馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「いなばの白うさぎ」・・・・・ワニとは?

2016年06月29日 | 歴史
ドイツ語を教えていた先生が電話で「因幡の白兎のワニは爬虫類のワニではない。俺はいろいろ調べて解決した。君!知らないだろう」と。一般的には因幡の白兎に出てくる「ワニ」は「サメ」のこと言われていて、絵本などにも「サメ」が描かれています。いくら専門外とは言え大学の先生だった人が調べたのだからそれなりの研究成果があったのだと思います。只、電話だったのでどのような結論であったかは聞くことができませんでした。
   

そこで、久しぶりに古事記や古代史の本を開いてみました。
「因幡の白兎」のお話は「古事記」「先代旧事本紀」には登場しますが「日本書紀」「出雲国風土記」には存在しません。また「因幡国風土記」は伝わっていないのでこのお話が登載されていたかどうかはわかりません。
「古事記」

先代旧事本紀」

古事記、日本神話は本居宣長から今日まで連綿と多くの学者センセイが微に入り細を穿つて研究がなされ、疑問点、問題点などは出尽くしてしまった分野です。それでも未だまだすべてが納得できるまで解明されてはいません。この世界はある意味「言った者勝ち」のようなところが有り、その意味で当ブログのようなアマチュア古代史フアンにはたまらなく楽しい世界なのです。
◎「和邇(ワニ)」は今でも山陰地方、北陸の一部で使われている言葉ですが、一般にはサメ・フカと呼ばれています。平安時代の辞書「和名類聚抄(和名抄)」に「和邇」は、「鰐」のこととの記載があるそうです。また、「鰐」は同書に「和名 佐米」と読むと記載されています。
無論、「ワニ」を「クロコダイル」や「アリゲーター」の「ワニ」と論ずる学者もいます。和漢三才図会の鰐の項に「蜥蜴に似る」と記されてい異本があるそうです。その他、ウミヘビ説、海豹説、フカ説、・・・・まさに百花繚乱の体を成しています。
 古事記には「山幸彦と海幸彦」のお話があります。その中にも「八尋和邇(ヤヒロワニ)」が登場します。また、古代の日本には地名としての「ワニ」が東北から九州に至るまで広く存在します。それに古代の有力豪族に「和邇氏(和珥氏)」がいました。
因幡の白兎の「ワニ」とこれらの「ワニ」とはどのような関連があるのでしょうか?焦点を「因幡の白兎」の部分にだけ絞り込んで深い深い井戸を掘ってみてもピント外れになっていることはないのでしょうか。
 古事記には「稲葉の素兎」と記されています。「稲葉」=「イナバ」とは稲葉、稲場であり、イネの置き場を指し全国各地に見いだせる地名です。果たして因幡(鳥取県)に限定してもよいものだろうか、という疑問があります。また「素兎」と「白兎」ではイメージに若干の違いを感じるのです。このことは本居宣長が明快に解説をしています。
 そもそもこのお話が採録されて本来的な目的は何であったのかをも考える必要があります。


飼い犬が・・・。

2016年06月26日 | 日記
6月26日午後3時、飼犬の「アル」が死にました。16年6ヶ月、長生きだった方です。
2~3月前頃から後脚が不自由になりだし、次第に引き摺るようになりチョッとした段差も上がれなくなりました。それでも食欲は旺盛で、また朝には必ず散歩に行くようにせがみます。4日前まで僅かな距離ではありますが散歩にも行きました。一昨日からはぐったりと寝込んでしまい、水も食事も口元まで持っていかなければ食べれなくなりました。排泄の後始末は足が弱ってから少しづつ増えてきましたが、本当に手のかかる介護はここ1週間ほどの期間でした。手のかからないペットの最後でした。
    







三田・永沢寺菖蒲園

2016年06月12日 | ドライブ・旅行
ミツバチの飼育箱を置いている農家に気が向けば通っています。今年はミツの入りが悪いようです。専門の養蜂家に聞くと全国的に今年は成績が悪いとのことです。気候が不安定で花の咲き方が何時もと違うのかもしれません。ミツバチの話も賞味期限切れで目新しいこともなくなりました。
  

 田植えも終わり用水路にはメダカ、モロコなどの小魚、オタマジャクシ、カワエビ、ザリガニ、カワニナ、タニシ、ヤゴ、アメンボウ・・・など小さな生き物たちが大活躍です。70過ぎのおジンに付き合って農家さんとメダカとモロコを獲りに行きました。

三田には永沢寺菖蒲園という花の寺があります。永沢寺は地名の時は「エイタクジ」お寺の名前は「ヨウタクジ」と呼ぶそうです。この辺りが摂津国と丹波国の国境になるそうです。
なかなかの由緒があるお寺だそうです。観音堂には秘蔵のガンダラーの石仏が展示されています。
花菖蒲は今月末頃までが見頃だそうです。



