馬糞風リターンズ

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「暇だなァ。絵でも描くか」・・・・・お下げと花と地蔵さんと

2010年09月30日 | 日記
今日は秋晴。誰も遊んで呉れそうもない。
庭もほぼ片付いたし、テレビは「尖閣列島、検察の証拠偽造、子供の虐待・・」と見れば見る程ストレスが溜まる。

 しばらく、筆を持っていないので「絵でも描くか」
それにしても「一人ごち」さんは見る度に「巧くなっている」
やはり根っから「好き」なんだろう。確かに「巧い」
展覧会の告知が無いのが残念。4組のHPの管理者が「もっと賑やかに利用して!」と呼びかけているのに・・。



 思いつくまま「お地蔵さん」を描いてみた。
すると「指を丸めて覗いったら 黙ってみんな泣いていた・・」と三橋美智也の唄を口ずさんでいました。

「お下げと花と地蔵さんと」で集団就職時代の望郷の歌詞だそうです。
仲間との別れに「照れ隠し」に、親指と人差指で「○」を作り、おどけて覗いて見せる仕草なんだろう、子供の頃によくした動作です。

 作詞は「東条寿三郎 」で「上海帰りのリル」「東京の椿姫」などがヒット曲だそうです。
この東条寿三郎作詞で三橋美智也が歌った「星屑の町」と言う歌があります。
「両手をまわして 帰ろう 揺れながら・・・」
この歌い出しの「両手をまわして」が分からない人がいました。

「気を付け!」の姿勢から「両腕」を90°に曲げ、その状態で両腕を「廻す」 蒸気機関車の動輪の動きです。
子供が「汽車汽車 シュポシュポ ・・」と両手を廻すあの動きです。

 そんな有らぬ事を思いながら描いた絵が完成しました。
水墨画は「絵と書」だからこれで「イイか!」 

すだちジャム作りに挑戦

2010年09月28日 | 日記
能勢・亀岡にドライブした時に乾君がお土産に「すだち」を呉れました。
1日遊んでくれて土産まで頂いたのに「お礼」を言っていませんでした。
乾君「ありがとう」

 すだちも最近はハウス物が出回っていますが頂いたのは、昔ながらの本物の露地物のようです。
調味料として使用するだけでは量が多すぎるので「ジャム」を作ってみようと挑戦しました。



スライスして種を丁寧に取り除きました。人に依っては真ん中の芯もとるようですがそこまではしませんでした。
 水だけで沸騰させます。表面に浮き出た「アク」や「汚れ」を軽くすくい取ります。



グラニュー糖と蜂蜜を「ドサー」と遠慮なく投入にします。



 水分が飛ぶまで焦げない様に「トロ火」で1時間ほど煮詰めて行きます。

煮詰まるまで時間がありますので、ここでUnknownさんのコメントにquick response
(ケルン)「発音もしてくれたのですが、どうしてもケルンとは聴こえませんでした。」と教えて頂きましたので、僕も手近にいる定年間際の中学の英語の教師にケルンcairnを発音してもらいました。
僕には「ケアーン」と聞こえました。多分、ケルンと云うのは日本人だけなのでしょう。



 ジャムは少し酸味が強すぎるようです。
煮汁を倍のお湯で割るととても美味しい「ホットすだちジュース」になりました。
冬場には体がホクホクする絶好の飲み物になりそうです。

乾君、ありがとう!

「ミニ同窓会」亀岡~能勢をドライブ

2010年09月23日 | 日記
9月22日(水)晴れ。真夏日
同級生4人でドライブしました。
10時30分、千里中央駅で合流。新御堂から箕面トンネルを抜けて「止々呂美」へ。
このトンネルは工事中に箕面の滝の水脈を切ってしまい、その為箕面の滝は現在ポンプアップしているそうです。R-423で亀岡市に。最初の訪問地は「穴太寺」に。
境内には高齢者の「写真クラブ」の人達が来ていました。こちらから見ると「高齢者」なのですが、残念ながら我々も同年代の様だったのが悲しい。



穴太寺の近くに式内社稗田野神社と言う古社があります。そこに元禄時代創業の「大石酒造」があります。此処の2階の展示場には写真の様な美男子のマネキン人形があります。探偵ナイトスクープで一躍有名になったマネキンで、放送後、一度は廃棄されていたマネキンを再び登場させたそうです。ナイトスクープでも傑作に数えられた作品で、全国からこのマネキンを見にくるお客さんが絶えないそうです。



