馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

大垣市に行きました。

2015年06月25日 | 奥の細道
奥の細道の芭蕉の句と絵を描き終わりました。1箇所くらいは所縁の地を訪れなければ、と思い大垣市に行ってきました。奥の細道の行程で一番訪問し易いところだからです。また、当ブログにとっては一時期職場があった大変思い出多いところでもあります。

 「奥の細道むすびの地記念館」に車を止めて周辺の観光スポットを巡りました。
  
「奥の細道むすびの地記念館」の展示は視覚的に理解しやすく、特に館内のAVシアターは3D映像で文字だけでは理解できない情景など、改めて句意を理解できました。例えば「蚤虱馬の尿する枕もと」の情景などは当ブログのイメージしていたものとは程遠い旅の困難を偲ばせるのがよく分かりました。
  
無何有荘              大垣八幡神社の自噴泉
大垣は湧水が豊富なところで市内のあちらこちらに清冽な涌水が流れ出しています。
  
  
  
 各項目の解説はリンク先をご覧ください。

   
当ブログが仕事をしていた頃のJR大垣駅舎は木造で駅の周りも個人商店が立ち並んでいました。その中でひときわ目立ったビルが「ヤナゲン」百貨店でした。当時、お中元・お歳暮はこのヤナゲンから贈るのが常でした。駅舎も駅前も近代的なビルに建替えられて面目を一新していますが、往時の賑わいは無く寂しい限りです。当ブログはお酒を嗜みませんので「地元の名酒」などには興味がありませんが、地元の銘菓には大いに関心があります。各地各地にはお気に入りの銘菓があります。名古屋に行けば「万松庵の納屋橋饅頭」金沢に行けば「今屋の柴舟」・・・・・など。ここ大垣は何と言っても「つちや・柿羊羹」です。それ程客の多くない菓子売り場でお土産に柿羊羹を買って帰りました。






「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(18)大垣(奥の細道結びの地)

2015年06月23日 | 奥の細道
美濃・大垣 元禄二年八月二一日 ~ 九月 五日  陽暦  一〇月 四日 ~ 一〇月 一七日 

蛤のふたみにわかれ行秋ぞ


奥の細道全行程踏破
   

「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(16)丸岡・天龍寺、敦賀

2015年06月14日 | 奥の細道
越前丸岡・天龍寺 元禄二年八月十日  陽暦:九月二四日


物書て扇引さくなごり哉

敦賀 元禄二年八月十四日~一五日日  陽暦:九月二七日~二八日


月清し遊行のもてる砂の上


名月や北国日和定なき





淡路・洲本城へ。・・・・太閤さんの置き土産

2015年06月11日 | 歴史
今年の梅雨は飛び石のように雨と晴が交互にあります。朝、起き出すと良い天気。ミツバチの世話やほかに野暮用が無いわけではないが取りあえずドライヴに出ようと中国自動車道に入りました。西宮名塩SAのレストランで新聞を読んでいると「淡路島観光」の記事が目に入りました。淡路島と言えば最近「銅鐸が大量発見」され話題となりましたので「そうだ!淡路島に行こう」と・・・・。
洲本市立淡路文化資料館展示:袈裟襷文銅鐸(重要文化財) 慶野組所有。兵庫県南あわじ市松帆慶野出土

 淡路文化資料館は洲本城址にあり背後に三熊山が聳え、微かに模擬天守閣を望む位置にあります。IFは淡路人形浄瑠璃などの民俗芸能と淡路島の原始~近代までの歴史展示。2Fは美術展示と民族展示、3Fは洲本市所縁の南画の第一人者・直原玉清の記念館になっています。(注:館内は写真撮影禁止。銅鐸の写真、ゴメン)
三熊山(133m)山頂に立つ日本最古の模擬天守閣

此の地は古代からヤマト・機内に通じる大阪湾の南の入り口、紀淡海峡を扼する戦略上の重要拠点です。本格的な築城は、戦国時代になってからですが、今に残る広大な石垣の縄張りは安土桃山時代と言われています。特徴的な穴太積(あのうづみ)で時代からして秀吉麾下の猛将脇坂安治が築いたのではないかと言われています。山頂の天守台にある模擬天守は昭和3年に建てられた日本最古とされています。
芝右衛門狸(しばえもんだぬき)の祠

