ゴールデンウイークの初日29日(金)、大阪府立近つ飛鳥博物館に行ってきました。
連休初日、好天とあって高速道路は大渋滞です。
桜も終わり、藤・ツツジが見事に咲き誇る二上山山麓葉室の里は絶好のハイキングコースで、竹ノ内街道・叡福寺聖徳太子廟・推古天皇墓から流れてくるハイカーが列をなしていました。
また、博物館の巨大なテラスでは地元南河内の高等学校4校の軽音楽部のコンサートも行われ、場所柄に似合わない賑やかで華やかです。
館内も珍しく多くの観覧者がいました。展示館の一廓では「第3回ふるさと俳画展」もあり、30点ばかりの作品が展示されていて、出品者や会員、愛好者が大勢訪れていました。
「倭人と文字の出会い」と云う特別展は、当博物館・文化庁・朝日新聞が主催し堺市・太子町・河南町・近畿日本鉄道などが後援しています。
特別展趣旨案内には「倭人は、中国や朝鮮半島との交流の中で漢字を受け入れ、学び使いこなし、徐々に独自の 文字世界を作り上げてきました。
文字は「記録」としての重要性とともに、国家の形成や王権、 そして支配とも深く結びついた存在です。
私たちは、文献資料以外のさまざまな文字資料を通じて、古代の日本の歴史と文化を豊かにより深く学ぶことができます。
この展示では、発掘された文字資料を中心に倭人と文字の歴史を考えていきます。
弥生時代から古墳時代、そして飛鳥時代にかけて、倭人たちがどのように文字を使い、記録して きたのか、文字によって明らかにされる倭人の歴史にスポットをあててみたいと思います。」とあります。
プロローグ(倭人がはじめてみた・ふれた文字)
倭人が始めて出会った文字は中国や朝鮮半島からもたらされた金印や鏡・銭などを展示しています。
主な展示品は、「漢委奴國王」の志賀島出土の金印。教科書などに写真が乗っていますが実物は非常に小さく印面の一辺は2.23cm(漢時代の一寸)の大きさです。
この金印については「後漢書」東夷伝、光武帝建武中元二(57)年「倭の奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす」と云う記録に合致することから「漢の倭の奴の国王」と訓むのが素直で、他の一連の事象との整合性もあるように思います。
しかしこの「漢委奴國王」は「邪馬台国論争」にたびたび登場、議論百出でいろいろな「読み方」をする人がいますが、どれもこれもかなり無理がある様に思います。
中国の異民族支配の伝統的な手法として「冊封体制」がありますが、この金印の文字はその「冊封」の象徴です。
「漢」は王朝名、「倭」と云う民族の「奴」と云う部族、「国王」は外臣を格付けする五段階の筆頭で領域の支配権を保証した事を表しています。
あまり独自性を出そうとして「井戸を深く掘り過ぎる」人がいるようです。
連休初日、好天とあって高速道路は大渋滞です。
桜も終わり、藤・ツツジが見事に咲き誇る二上山山麓葉室の里は絶好のハイキングコースで、竹ノ内街道・叡福寺聖徳太子廟・推古天皇墓から流れてくるハイカーが列をなしていました。
また、博物館の巨大なテラスでは地元南河内の高等学校4校の軽音楽部のコンサートも行われ、場所柄に似合わない賑やかで華やかです。
館内も珍しく多くの観覧者がいました。展示館の一廓では「第3回ふるさと俳画展」もあり、30点ばかりの作品が展示されていて、出品者や会員、愛好者が大勢訪れていました。
「倭人と文字の出会い」と云う特別展は、当博物館・文化庁・朝日新聞が主催し堺市・太子町・河南町・近畿日本鉄道などが後援しています。
特別展趣旨案内には「倭人は、中国や朝鮮半島との交流の中で漢字を受け入れ、学び使いこなし、徐々に独自の 文字世界を作り上げてきました。
文字は「記録」としての重要性とともに、国家の形成や王権、 そして支配とも深く結びついた存在です。
私たちは、文献資料以外のさまざまな文字資料を通じて、古代の日本の歴史と文化を豊かにより深く学ぶことができます。
この展示では、発掘された文字資料を中心に倭人と文字の歴史を考えていきます。
弥生時代から古墳時代、そして飛鳥時代にかけて、倭人たちがどのように文字を使い、記録して きたのか、文字によって明らかにされる倭人の歴史にスポットをあててみたいと思います。」とあります。
プロローグ(倭人がはじめてみた・ふれた文字)
倭人が始めて出会った文字は中国や朝鮮半島からもたらされた金印や鏡・銭などを展示しています。
主な展示品は、「漢委奴國王」の志賀島出土の金印。教科書などに写真が乗っていますが実物は非常に小さく印面の一辺は2.23cm(漢時代の一寸)の大きさです。
この金印については「後漢書」東夷伝、光武帝建武中元二(57)年「倭の奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす」と云う記録に合致することから「漢の倭の奴の国王」と訓むのが素直で、他の一連の事象との整合性もあるように思います。
しかしこの「漢委奴國王」は「邪馬台国論争」にたびたび登場、議論百出でいろいろな「読み方」をする人がいますが、どれもこれもかなり無理がある様に思います。
中国の異民族支配の伝統的な手法として「冊封体制」がありますが、この金印の文字はその「冊封」の象徴です。
「漢」は王朝名、「倭」と云う民族の「奴」と云う部族、「国王」は外臣を格付けする五段階の筆頭で領域の支配権を保証した事を表しています。
あまり独自性を出そうとして「井戸を深く掘り過ぎる」人がいるようです。