマスコミ報道に頼らざるを得ません。所が、そのマスコミ報道に偏向、俗に言うメディア・バイアスがあれば当然判断に狂いが起こります。
 例えば日本では主に食品などで「天然由来、自然のものは安全」「輸入品は危険。国産品は安全」と言うのが常識のように喧伝されています。「天然、自然」でも「トリカブトや毒キノコ・・・」など危険なものは沢山あります。
最たるものは「原発の安全神話」です。また、阪神淡路大震災の起こるまでは「京阪神は地震災害のない地域」と誰云うとの無くそんな雰囲気がありました。
 この様に確たる論拠もなく事実であるかのような話は沢山あります。また、日常生活をする上でそのようなことは別段大きな支障にならないのです。オスプレーが危険、と言うのはどうもこの類のレベルでの意見のようです。
 
 オスプレーが危険とされるのは、量産決定後の2006年から2011年の間に58件の事故が起こり、最近では2010年4月8日に空軍特殊作戦軍所属のCV-22が、アフガニスタン南部で夜間に着陸に失敗、2012年4月11日に米海兵隊のMV-22、1機がモロッコの南方沖海上で訓練中、離艦後に墜落。全搭乗員4名中、2名死亡、2名重症となった。2012年6月13日に米空軍の垂直離着陸輸送機CV22が、南部フロリダ州で訓練中に墜落事故を起こし、乗員5人が負傷した。この様に立て続けに事故を起こし、報道されたのが安全性に疑問を持つ大きな要因になっているようです。
 確かにオスプレーは試験飛行中には墜落事故が多発して「ウィドウ・メーカー(未亡人製造機)」というありがたくないニックネームを付けられてたことがあったようです。
しかし、もしそんなに危険なものであればアメリカ軍が量産し実戦配備をするとは考え難いのです。

 航空機の安全性を示す指標としては事故率と言うものがあるそうです。それが冒頭の海兵隊が公表したものですが、10万飛行時間当たり1999年から2011年のオスプレイの事故率は3.32。本格運用が始まった2004年以降で見ると1.93です。
因みにこの数字は、戦闘機などを含めた海兵隊全体の平均(2.45)よりもかなり低い水準だそうです。

Plain crash info.comの事故率ランキングと言うサイトがあります。これは世界各国の航空会社の事故率のランキングですが、それと比較してみると大韓航空の事故率は 2.58 でオスプレーの事故率1.93より遥かに危険度は高いことになります。
でも誰も大韓航空が危険だから飛来しないようにと反対運動をする人はいません。

オスプレー配備に反対する人は、オスプレーが危険だから反対するのではなく他の理由、例えば心情的平和論者或いは沖縄基地に反対する人、・・・・などオスプレーの安全性がどうであろうととにかく配備に反対が優先せざるを得ない何らかの理由があるような気がしてなりません。

オスプレー配備の問題点などは次回に書いてみます。




「男はつらいよ」4番の歌詞(続々)

2012年08月09日 | 映画
前回の「男はつらいよ」4番の歌詞(続)で書いた「あても無いのにあるよな素振り それじゃあ行くぜと風の中 止めに来るかとあと振り返りゃ 誰も来ないで汽車が来る 男の人生一人旅 泣くな嘆くな  泣くな嘆くな影法師 影法師」は、「寅次郎と殿様」の他第17作目「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」第18作目「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」の3本に使用されています。

「どおせおいらは底抜けバケツ  わかあっちゃいるんだ妹よ 入れたつもりがスポンのポンで何もせぬよりまだ悪い それでも男の夢だけは 何で忘れて何で忘れているものか いるものか」の歌詞は貴重で第4作「新・男はつらいよ」の1作品にだけ使用されています。
そのためにこの第4作を見た人以外は全く耳にすることがない将にレアーものです。

競馬で大儲けした寅さんが、名古屋からタクシーで帰郷。竜造とつねをハワイ旅行に連れて行くことにするが、出発の朝、旅行会社が代金を持ち逃げしたことが判明。メンツが大事な寅さんは、旅行に出かけたフリをして、おいちゃんたちと共に店で静かに潜む。しかし、そこへ泥棒(財津一郎)が入って大騒動。反省の旅に出た寅さんが、戻ってくると、二階には幼稚園の春子先生(栗原小巻)が下宿していた…  寅さん流のおいちゃん孝行である「ハワイ旅行」が仇となるエピソードの前半。財津一郎の泥棒のユーモラスなキャラクター。そして後半は、美しき幼稚園の先生に、一目惚れしてしまう寅さんの行状など、明るい笑いに満ちた一編。