 芝右衛門狸(しばえもんだぬき)の伝承はリンクしたWikipediaを参照していただくとして、上方大衆芸能全盛期、道頓堀中座には「柴右衛門大明神」なるものが祀られていました。藤山寛美、中村雁治郎、片岡仁左衛門、・・・など多くの芸能人が信仰しました。中座の奈落に祀られていたは「柴右衛門大明神」2000年「里帰り」し、現在は洲本八幡神社に祀られています。洲本城址にある芝右衛門狸の祠は、1962(昭 和37)年に片岡仁左衛門、藤山寛美など大阪の芸能人たちが寄進したものです。
 この芝右衛門狸は落語にもなりました。高座でも滅多に聴く事ができない珍しいネタですが、桂米朝追悼番組で(確か関西テレビだったと思います)でありし日の米朝の「まめだ」が放映されました。これも桂米朝が復活させたネタの1つです。
文化資料館前に建つお登勢の像

 お登勢は実在の人物ではありません。、船山馨の小説です。当ブログは見ていませんがテレビドラマになり人気となったそうです。特にNHKが沢口靖子がお登勢役を務めた金曜時代劇は評判が良かったようで、このお登勢像もそのとき建てられたそうです。  
庚午事変(稲田騒動)を時代背景として描かれています。
 「太閤さんの置き土産」或は「太閤さんの後始末」
廃藩置県の際、淡路島は当初「淡路・徳島・讃岐」が1つの県として「名東県」になりました。その後、讃岐が香川県に編入され名東県は阿波徳島と淡路島、つまり旧阿波国の領地と一致しました。しかし、明治9年、第2次府県統合により、名東県は分割されて廃止された。阿波国は高知県に編入され、淡路国は兵庫県に編入されました。淡路島が兵庫県に編入されたのは稲田騒動が原因とされています。この時、太政官の担当官は「稲田騒動」はそもそも蜂須賀公が阿波に領地を貰った時、義兄弟の契りをしていた稲田氏を客分として淡路の仕置きを任せ、大名格の待遇を認めたことによるものです。この蜂須賀・稲田の義兄弟関係を容認して庇護した秀吉の配慮が後世まで尾を引く格好になり、この処理を太政官役人は「太閤さんの置き土産」「太閤さんの後始末」といってぼやいたそうです。
 
蛇足
 淡路には古い友人がいます。久し振り(20年振りくらいかなぁ)に国道沿いの喫茶店で会いました。彼は該博な知識の持ち主で、話をしても尽きることが無いヤツでした。今回、久し振りに会うと変に悟ったようなオジン臭い男になってしまって一向に話に興が乗らない。たいした修行もしていないで唯馬齢を重ねただけで「悟りが開ける」訳がない。「お前、老いぼれたか・・」と叱責しても「まァ、そんなこともあるよ」だって・・・。「悟った」とか「枯れた」なんて言うのは「老いた」「衰えた」「気力が無くなった」と云うことで決して「自慢」したり「褒めたり」することではない。「オイ、よたよたせずにシャキーとせんか!」と歯がゆい思いをしました。


越前大野に行ってきました。

2015年06月09日 | 歴史
6月7日(日)越前大野にドライヴしてきました。入梅したとのことで週間天気予報を見ると今日しか無さそうと言う事で出掛けました。日帰りドライヴとしては距離的には限度かもしれません。但馬の竹田城址がブレーク、次いで備中松山城が人気ですがそれに続くのが越前大野城です。
 




越前大野城は標高249mの亀山に築かれています。その為天守閣に向かうには急な階段を登らなくてはなりません。勿論、緩やかな遊歩道も整備されていますが楽をして距離をとるか、一寸しんどい思いをして時間を取るか・・・。迷った末に最短コースの階段を登ることにしましたが、バテました。
幕末の名君 土井利忠

初代城主 金森長近


石垣は「野面(のづら)積み。自然石をそのまま積む技法

 大野盆地は湧水で有名で街のあちらこちらに清水が湧いています。



七間朝市(しちけんあさいち)ガ開かれる七間通り


 越前大野は配合飼料の営業マンの時代、特に入社1年目には月のうち半年は滞在したところです。サラリーマンほどいい商売は無いなァ、と実感しました。お金をくれてあれだけのことを教えてくれ経験させてもらえる。知らない世界に名刺1枚出せば入っていける。そして最終責任、命まで取られることのない、こんなありがたい仕事は無い、と毎日興味津々でした。本人は楽しくて走り回っているのですが、傍目からは必死に働いているように写っていたようです。走り回ったり勉強した分、自然と成績が付いてくるから一層面白くもなるし、結果が伴うので何をやろうが勝手放題。偶に「組織で行動しているのだから・・」と言われた様な気もしましたが全く放し飼い状態で仕事ができました。仕事と言うより当ブログにしてみれば未知の世界をお給金を頂いて経験させてもらったようなものです。


