馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「農業は人類の原罪である」・・・面白い本です。(つづき)

2013年04月27日 | 雑学
 前回は本題に入る前に翻訳者竹内久美子さんの事で終わってしまいました。所がその記事をUPするとご覧頂いたフォロワーの方々数名の人達から竹内久美子さんの逸話や周辺情報を知らせてくれました。それによると、竹内さんは可なり独創的な個性の強い方のようです。
 「一人ごち」さんの最新のブログに「採用時の男女の能力差」や「オスライオンの生態」の事が書かれています。これらの事は、今、話題としている「進化論の現在シリーズ」で取り上げられている問題です。「採用時の男女の能力差」についてはシリーズ第2弾「女より男の給料が高いわけ」で、オスライオンが「メスが働いて子育てをしている横でオスは欠伸をして寝ているなぁ」と「怠惰」であることは「農業は人類の原罪である」でその「怠惰」の理由を、また「オスは種族保存と戦闘だけにしか役立たない」とも書かれていますが、オスが群れを乗っ取った時、以前のボスの子供を妊娠していたり或いは授乳期であれば、乗っ取ったオスは交尾ができません。その時、群れに起こることは・・・。この問題は「シンデレラがいじめられるほんとうの理由」で扱われています。

「農業は人類の原罪である」はイギリスの動物学者「コリン・ダッシ」が著したものです。原題「Neanderthals,Bandits And Farmers - How Agriculter Really Began」で「ネアンデルタール人、ならず者、農民」と訳すのが本来ですが邦訳を「農業は人類の原罪である」としたのは翻訳者の卓越したセンスだと思います。
 原生人類の直接の祖先と言われるクロマニヨン人とネアンデルタール人は、少なくとも5000年、恐らく1万年以上にわたって並行して生きていたと言われています。この2種類の人類が一方のネアンデルタール人は今から2万数千年前に絶滅し、クロマニヨン人は南北アメリカ大陸をはじめオーストラリアなど全世界に進出し繁栄を極めています。ネアンデルタール人の滅亡した原因・理由はよく分かっていませんが多くの仮説ががあります。コリン・ダッシはそれらの仮説にもう1つのアイディアを提案しています。それはクロマニヨン人は「農業わ始めた」ということです。人類が農業を始めたは1万年前、新石器時代になってからとされています。コリン・ダッシが主張する旧石器時代に農業が営まれたという証拠はありません。この本の魅力はその部分を説得力のある分析で推論している所です。
 今から1万年前、氷河期が終わり新石器大革命と言う大きな変化が人類史に起こりました。寒冷のため大量の水が氷として陸地に閉じ込められたため、海面は200mも下がっていたそうです。その氷河期が終わると気温上昇に伴い陸地に閉じ込められていた氷は海に流れ出し、海水面は一挙に上昇しました。それは僅か数十年の出来事だと言われています。

 8千年前ペルシャ湾の大部分はまだ陸地だったそうです。その人類の楽園を洪水が襲い人々は高台であるメソポタミアに避難します。狩場を失くし、難民で溢れたメソポタミアでは生き残る手段として組織的に大規模な農業を始めたとされています。考古学的に人類の最古の農業遺跡がこの地域で見つかっていることからもこの推論は支持されています。その一連の出来事と聖書の創世記の記述「ノアの方舟」「エデンの園」が似通っている事などの論考も非常に面白いところです。

 人類がライオンなどと同じ「ハンター」であった頃は、ライオン同様「怠惰(ならず者)」であった。それが農業を始めてか
からは「勤勉な働き者」になりました。農業は環境を操作して作り出される食物の量を増やします。食料が増えれば人口は当然増加します。増加した人口を養う方策は農業を拡大する以外にありません。こうして農業と言うものは「悪環境の螺旋」に人類を追いやったともいえます。
 「勤勉」は良い、「怠惰」は悪、と言う道徳観は、人類が農業を始めたからであり、ハンターのままであれば「勤勉」は「無意味な徒労」と言えるでしょう。
「今こそ我々は、この指数的な人口増加がこの先どれくらい続くのだろうかと疑問を投げかけてみなければならない。さらに言えば、今や、アベルを殺したカインに象徴されるような頑固さや愚かさ、勤勉さ、つまり新石器時代の人間とその子孫を成功に導いたやり方、そういうものがこれからもずっとふさわしいかどうか問い直すべき時である。我々の遠い祖先の狩人は、ライオンと同じように、あくせくとは働かなかったに違いない。我々はそういう祖先からこそ学ぶべきではないだろうか。」

蛇足:農業が景観や自然環境を守っている、として農業保護論を展開する人たちがいます。しかし、農業が自然環境を破壊してきた張本人であることは各分野で証明されています。今、農業擁護論の中に「農業が自然環境を保全する」と主張するのは「全くおかしな理論」です。農業保護を環境保護にすり替えなければならないところに今の農業保護論者の正当性のなさが窺えます。



彦根市長選挙・・・・「桜田門外の変」?????