 第四作は山田洋次の演出ではなくテレビ版を演出した小林俊一で、この頃の「男はつらいよ」はテレビで人気であったドラマの延長のような喜劇作品で、後年のシリーズ化された国民的人気者「寅さん」の定型化したまた多少教訓めいた筋立てありません。
登場人物も寅次郎と叔父竜造・叔母つねとの絡みが中心で、妹さくらは単なる家族としての存在でしかなく、物語の展開には何も絡まない役どころとして登場するだけです。

 名古屋の競馬で大儲けをした寅さんが、名古屋からタクシーでで柴又へ帰ってきます。そのタクシー料金は「29,000円」です。
この4作目は昭和45(1970)年に公開されましたから「29,000円」は当時の僕の1か月分の給料に相当します。
因みに当時のタクシー料金は、初乗り料金は100円(20円/450m)と言う記録があります。
 映画で使われたタクシーは、オレンジと黄色のツートンカラー、社名:名古屋タクシー、ナンバー 95-32 タクシー番号126と静止画像で確認することができます。  

併映作品は、ハナ肇主演の「アッと驚く為五郎」でした。


「男はつらいよ」4番の歌詞(続)

2012年08月03日 | 映画
当ブログも一時ほどのアクセスはなくなりましたが、それでも毎日多くのアクセスがあります。
過去に書いた記事で幾つかが人気のようで、項目検索でアクセスして頂く方があるようです。
その人気のブログの1つに「男はつらいよ」4番の歌詞があります。
 そこで紹介した
「あても無いのにあるよな素振り それじゃあ行くぜと風の中 止めに来るかとあと振り返りゃ 誰も来ないで汽車が来る 男の人生一人旅 泣くな嘆くな  泣くな嘆くな影法師 影法師」
この歌詞をどこで使われているのかを調べました。
答えは第19作「寅次郎と殿様」の冒頭部分、タイトルの後、おなじみのメロディーとともに江戸川土手での寅さんのトラブルメーカーとしての寸劇を背景に出演者や製作者の紹介部分でこの歌詞が流れています。

第19作はマドンナ役に真野響子、ゲストとして嵐寛寿郎が出演しています。
そのせいか本編に入る前の劇中劇では寅さんが鞍馬天狗に扮しています。

物語は、、愛媛県大洲市にやって来た寅さんは大洲藩十八代目当主・藤堂宗清と意気投合します。藤堂宗清の末の息子の結婚に際し、身分が違うということで反対し、息子を勘当します。ところが息子は結婚後数カ月前突然亡くなってしまいます。
 寅さんは、そこで、急死した息子の話を聞かされ、その息子の嫁・鞠子に二人の結婚のことを反対したことをあやまりたいという宗清の気持ちに打たれるのであった。そして、持ち前の義侠心を発揮した寅は東京で鞠子を見つけ出すことを約束して大洲を去った。それから10日後、待ちきれなくなった宗清は柴又に寅を訪ねて来た。丁度タイミング良く寅も旅から帰って来たのだが、驚いたのはとらやの連中で、何しろ、この広い東京の中から一人の娘を捜し出さなければならないのだ。しかも、宗清は鞠子と会えるまで、長男の家に滞在することになったからたいへん。そんなある日、寅さんが、大洲で会った美しい女がとらやを訪ねてきた。そこで皆で食卓を囲んで話していると、以外にも宗清の探している女とはこの鞠子であることがわかった。その晩、宗清は鞠子のアパートで、亡き息子の思い出話に花をさかせるのであった。大洲に帰った宗清から寅さんに、鞠子と三人で大洲で暮そうという手紙が来た。寅さんは小踊りするが、鞠子から新しい相手と近々結婚することになっていると聞き、またまた失恋、旅に出てしまいます。

 映画では、嵐寛寿郎演じる大洲の殿さんを「大洲藩十八代目当主・藤堂宗清」と設定しています。確かに慶長年間の一時期、大洲は藤堂高虎が領有していたことがありましたが、その後、脇坂安治が5万3千石で入封し大洲藩が立藩。脇坂家は2代で信州に転封、後に伯耆国米子藩加藤貞泰が6万石で入封し、以後明治まで加藤家の所領でした。
映画に突っ込みを入れても仕方ないのですが、大洲の殿様であれば藤堂とするのは間違いです。

 大洲藩は勤王藩として全国的に有名で、鳥羽・伏見の戦いでも小藩ながら活躍しました。また、坂本龍馬が運用したことで知られる蒸気船・いろは丸は大洲藩の所有であり、大洲藩より海援隊に貸与していたようです。

 テレビ・ラジオがオリンピック一色で、ただでさえ見るものが少ない番組が一層見るものが無くなってしまった。8日からは高校野球が始まると更に楽しみがなくなってしまいます。
この時期、ストックしてあるDVDなどを整理する絶好のチャンスかもしれません。