湯の花温泉を通ってR-477で再び能勢に入り「明月峠」がら道の駅能勢(くりの郷)「レストランひだまり」で名物栗ご飯定食、栗カレーを。猛暑のためか農産品は完売、売り場には生鮮野菜は1つもありませんでした。名物の「栗」もなし。



最近人気がある「能勢の棚田」。コスモスは満開でしたが彼岸花は1週間ほど遅れているようでやっと花芽が膨らんだ程度でした。来週あたりは畦道は真っ赤な彼岸花が見事に咲揃いそうです。



野間の大ケヤキ
随分と周辺の整備ができ見学の観光客も増えているようです。
丁度町役場の若い職員さんがいましたので「安徳天皇の墓」などを教えてもらいました。
壇ノ浦で「入水」したはずの安徳天皇が何故この能勢に来たのか?不思議な話ですが、ここ能勢では古くから伝説があります。



若い町役人さんは非常に親切な方で丁寧に説明し教えてくれました。
仲田君のリクエストで「安倍保名」の碑を見たいとのことで、これもかなりマイナーな存在ですが、丁寧に所在地を教えてもらいました。
 仲田君によると安倍保名は安倍 晴明のお父さんだそうです。
仲田君の家は1000年近く阿倍野王寺神社にあり、安倍晴明の子孫だそうです。
「安倍保名」の碑ではなく、宝篋印塔が神社の境内にありました。
この地区は「信田(しのだ)と言うそうです。



一庫ダム展望台にて。



太田君宅にて、3年4組HP掲載行事についての打ち合わせ。
近々、3年4組HPに楽しい企画の告知がありそうです。

総理大臣の記者会見で気になる事。桐の紋章

2010年09月20日 | 雑学
菅内閣が発足しました。
総理大臣の記者会見で気になる事があります。
スピーチデスクに「桐花紋」が付いていることです。
菅総理の写真を探したのですが適当なものがありませんので小泉総理を拝借しました。

 余談ながらネット上では未だに小泉総理は圧倒的に人気があるようで、他を圧しています。



 日本国の「国章」と云うものは正式には無いそうです。
パスポートの表紙は「菊花紋」です。
「菊花紋」は本来「天皇家」の紋章です。
法令の定めは有りませんが、慣例的に天皇の紋章である「十六八重表菊」を国章に準じた扱いにしているそうです。

 そう云えば「国旗国歌」も最近まで法的な根拠がありませんでした。
法律で「国旗・国歌」を定められたのは「国旗及び国歌に関する法律」で平成11年8月13日(法律第127号)のことでした。

 この時,衆議院本会議に菅直人氏他2名から「国旗及び国歌に関する法律案に対する修正案」が本会議に提出された。修正案は、国歌を削除する内容だったそうです。
此の事が総理大臣に昇りつめた菅首相の「ウィークポイント」になるかも知れません・・・



 僕と同じ疑問を持つ人が官邸に質問をしています。そして官邸から回答がありました
官邸からの回答ですからそれ以上にとやかく言うつもりもありませんが、もう少し薀蓄を・・・・。

 「五七桐花紋」は皇室の慣例的な紋章で「国章」に準じた扱いを受け、裏家紋と使用されてきたそうです。
先に見たように首相、政府(内閣)もこの「五七桐花紋」を使用しています。



「五三桐」は、法務省や皇宮警察本部が紋章として使用しているそうです。
菊花紋、桐花紋ともに「皇室」の紋章ですが、伝統的に「菊花紋」が重用された傾向があり、桐花紋はそれに比べて使いやすかったようです。
江戸時代には四百家以上が家紋として使用し、庶民層は特に「五三桐」を好んだようです。
また明治政府も「菊花紋」には制限を加えましたが「桐花紋」は特別な制限を行わなかったのでより庶民性を感じさせました。

 その事もあり「民主主義国・日本」の政府・役所の紋章は「菊花紋」より「桐花紋」の方が相応しいと考えたのかも知れません。



写真は「五三桐」を付けた織田信長の肖像画です。織田家の代表的な家紋は「木瓜(織田木瓜)」です。
木瓜の家紋は尾張守護の斯波氏より拝領したものだそうです。
織田信長は他にも幾つかの家紋を使用しています。
「揚羽蝶」「永楽通宝」「二つ引両」「桐紋」「十六葉菊」「無の字の紋]などです。