素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店

2016年06月06日 | 映画
今月の映画の会は「素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店」でした。
上映が12時10分からというので昼飯を早めに採り館内に入りました。クッションのよいシート、薄暗い照明、満腹感と揃ったので本編が始まる前から不覚にも寝込んでしまいました。突然の大音響で「ハット」気付くと大型のトレーラが暴走して工事現場に突っ込んでいました。
誤解の無いように断りますが「この映画が面白くない」から眠ったのではありません。現にそれ以降は「コミカルなラブストーリー」を十分に堪能しました。オランダ映画だそうです。監督や製作者の制作意図についてネットで調べましたが残念ながらそれは見つかりませんでした。
当ブログが思ったのは、大金をかけてド派手な映画を作らなくてもコンパクトであってもこんなに綺麗な面白い映画を作ることができるのだ!とハリウッド映画に挑戦しているように思えました。途中からではありますが十分楽しめるコミカルな映画で「グッド!」。
 映画の後、恒例の感想会では皆さん随分と深読みされていたようで、当ブログなどが思いも及ばない「生と死」に関わる重たいテーマとして鑑賞されたようです。特に、自殺希望者の願いを叶える謂わば「殺人或いは自殺幇助」の裏社会の仕事と「安楽死」とを同一視しているかのような解釈の人が多かったのには少し驚きました。当ブログの感性が欠落しているのかもしれませんが、この映画は飽くまでもラブロマンのコメディーでしかないと思うのです。人も羨む富と地位があっても「虚無」が心を支配すると「唯々死にたい」と。そんなニヒリストが生きる意欲を持つのは「恋」だということで、そこには安楽死などという「重たい」話は出ないのです。そんな解釈、深読みをすれば西洋の一神教とインド・日本などの多神教の話になってしまったり、裏社会の親子がインド人に意味がある、とか輪廻転生とか「日本の仏教とはそんなボタンを押さない」と言ったセリフにまで講釈を考えなければならなくなってしまいます。そんなに意味深長な映画だったろうかとチョッと驚きました。
 映画としては「掌中の珠玉」のコンパクトな楽しいラブコミックでした。


「殿、利息でござる!」

2016年06月04日 | 映画
 「殿、利息でござる!」を観ました。よくできた面白い映画でした。前回取り上げた磯田道史の「無私の日本人」の1編目の「穀田屋十三郎」を映画作品化したものです。

 磯田道史の前作「武士の家計簿 ・加賀藩御算用者の幕末維新」も映画化されて評判となりました。「武士の家計簿」では貧窮した下級武士の一家族の貧乏からの脱出がテーマで、藩や社会、日本国といった広い視点でのテーマは欠落していました。原作者・磯田はそこにスポットを当てた作品です。日本の江戸時代には朱子学、陽明学、心学が庶民にも受入られ「聖人」的な考えやそれを実践するまさに無私の人たちがいました。最近、大きな話題になった「世界一貧しい大統領」ムヒカ (元ウルグアイ大統領)の人柄、人生観に共感する日本人が沢山いました。しかし、彼の場合は、原始共産主義の行き詰まりの結果であり当ブロウはとても賛同することなどできません。

仙台藩の物語ということで仙台出身のフィギヤースケート 羽生結弦が仙台藩藩主・ 伊達重村役で出演しています。役者でないのがよかった。

江戸城無血開城・・・太田垣蓮月

2016年06月02日 | 歴史
「無私の日本人」磯田道史著 文藝春秋刊を読みました。穀田屋十三郎、中根東里、太田垣蓮月の三人が取り上げられています。穀田屋十三郎は「殿、利息でござる!」として映画化され、現在公開されています。映画は好評のようです。当ブログも公開中にぜひ見たいと思っています。
     

太田垣蓮月の生き様に感動する人も多いとのことです。伝記や評伝が多く出版されているようです。
慶応4年(1868)4月11日、2回の勝・西郷会談で江戸城が無血開城されました。官軍の頭目西郷隆盛は強硬な討幕論者、一方の勝海舟も官軍の江戸進行に対して「焦土作戦」も辞さない構えであったと言われています。当時100万都市であった江戸の町を戦火から救ったことは絶賛されることです。そして、この成果の功労者は西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟などの名が挙げられます。

「あだ味方勝つも負くるも哀れなり同じ御国の人と思えば」

 蓮月は、幕府追討のため江戸に向かう西郷隆盛に「あだ味方勝つも負くるも哀れなり同じ御国の人と思えば」の一首を送ったそうです。様々の思惑が交錯したことでしょう。しかし、西郷が江戸総攻撃を断念した背景にはこの蓮月のこの一首が大きく影響したのではと言われています。
 我欲に凝り固まった「サモシク」も「イジマシイ」ニュースが毎日のように流れています。日本という国には人知れず「人様の為」に生きている人達がまだまだ沢山いることを信じています。