当時の定宿というより下宿先のような旅館

 懐かしさで訪ねてみようかと思いましたが、考えてみると恐らくお孫さんの時代になっています。想い出は潰さないほうがいいかも・・・・。入り口玄関は改装されていましたが、裏から眺めると何時も使っていた部屋が残っていました。


橋下徹劇場ファイナル。

2015年06月08日 | 時事問題
ブログに取り上げるように、とリクエストしてきた友人から「お前、友達少ないやろ」と言ってきた。彼は北海道のとある市の部長職で退職した生粋の公務員です。彼曰く「大阪の橋下のような人物でないと日本の官僚組織を改革できない」そうです。彼は彼なりに日々お役所仕事の不条理の中で仕事をしていたので、遠い大阪での橋下徹の快刀乱麻の悪人退治には溜飲を下げ大いに期待していたのだろうと思います。それに彼が当ブログに期待していたのは「大阪的な落ちのある吉本喜劇的政治談議」だったようです。「お前、空気を読めよ。」まァ、当ブログが大上段に構えすぎたようで、軽く飲み屋での政治漫談でよかったようです。と云うことで橋下徹劇場は今回で終了します。しかし、今回だけはお気軽に、とも行かないので最後まで小難しい政治談議になります。
 橋下徹が大阪府知事に当選してすぐに公務でベトナムとシンガポールを訪問しました。(2010年1月)淡路島と同じくらいの面積しかないシンガポールという小国がアジアでも屈指の経済成長を遂げ、しかも驚異的な国際競争力を誇っている。この現実を目の当たりにした橋下知事は、「大阪をシンガポールのような強い経済力を持つ都市にしたい。そのためには、府と市を一度ばらばらに解体し、大阪都に再編するしか道はない」という考えに至ったとされています。
 

シンガポールの成功は、リー・クアンユーと彼が率いる人民行動党による「開発独裁体制」と言われています。リー・クアンユーの政治信条は「アジアにはアジアの価値観があり、欧米流の人権や民主主義はシンガポールには馴染まない」でした。橋下徹の発言として2011年(平成23年)6月29日、パーティーで「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」と大きな問題となりました。奇しくも橋下徹の本音が飛び出したものです。

 大阪市職員のカラ残業、厚遇問題、裏帳簿、傍若無人の組合労組、規律風紀の乱れ、政管財癒着・・・、俗に言う大阪問題。また地方議会の体たらく・・・、一般庶民はこれら諸々の地方行政に対するフラストレーションが鬱積、爆発寸前の状況にヒーロー橋下徹が颯爽と登場し、今まで誰も立ち入れなかった問題に挑戦しました。
 「橋下徹でないとあれだけの事はできなかった」「橋下だからできたことが沢山ある」「橋下の言っていることはある意味正しい」などと未だに橋下待望論があります。当ブログは逆で「橋下徹だからこそできた」のがいちばん「危ない」のだと思っています。権力志向が非常に強い、独裁志向、所が彼の価値観は垂直のカーソルしか持っていない。単純な例えですが教育問題であれば「進学塾の先生」と同じで、東京大学を頂点にしたピラミット、偏差値で成果を測る、・・・全てにおいて単純で垂直のカーソルでしか判断する。ある意味非常に分かり易い。大衆受けする。しかし、こんなチンピラの浅薄な考えで物事を押し切られるととんでもないことになるのは明らかです。
   
リ・クアンユーの言うように「欧米流の人権や民主主義は馴染まない」と云うのは日本にも当てはまります。日本の民主主義は戦後与えられたもので「和式庭園に洋風建築を建てた」ようなものです。それでも日本人は「でも暮らしよい」と「デモクラシー」を歓迎しました。仏教国で儒教精神が根強く残っている日本人が民主主義を維持するにはそれなりの努力が必要です。「不安な自由か安心な不自由か」時として一般庶民は権威に依存した不自由の本で安心感を得たいと思うものです。仮に橋下徹を信託して大阪を任せた場合、自らの野望を達成するために「良からぬ勢力」と手を結べば・・・・。現に大阪都構想の最終段階での「公明党」の態度変更は誰が見ても裏取引があったと思わざるを得ません。また、財政基盤の脆弱な大阪維新の会が、都構想の住民投票選挙期間中に費やした広告費は何処から出たのでしょうか?ヒョットして思いもよらない「宗教団体」からだったかもしれません。
 学生運動華やかなれし頃、我々世代の学生が皆読んだエーリヒ・フロム「自由からの逃走」を思い起こしてほしい。ドイツ国民があの狂気のナチス独裁に導かれた原因はなんだったのか?偏に「愚民政治」です。
ナチス・ヒットラーの後継者ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリングが奇しくも言い放った「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。(中略)しかし最終的には、政策を決めるのは国の指導者であって、民主主義であれファシスト独裁であれ議会であれ共産主義独裁であれ、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。(中略)とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。」
 民主主義を担保するのは最終的には個の確立です。個の確立ができていれば「不安な自由」などありません。そのためには多様な個の存在を認める多様なカーソルを待たなければなりません。