 この内「揚羽蝶」は平家の家紋で「源平交代」の意志を表したものとされます。
「無の字の紋]は禅の教えとされ、信長の意外な一面を表してい。
「永楽通宝」は経済に力点を置いた信長らしい家紋です。

問題は「二つ引両」「桐紋」「十六葉菊」です。
「十六葉菊」は言うまでも無く「天下人」となった信長へ皇室から送られたものです。
「二つ引両」は足利氏の家紋で、信長の助力で将軍になった足利義昭より、桐紋と合わせて拝領しました。
足利氏は尊氏の時天皇家から「桐紋」を送られています。

 菊花紋に次ぐ格式のある桐紋は、足利幕府以後、武家が望んだ家紋で、足利尊氏や豊臣秀吉などもこれを天皇から賜っています。このため、五七桐は「政権担当者の紋章」という伝統が確立されました。

内閣総理大臣記者会見場の「桐花紋」はそんな背景があるようです。

行き合いの空

2010年09月17日 | 日記
今日(9月16日)午前11時10分、夏枯れでひどい状態の庭に久しぶりに出て見た。
空を見上げると、数日前までの空と違っていました。



東南の方からまだ夏の雲が流れてきます。
「行き合いの空」
日本には二十四の季節があり、それぞれ風情ある表現方法があります。
行き合いの空、あまり聞かなくなった季節の変わり目です。



今年も「千成ヒョウタン」が成りました。

ゾウが描いた絵の展覧会!?兵庫県立人と自然の博物館

2010年09月12日 | ドライブ・旅行
9月10日(金)暑さが戻ったカンカン照りの中、三田市にある兵庫県立人と自然の博物館に行きました。

 僕の思い過しかも知れませんが、兵庫県・神戸市の博物館、西はりま天文公園にしても兵庫県立美術館にしても企画運営が大阪府・大阪市のそれに比べて上手なように思います。

平日とあって来館者は少なかったようです。しかし、セミナー室では農業高校生対象の研修講座が開かれていたようです。

特別展示コーナーでは「ゾウが描いた絵」が40~50点展示されていました。
説明が無ければ「ゾウが描いた」とは誰も気付かないと思います。



よこはま動物園ズーラシアのインドゾウ「チャメリー」と「シュリー」が描いた絵だそうです。2頭ともメスだそうです。
タイトルの「花」の様な絵は「チャメリー作」の点描画です。鼻をチョンチョンと小刻みに使って点で描くそうです。「チャメリー」は水墨画風も描くそうです。

ゾウが何故えを描くのか?
飼育管理上の「躾け」の一環だそうです。
「ハズバンダリートレーニング」という動物園での健康管理のひととうで、「足の裏は大丈夫か?」とか、「鼻はちゃんと動くか?」をチェックするため、日頃から飼育員の指示でいろんなポーズや動きがとれるようにしていく訓練、他にも見慣れないモノに柔軟に対応できるようにするためでもあるそうです。
この「ハズバンダリートレーニング」により器用に鼻を使って上手に絵が描けるのだそうです。そして飼育員や観客から「シャバース!」(アッサム語:よくできたね)と褒められると励みになるそうです。そして動物園生活のストレスも解消しているのだそうです。

しかし、人間の画家より「巧い!」何点かは「ほしいなァ」と思いました。



この博物館の「目玉」は「恐竜コーナー」です。
篠山市の加古川水系篠山川河床から地元の恐竜マニアが「小さな化石の一部」を発見。
鑑定の結果、ティタノサウルス形類である可能性が高い事が分かり、脚光を浴びました。
また、この発見場所の状況から「完全な全体化石」が有る可能性が高まり、数次の発掘調査がつづけられています。
2007年には草食恐竜の肋骨などの化石十数点および、肉食恐竜の歯3点が見つかり、恐竜ヒーバーが今も続いています。

「相談コーナー」に若い女性の学芸員さんが応対してくれました。
彼女は「植物分類・植物地理学」が専門で、今まで応対してくれた学芸員さんの中で一番分かりやすい説明をしてくれました。
しかし、まだ僕の疑問は解決しません・・・。

