馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

地名の話。「揖保」(3)

2018年06月23日 | 地名・地誌
大阪府茨木市三島ヶ丘に延喜式内社磯良神社があります。祭神は磯良命。磯良とは神功皇后が朝鮮出兵に供奉した安曇磯良です。俗伝によると神功皇后が朝鮮出兵の折、この神社で勝利祈願を行い、帰路再び立ち寄り戦勝感謝のため安曇磯良(アズミノイソラ)をこの地に留め神を祀らせたとされています。

 この磯良神社は通称「疣水(イボミズ)神社」と呼ばれています。磯良神社(疣水神社)は元々新屋坐天照御魂神社新屋社の神籬に鎮座していました。
そしてその境内には霊泉「玉の井」があります。「玉の井」は「便(ヨルベ)の水」として「摂津名所図会」には次のように紹介されています。

「よるべの水は社頭の神水なり。世人此水を疣水といふ。ここに来って疣・黒痣を濯ふ時、忽ちに抜落つるとぞ。・・・・・・・・・むかしは此清水潤沢にして、田畝数千頃(ケイ)を養ふ。・・・・・・ことごとく林樹を伐りて墾開して田となす。これより清水漸く涸れて少水となる。所謂『君子不伐家木』といふ事、故ある事にや。・・・・・・・・・・・」
 この「疣水」の功徳から疣水神社、疣水さんといわれるようになりました。また、摂津名所絵図に疣水神社近くにあった「井保桜」に関する記載があります。
「井保桜、疣水の北にあり。此花木希代の大樹にして、野辺に只一木ありて、・・・・浪花及び近隣より群来りて艶花を賞す。・・・」

「便(よるべ)の水」(摂津名所絵図)



「井保桜」(摂津名所絵図)


 さて、「疣水」の疣は、「井保桜」の井保に由来するものと考えられます。木を伐れば水が涸れる。今日的環境保全の大原則が「井保」です。摂津名所絵図が伝える「井保」は、木が井を守る、と云うことを知っていた昔の人の知恵が語源です。
しかし、この地域の樹木を伐採して田畑に開墾されたのは江戸時代、寛文の頃(1660年)とされています。それではそれ以前「井保」や「疣」はどうなんでしょうか?
当ブログは1ツの手掛かりとして古代・安閑天皇(6世紀)紀に三島県主飯粒(イイボ)の名前があります。三島県はまさに現在の茨城・高槻地域に存在したものです。

 大阪府北部地震の震源地直近に鎮座する磯良神社、天照御魂新屋社も被災しました。
  

西河原・天照御魂神社


    

磯良神社(疣水神社)


地名の話。「揖保」(2)

2018年06月13日 | 地名・地誌
地名の話。「揖保」(1)では粒坐天照神社に伝わる「揖保」の地名説話を紹介しました。今回は「播磨風土記」が語る「揖保」の地名説話を取り上げます。

『播磨風土記 揖保郡』
 
揖保の里 土は中の中なり。(イイボ)と稱ふ所以は、此の里、粒山(イヒボヤマ)に依る。故、山に因りて名と爲す。
粒丘(イフボヲカ)粒丘と號くる所以は、天日槍命(アマノヒボコノミコト)、韓國(カラクニ)より渡り来て、宇頭(ウヅ)の川底(カハジリ)に到りて、宿處を葦原志擧乎命(アシハラノシコヲノミコト)に乞はししく、「汝は國主たり。吾が宿らむ處を得まく欲ふ」とのりたまひき。志擧、即ち海中(ワタナカ)を許しましき。その時、客(マレビト)の神、劔を以ちて海水(ウシホ)を攪きて宿りましき。主の神、即ち客の神の盛なる行を畏みて、先に國を占めむると欲して、巡り上りて、粒丘に到りて、飡(イヒヲ)したまひき。ここに、口より粒(イヒボ)落ちき。故、粒丘(イヒボヲカ)と號く。・・・

 地名説話は大喜利の「小噺」のようなもので「成る程!アハハ・・」と場を和ましますが、肝心の地名解としては全く説明になっていないものです。
今回、そんな地名説話を取り上げるのは、そのお話の背景や登場人物などが大変重要になるからです。


地名の話。「揖保」(1)

2018年06月08日 | 地名・地誌
兵庫県たつの市に日山(白鷺山)があります。赤とんぼ公園や国民宿舎赤とんぼ荘があり、播磨の小京都として人気の散策道が整備されています。この辺りは古代から「揖保の里」と呼ばれていたようです。
倭名類聚抄では揖保(伊比奉)とあります。「イボ」(イホ)と云う地名は全国に散見され、それほど珍しい地名ではありません。例えば、現愛知県豊田市に伊保町と云う所があります。この伊保町には嘗て「伊保藩」と云う藩がありました。関ケ原の合戦後、東軍に与した丹羽氏が、1万石の大名として諸侯に列し、三河国加茂郡上伊保村(現在の愛知県豊田市)陣屋を構えたそうです。兵庫県高砂市にも「伊保町」と云う所があります。高砂市の「伊保」は元々は「美伊保」であったものが美称の「美」が欠落して「伊保」となったそうです。「美伊保」は「美保の松原」などの「美保」と同意です。

延喜式内神社粒坐天照神社は日山(白鷺山)山麓にあります。詠み方は「イイボニマスアマテラス」神社、通称「リユザ」神社。ご祭神は「天照国照彦火明命」。社伝によると「推古天皇二年(594)正月一日、伊福部連駁田彦と云う正直な長者が邸裏の杉の木の天辺に異様に輝く容貌端麗な童子姿を見つけた。この童子は天照国照彦火明命の使いとして現れ駁田彦に種籾を与えた。駁田彦はこの籾を持田や近隣の水田に蒔いたところ一粒萬倍し以後播磨の穀倉地帯となった。是が「イイボ」(揖保、伊穂、粒保、・・)の郡名の起こりなり」と。