二重行政てなに?・・・・大阪の水道事業。

2015年06月05日 | 時事問題
大阪府と大阪市の二重行政の象徴的存在ともされるのが水道事業です。橋下徹知事は、大阪府・市の水道事業統合に乗り出しました。当時は大阪府知事と大阪市長は「徹チャン」「邦夫チャン」と呼び合うほどの仲の良さで、2人は頻繁に会合を重ね「府市連携や文化行政のあり方、水道事業の統合」などを話し合いました。しかしその後次第に「徹チャン」と「邦夫チャン」の考え方に違いが顕著になりだしました。例えば「文化行政については、施設の廃止や補助金の削減を主張する橋下大阪府知事に対して平松市長は、府が削減した文楽協会や大阪フィルハーモニー交響楽団への補助を継続しました。この頃から橋下徹は「大阪市不信」の想いが拡大して言ったようです。そして「大阪圏を引っ張るのは大阪市だと思っているが、市民の利益を超えた大阪のためという意識がどこまであるのか疑問。平松市長の市民協働は、本当なら区長がやるべきだ」と言い出し、大阪市解体へとつながって行きます。
 水道事業統合問題は、協議機関で審議し「府市は、市の案にもとづく統合で合意」しますが、大阪市以外の府下市町村と大阪府との協議がまとまらず、統合に至りませんでした

 業を煮やした橋下徹は仇敵・大阪市を制圧するために大阪府知事・大阪市長のダブル選挙を仕掛けて、維新の会松井一郎ガ知事、自らは市長の座を獲得しました。そして再度橋下市長主導で「大阪市水道局と同市を除く府内42市町村でつくる大阪広域水道企業団を統合する条例案」を議会に提出します。結果は維新(33人)を除く4会派が全て反対し否決されました。市議会からは「市民へのメリットが見えない」「府内で2番目に安い大阪市の水道料金が値上げされかねない」との批判が相次いだ、との報道です。
 大阪府・大阪市の水道事業は問題が無いとは言いませんが全国レベルで評価すると上手く運営されているようです。特に大阪市の水道事業の評価は高いものがあります。
「自己水」とは「自前で確保している水源」のことです。「自己水」で不足する分を大阪府から「買い水」をします。当然「自己水」が沢山あるところは「水道代」は安くあります。自己水が少ない所は水道代は高くなります。大阪市は100%自己水です。
大阪市の1立方メートル当たりの給水コストは、約40円に対し、企業団は約80円です。統合に際しては多くの問題をクリアしなければなりません。特に災害時の「水の確保」そしてこの2倍の給水コストをどの様に処理するかです。
 そしてそこまで大騒ぎをして統合して何のメリットがあるのか?という大きな疑問が説明されていません。
1つの試算があります。(府市水道事業統合検証委員会・水谷委員の水需要予測の資料を基にシミュレーション)

府単独でのコスト削減額1271億円   市単独でのコスト削減額109億円   府市統合でのコスト削減額460億円  合計1840億円

府単独、市単独のコスト削減は、大阪都が実現しなくても行えますから、
大阪都を実現して水道事業を統合した場合の正味の行政コスト削減額は25年間で460億円、一年あたり18.4億円です。

 水道事業は世界の成長産業です。経済発展の著しい東南アジア、インド・・・などインフラの遅れた国々の水道事業は主にフランスの巨大会社が独占状態で、イギリスなどは国家戦略として売り込みに必死です。
橋下徹さん、チマチマした自己顕示に腐心する暇があったら「大阪財政建て直し」の特効薬として世界に誇る「大阪市の水道事業」を切り札に使う本当の改革を断行しては。