咲くやこの花館・長居植物園・大阪市立自然史博物館へ行きました。

2010年09月10日 | ドライブ・旅行
9月8日(水)台風の影響でベットリとした南風が吹く蒸し暑い中、咲くやこの花館に行きました。
平成2年開催された「国際花と緑の博覧会」のパビリオンとして建設された日本でも最大級の温室です。
 平日と天候の加減で来場者は疎らで数える程でした。

咲くやこの花館の由来は「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(古今和歌集)だそうです。余談ながら「此花区」もこの和歌から命名したそうです。

水連が綺麗に咲いていました。薄紅、紫、白、黄色と世界各地の珍しい品種も含まれているそうです。



多肉植物のコーナー、主にサボテンが植えられているのですが、その一角に「キソウテンガイ」がありました。
花博の当時(20年前)からは大分に成長しているように思いました。
「キソウテンガイ」は名前の通り奇想天外な花です。

「キソウテンガイ」俗名だそうで和名は「サバクオモト(砂漠万年青)」学名Welwitschia mirabilis。
1属1種という特殊な植物で、5千年も生きている株もあるそうです。

2階にある「相談コーナー」で、僕が今疑問に思っていることを聞きに行きましたが、残念ながら「分からない」とのことで、長居にある大阪市立植物園か大阪市立自然史博物館に行ってください、とのことで久しぶりに長居公園を訪れました。

 此処でも残念ながら疑問に答えてはもらえませんでした。
 

信州旅行雑学習得(白馬は「ハクバ」or「シロウマ」?)

2010年09月08日 | 地名・地誌
JR大糸線の「白馬」駅は「ハクバ」駅。行政の「白馬」村は「ハクバ」村。その他施設や地名は全て「ハクバ」と言っているようです。

一方、この白馬村のシンボル「白馬岳」は唯一「シロウマ」岳と言います。
北アルプスの山々に遅い、待ち焦がれた「春」が訪れます。白銀の山肌にいろんな「雪形」が現れます。この「白馬岳」には写真の様な「雪形」が毎年、毎年出現します。地の人達は「代掻き馬」に見立てたと云われています。
白馬岳に「代掻き馬」の「雪形」が現れると、そろそろ田んぼの準備を始め、本当に「代掻き」をしたのかも知れません。
また、今年は「代掻き馬」が遅いので「豊作だ!」とか「不作だ!」、或いは「代掻き馬」は「太っている」「瘠せている」とかで「作柄」「天候」の予想が出来たのだろうと思います。
 この土地の人達は何百年もの間、こうして北アルプスの山々の変化を観察し、自然から多くの事を学び、多くの恵みを受けて生活してきたのでしょう。

「代掻き馬」が「代馬」そして「白馬」と表記しましたが、お山はやはり元々の「シロウマ」です。
その裾野に開ける集落も「白馬」ですが、何故か音読の「ハクバ」となりました。
なぜ、音読になったのかは興味あることです。分かればまた報告します。



 太田君のロッジの台所から真正面に見えるのが「五竜岳」です。
この山に現れる「雪形」は写真のように「菱形」が4つだそうです。
これを地元の人達は「武田菱」に見立てたようです。そして御菱(ごりょう)岳と呼んでいたと言います。「御菱」が「五竜」に変ったものと言われます。

 ただ1説にはこの山が「立山の後」に位置する事から「後・立山」→「後立」(ゴリュウ)と言う人もあるようです。

世の中には「奇を衒う」のを好む人もいて、どうも人と違う事を「言いたがる」ご仁がいるようで、この「後立」説もその様なお方の「妄説」。
また、余談ながら「竜」が付く地名は古代「中国人」の蟠踞した所と、これまたとんでもない「戯言」を云う幸せなお方もいるようですが、それではこの「五竜」は中国人とどの様に結びつけるかお聞きしたいものです。

地名に竜が付く所は、古代中国との関係が深い、と云う事を主張する学者(?)は結構沢山いるようです。

信州旅行雑学習得(ケルン)

2010年09月06日 | 雑学
写真は八方尾根の「第2ケルン」です。
八方尾根をトレッキングしてい「第1ケルン」「第2ケルン」「第3ケルン」と目標を定めて、「あそこ迄」「次のケルンの見える所まで」と必死に歩きました。

