「美味しい料理に笑顔があふれ 噺の笑いが月までとどく~ 初秋の箕面公園で落語をたのしみませんか 川床で味わう特製お弁当付き!中秋の名月のころ、まん丸のお月さんも見られるかも・・・」の謳い文句で梅屋敷で落語会がありました。
演者は何れも桂米朝一門の桂しん吉、桂鯛蔵の二人です。「開口一番」と言って落語会などで、その一番最初に演じる者。 多くの場合 前座が務める様ですが、本日は芸歴の若い桂鯛蔵が「動物園」を演じました。「動物園」と言う噺のネタは何とイギリスの話だと言われています。
桂しん吉は古典の名作「金明竹」と「中入り」を挟んで創作落語「だんじり狸」の二題を演じました。
「金明竹」は話の構成としては前段と後段の二部から成っていて、前段は骨董屋のおじさんに世話になっている与太郎。この丁稚の与太郎は少々頭に霞がかかっていてそれがおじさんの悩みのタネ。その丁稚の与太郎が店番をして引き起こす頓珍漢のドタバタのお話。後段は骨董品7点の購入を依頼していた得意先が「断り」の口上を伝えに来ますが、留守番の与太郎と店主のおかみさんでは、骨董の専門用語を並び立てられても「チンプンカンプン」。骨董店の店主が帰ってきて客の口上を聞きが全く要領を得ません。そして「あいつに道具七品を預けてあるんだが、買ってったか?」「いいえ、買わず(蛙)です」チャンチャン。
「だんじり狸」は古典風に仕立ててありますが、日本でただ一人の落語作家小佐田定雄の創作によるものだそうです。今回初めて聴きました。
4半世紀も前の話です。冷凍食品卸会社をやっていた頃、堺東銀座商店街に「うどん屋」がオープンしました。間口の狭い奥行きのある5階建てのビルで、1回はテーブル席、2階は厨房、3・4階は畳敷きのお座敷席、5階が事務所兼倉庫でした。エレベータが無く納品は狭い階段を5階まで何度も重たい荷物を運び上げなければならない苦労をした店です。3階の座敷席には本格的な舞台が設けられており「利久寄席」が月1回開かれました。
この利休寄席はその後23年途絶えることなく続いたそうですが、「うどんちり利休」が廃業と共に「利休寄席」も無くなりましたが、長年続いた堺の名物ともなっていた「利休寄席」復活の声に去年場所を変えて「利休寄席」は復活したそうです。
利休寄席が始まった頃は得意先の行事と言うこともあり随分とお手伝いをしました。当初、利休寄席の中心メンバーは桂喜丸、桂都丸、桂雀々、桂む雀、桂吉朝・・・らの若手連中でした。丁度、今夜のしん吉や鯛蔵のような・・・。
桂喜丸は、若くして鬼籍に入りました。その喜丸の最後の演目が「短命」と言うネタで、喜丸は自分の人生の「オチ」を自分でつけたようです。同じく若くして鬼籍に入ったのは桂吉朝で、今晩出演した桂しん吉の師匠にあたる人です。
また、喜丸と同じく利休寄席で活躍した桂都丸は今や大名跡「塩鯛」を継いだ桂塩鯛師匠です。今晩の開口一番役の桂鯛蔵の師匠です。
桂しん吉は古典の名作「金明竹」と「中入り」を挟んで創作落語「だんじり狸」の二題を演じました。
「金明竹」は話の構成としては前段と後段の二部から成っていて、前段は骨董屋のおじさんに世話になっている与太郎。この丁稚の与太郎は少々頭に霞がかかっていてそれがおじさんの悩みのタネ。その丁稚の与太郎が店番をして引き起こす頓珍漢のドタバタのお話。後段は骨董品7点の購入を依頼していた得意先が「断り」の口上を伝えに来ますが、留守番の与太郎と店主のおかみさんでは、骨董の専門用語を並び立てられても「チンプンカンプン」。骨董店の店主が帰ってきて客の口上を聞きが全く要領を得ません。そして「あいつに道具七品を預けてあるんだが、買ってったか?」「いいえ、買わず(蛙)です」チャンチャン。
「だんじり狸」は古典風に仕立ててありますが、日本でただ一人の落語作家小佐田定雄の創作によるものだそうです。今回初めて聴きました。
4半世紀も前の話です。冷凍食品卸会社をやっていた頃、堺東銀座商店街に「うどん屋」がオープンしました。間口の狭い奥行きのある5階建てのビルで、1回はテーブル席、2階は厨房、3・4階は畳敷きのお座敷席、5階が事務所兼倉庫でした。エレベータが無く納品は狭い階段を5階まで何度も重たい荷物を運び上げなければならない苦労をした店です。3階の座敷席には本格的な舞台が設けられており「利久寄席」が月1回開かれました。
故桂喜丸
この利休寄席はその後23年途絶えることなく続いたそうですが、「うどんちり利休」が廃業と共に「利休寄席」も無くなりましたが、長年続いた堺の名物ともなっていた「利休寄席」復活の声に去年場所を変えて「利休寄席」は復活したそうです。
利休寄席が始まった頃は得意先の行事と言うこともあり随分とお手伝いをしました。当初、利休寄席の中心メンバーは桂喜丸、桂都丸、桂雀々、桂む雀、桂吉朝・・・らの若手連中でした。丁度、今夜のしん吉や鯛蔵のような・・・。
桂喜丸は、若くして鬼籍に入りました。その喜丸の最後の演目が「短命」と言うネタで、喜丸は自分の人生の「オチ」を自分でつけたようです。同じく若くして鬼籍に入ったのは桂吉朝で、今晩出演した桂しん吉の師匠にあたる人です。
また、喜丸と同じく利休寄席で活躍した桂都丸は今や大名跡「塩鯛」を継いだ桂塩鯛師匠です。今晩の開口一番役の桂鯛蔵の師匠です。