二重行政てなに?・・・府知事・市長「くにおチャン!」「とおるチャン!」

2015年06月03日 | 時事問題
随分と昔のことになってしまいました。2007年10月に行政経験のない民間出身の大阪市長となった平松邦夫。続いて2008年1月に弁護士でタレントの橋下徹が大阪府知事になりました。民主党が参議院選挙で圧勝し安倍晋三が政権を投げ出し、選挙の無いまま福田康夫内閣が発足、世論は政権交代間近との期待が一挙に膨らんだ時期の選挙で、民主党・国民新党などの推薦の平松邦夫が大阪市長に当選しました。一方、橋下徹は現職で最有力候補の太田房江が「政治とカネ」の問題で出馬を断念した間隙に乗じて他候補を大きく引き離して当選しました。この頃の2人は、出身基盤がお互いに似たところもあり非常に中のよい間柄でした。
松竹芸能所属漫才師・酒井くにお、とおる

 お互いに「邦夫チャン!」「徹チャン!」と漫才の酒井くにお・とおるのギャグを使って呼び合うほどの中でした。「不幸せ(府市あわせ)」と言われた大阪府と大阪市の協調に大きな期待が集まりました。
            
りんくうゲートタワービル 高さ256.0m  大阪ワールドトレードセンタービルディング 高さ256.0m

今回の都構想で二重行政弊害の象徴のように言われた大阪府が主導して建設した「りんくうゲートタワービル」、大阪市の「大阪ワールドトレードセンタービルディング」。この2つの破綻した超高層ビルの存在です。
りんくうゲートタワービルは、アジアのハブ空港としての関西国際空港開港に合わせて世界に開けた街づくりとして「りんくうタウン」の中核施設として大阪府主体で着工された超高層ビルですが、その後のバブル崩壊と関空の利用の伸びの低迷などから運営に行き詰っていました。
●大阪ワールドトレードセンタービルディング、、通称「WTCコスモタワー」は国内有数の貿易港である大阪南港を臨んで立地しているだけあって、もともとは国際交易のための情報集積や業務サービスの拠点として機能するインテリジェントビルというコンセプトで建てられた。着工時には地上252mで計画されていたが、同時期に大阪府が建設したりんくうゲートタワービルの高さが256mであったことなどから、高さを4m増やしてりんくうゲートタワービルと同じ256mとしましたが、りんくうゲートタワービルの高さが厳密には256.1mとなったことから、横浜ランドマークタワー(横浜市西区、296.3m)、りんくうゲートタワービル(大阪府泉佐野市、256.1m)に次ぐ日本第3位となってしまいました(現在はあべのハルカス300.0m、横浜ランドマークタワー、りんくうゲートタワービルい次いで第4位)。
 この大阪市の計画した大阪ワールドトレードセンタービルディングは完全に破綻しその処理が大きな課題となっていました。この窮地を救ったのが橋下徹大阪府知事でした。橋下知事はこの大阪市のお荷物を買い取って老朽化の激しい大阪府庁舎をそっくり移転すると言う計画を実行しました。この移転計画には様々な思惑が入り乱れて¥ましたが、結果現在は大阪府に所有権が移転され、「大阪府咲洲庁舎」に改称され利用されています。
 この大阪ワールドトレードセンタービルディングを大阪府庁舎にする計画のため当時橋下徹大阪府知事は平松邦夫大阪市長を自ら訊ねて行き譲渡を申し込んでいます。そして和気藹々と「徹チャン」「邦夫チャン」と仲の良さをアピールしたものです。

 何を言いたいのかと言うと今回の大阪都構想は「大阪府と大阪市の二重行政の弊害をなくす」ため大阪市を解体する、その二重行政の象徴として橋下徹や維新の会が声高に訴えた「大阪ワールドトレードセンタービルディング」「りんくうゲートタワービル」の失敗を例に挙げていますが、上記の如くこの2つの超高層ビル建設とその後の破綻は、二重行政とは全く関係の無いことです。府市の無益な競い合いの末にムダなハコモノを作ったのは事実としても、仮に大阪府がりんくうゲートタワーを建設しなくても大阪市のWTCビルは破綻していたはずである。これらの巨大事業の破綻は経済予測と政策の詰めの甘さによるものであり、単純に二重行政が原因というのはかなりの無理がある。大阪市は2004年4月、有識者などによる大阪市特定団体調査委員会を立ち上げた。その年の10月に公表された報告書によると、旧WTCビルなど第3セクターの破綻は「バブル経済崩壊から施設の開業までの間に、経済状況の変化など収益を圧迫すると予測し得る様々な要因があったにもかかわらず、各社が経営の観点からその事業計画及び財務構造の見直しをしなかったこと」が原因だとし、二重行政だとは一言も述べていない。(吉富 有治 大阪府市の二重行政は本当か)
 橋下徹の「二重行政」が諸悪の根源のような訴えの根拠が全く事実と異なっている好例です。まさにブッシュの「大量破壊兵器の存在」と同じです。それでも橋下徹さんの政策を支持できますか?