国家とは何か。ドイツの社会学者マックスウェーバーは同時代のロシア人革命家、トロッキーを引用してこう言った。「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている。(トロッキーの)この言葉は、実際正しい」(岩波文庫「職業としての政治」)ウェーバーは、国家は暴力抜きには語れないと説いた。国家の法秩序は、軍隊や警察や監獄など暴力的な強制装置によって維持されているからである。社会学の常識だ。
さて、国会だ。仙谷由人官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言で、野党が辞任を求めている。マスコミも失言を批判している。仙谷氏本人も「適切を欠いた」と謝罪した。
奇妙な議論である。自衛隊は、国家を支える武力組織である。一朝ことあれば、中国軍やロシア軍と戦うかもしれないのだ。中国軍やロシア軍は暴力装置である。非暴力では対抗できない。強力な暴力行使の能力こそ、自衛隊の存在意義ではないか。(中略)
国家にとって暴力は善悪ではなく、正当か不当かが問題になる。国家の行使する暴力のみが「正当」である。国家以外の団体や個人には国家の許す範囲でしか暴力行使は認められない。自衛隊が暴力の「装置(国家機関)」であるというのは「正当」ということであって、悪口ではない。(中略)
秩序維持のための国家の暴力を正当とする論理は、革命派に対抗する論理だ。「暴力装置」と聞いて、官房長官が左翼過激派だったと騒ぐメディアがあるが、これも的外れだ。
僕は不案内なのでよく分かりませんが「暴力装置」という言葉は社会学や政治学の辞書を見てみますと上記と同様の内容で記載されています。
「暴力装置」はその方面の勉強をした人たちにしてみれば将に「常識」としての「術語」のようです。
参議院で仙石官房長官の問責が可決された。問責の1つとして「自衛隊は暴力装置」と発言したことも含まれているようです。
発言後の各党のコメントで共産党の幹部が「術語」として認め、同情的な発言がありました。しかし、マスコミも含めて大方は「暴力」という言葉が持つ「マイナスイメージー」で「失言」として批難しているように思います。
国会議員やマスコミ関係者と云うその世界のエキスパートが「マックスウェーバー」や又「暴力装置」と云う「術語」を知らないはずがないと思うのですが、仙石官房長官に対する「批難」は何なんだろうと不思議に思っています。
1997年6月3日NHKで放映された「堂々日本史」(シリーズ太平記後醍醐天皇 悪党を使って幕府を討つ)
「楠木正成、赤松円心、名和長年など“悪党”と呼ばれた新興勢力が、時代 を動かした14世紀を振り返る3回シリーズ。第1回めは、後醍醐天皇が 畿内の悪党勢力と宗教勢力と共に挙兵、1335年に幕府を崩壊させるま でを追う。また、悪党とはどんな集団だったのか、かれらの軍事・経済力 を解明。」という番組がありました。
これが放映された直後からNHKに抗議が殺到したそうです。主に右翼と称する人達からの抗議が多かったようです。
正成を祀った湊川神社が抗議する事件があった。タイトル「悪党」とつけられては、正成が「悪人」だったのではないか、と誤解を招くというのが、神社側の抗議の趣旨だ。
これに対してNHKでは「悪党は悪い連中と言う意味ではなく、歴史上の新興勢力を表す語」としている。
この「悪党」という言葉も「歴史用語」で教科書などにも通常に使用されています。抗議を受けたNHKの担当者にしてみれば「なんで!」という感覚だったと思います。
これも「言葉狩り」なんだろうか・・・。