 所で「ケルン」とはどう言う意味なのか?同行の仲間に聞いてみました。
要約すると「石を山形に積み」登山の目標にしたもの、と言うのが大方の意見でした。
「ケルン」と言う「ドイツの町」がありますが、「ケルン市」の「ケルン」と同じかなァ?などと聞いてみましたが判然としません。
 そんな話をしていると、同行の1人が「また、ブログにケルンとは」と書くんだろう!冷やかされました。そんな遣り取りがあったので「ケルン」を書くのは止めようと思いましたが、待てよ!ご期待に応えるのも一興かも、と思い直した次第です。

 都市名の「ケルン」は「Köln」と書くそうで、ラテン語で植民市を意味する「Colonia 」に由来するそうです。どうも登山用語の「ケルン」とは縁がなさそうです。
そこでインターネットの辞書で「ケルン」と入力しますと、3項目がでました。

ケルン【cairn】
山頂や登山路に、道標や記念として石を円錐形に積み上げたもの。

ケルン【(ドイツ)Kern】
中心の部分。核。中核。

ケルン ドイツ西部、ライン川に臨む都市。

どうも「cairn」が正解の様です。

ここに辿り着くまでに尊敬するドイツ語の先生(ゲーテ研究家)に問合わせた返事が返ってきました。
「・・・所で先ほどの日本では山岳登山用語であるケルンはたしかにcairnでした。スコットランド、のゲール語で、石で積み上げた道標でした。いかにも霧の国からうまれた語彙という印象です。ひとつ利口になりました。多謝。」



「第2回今高畑田杯ゴルフ」・・・暑かった!!

2010年09月04日 | 日記
9月3日(金)第2回今高畑田杯ゴルフに参加しました。

(和歌山県)橋本カントリークラブ 9時スタート。


参加者
1組近藤俊彦・田原伸之・仲田孝史
2組甘利靖男・毛利勝利・山口憲洋  計6名

今回は参加者少人数のためダブルペリアによるコンペは中止。
ニアピン賞:仲田孝史・山口憲洋・毛利勝利

皆さん可なりの腕前で80代前半から90代前半で回られたようです。

僕は、スコアーをカウント不能。ただ、昼からのハーフは何とか「指を折らず」に数える程度でプレー出来ました。



当ブログで紹介したように「20年間」放ったらかしのクラブ、手袋、靴は見た目にはなんとか使用可能と思っていました。所が、スタートして3ホール目から、靴が「パカパカ」しだし、4ホール目では完全に底が外れてしまいました。
皆さんに迷惑を掛けるので、リータイヤしようと思いましたが、プレーが成立しないとのことで4ホールの「ティーショット」は「裸足」で行いました。でも、このショットが本日最高のショットでした。

でも、やはり「紳士のスポーツ」ゴルフは相に合わないようです。

長野県白馬村に行きました(8月29日~9月1日)

2010年09月02日 | 日記
8月29日(日)快晴。酷暑
大阪組・太田夫妻、勝岡、田原、甘利の5名。名古屋から近藤夫妻。中央自動車道・恵那SAで合流。長野自動車道から安曇野へ。



ツインオークスで飛騨牛ステーキランチ・手作りデザート。



大王わさび農場北アルプス展望美術館探訪。展望美術館では「テルテル坊主」野外展覧会をしていました。姫川源流域を散策。



白馬村「ウイング21」で開催された「夏の終わりコンサート」へ。終了後会場前で行われた「立食パーティー」は異様な盛り上がりで、参加者全員が「お友達」状態。参加費500円で「飲み食いし放題」更に明日のトレッキング用昼弁当の「おにぎり」「ビール」をたんまり持ち帰れたのは「超格安」温泉入浴後太田ロッジ。




オリンピックジャンプ台にて夜間水ジャンプがあり観戦。
太田ロッジの「お楽しみ」は「闘球盤」。65を過ぎたおじんとおばんが大興奮。


8月30日(月)快晴。酷暑

早朝より「八方池」を目指して出発。
こんなにガスもなく展望が開けるのは滅多にない事だそうです。



おびなたの湯」にて

8月31日(火)快晴。酷暑

栂池自然園トレッキング

一休み

小谷温泉「雨飾荘・露天風呂」

9月1日(水)快晴。酷暑

大阪組、帰路。今回は田原さんお勧めの「安房峠」を越えて「飛騨」に抜けるコース。
安曇野最期の「昼飯」の後、名物の「大人のソフトクリーム」を賞味。


平湯の大瀧