2013年04月22日 | 歴史
4月21日(日)、彦根市長選挙がありました。各新聞やTVの情報番組で話題になったのは「政策論争」ではなく、立候補者の祖先・家系だったようです。4選を目指した現職の獅山向洋、元県議の大久保貴、元参院議員秘書の有村国知の3人の争いだったようですが、新人の大久保貴が現職の獅山向洋を大差で破って当選しました。投票率は41%前後と低調だったようです。新聞によると「大きな論点のない選挙」だったようです。選挙期間中の様子は、他県の事であり報道も全くなかったのでこんな「場外バトル」が勃発しているとは知りませんでした。獅山向洋候補が有村国知候補の出自について批判したようです。詳しくはリンク先の記事を参照してください。
 司馬遼太郎の小説に「幕末」というのがあります。短編10本を収めたものです。その「幕末」の巻頭の作品が「桜田門外の変」です。

桜田門外の事変であまねく知られている有村治左衛門兼清が、国許の薩摩から江戸屋敷詰めになって出府したのは、事件前年、安政六年の秋の事である。・・・・・・・・・・・・・   ・・・・・「これは風懐でごわすが、辞世のつもりでもあります」と、煙管をとりだした。その柄に、磐、鉄も、摧かざらめや、武士が 国安かれと、思ひ切る太刀  と、こまごまときざまれていた。・・・・・・・・・・・

 司馬遼太郎「幕末」の「桜田門外の変」の書き出しの部分です。当時の東海道は熱田から船で海上七里、桑名まで行き四日市、鈴鹿、亀山、関から鈴鹿峠を越えて土山、水口を経て草津・大津へ抜けていました。現在の国道一号線です。桑名から東海道以外に脇往還があり、それは現在の近鉄北勢線或いは三岐鉄道、国道では421号のルートに重なる街道です。桑名から数キロの所に「梅戸井村」(三岐鉄道・梅戸井)に有村治左衛門が投宿したことがあるそうです。40年以上前のことですが、僕はこの梅戸井にいたことがあり、村の有力者の老人から有村治佐衛門も逸話を聞いたことがありましたが「寡黙な人」だったようです。いろんな逸話を聞きましたが割愛しますが「近々、江戸で大事件が起こる」と言う意味のことを言って去って行きましたが、その数か月後に「桜田門外の変」が起きたそうです。梅戸井村のその方の家には治左衛門の辞世と言われる「いわ、かねもくだかざらめや もののふが くにやすかれと おもいきるたち」の短冊が残っていました。

 今回の彦根市長選挙の「場外バトル」は噴飯ものです。幕末維新の頃、国事に奔走した人々は少なくとも「憂国の情」「赤心の誠」と言う高い志があったのは確かです。井伊直弼にしても有村治左衛門にしても今回の市長選を「茶番もいい加減!」とお怒りの事でしょう・・・。



春の一日

2013年04月18日 | 日記
寒暖の差が激しい気候がやっと落ち着いたようです。ここ二~三日は穏やかな日が続きます。庭の草花もやっと咲きそろいました。しかし、例年になく花の咲き方が不揃いで、咲く順番もまちまちのように思います。園芸店で聞くと、強ち気候条件の所為だけだはないそうです。現在園芸店で売られている草花は、外来種で品種改良されているし開花調整をして店頭に出されているから今までの季節感に合わないんだそうです。我が家の庭に咲いている花も殆んどがカタカナ表記のものです。それを嫌って「菜の花」を咲かせたのですが、この菜の花も在来種ではない「園芸品種」です。これって「自然破壊」かなァ?

 梅の木に「アブラムシ」が付いたので「オルトラン水和液」を散布しました。農薬は絶対使いたくないからと言うことで「牛乳」や「酢」などを散布することを進める人がいますが、実際効き目はどうなんでしょうか?ご近所で草花を大切に育てている方や家庭菜園をされて居るお宅もあります。我が家の庭が病害虫の発生源になるのはご近所迷惑なことになりますから僕は少し強めでも有効な「化学農薬」を使用します。
 世の中には「有機農法」や「無農薬・自然農法」などと言って趣味の園芸農家が農村で「人生の楽園」を楽しむようですが、農業で生計を立てている農家さんの田畑に「病害虫」をまき散らしていることに気付いているのだろうかと腹立たしい気持ちになります。
 

 当ブログでも紹介した洋に、我が家の梅の木にはここ2年間、花は咲くのですが実が付かない状態でした。ブログで紹介したように「受粉樹」として白梅の鉢を傍に置いてたのですが、結果は小さな梅の実が幾つか付いています。
 

自然の仕組みと言うのは不思議なことが多いもので、見ていて楽しくなります。梅の実の数は咲いた花の数に比べれば1割にも満たないものですが・・。

 ウメは「自家受粉」が難しいそうですが、サクラの代表「ソメイヨシノ」は「自家不和合性」が強いそうです。ですからソメイヨシノはソメイヨシノ同士では結実は難しく、純粋にソメイヨシノを両親とする種は採れないそうです。ソメイヨシノは接木で増やします。今、全国にあるソメイヨシノは1本の原木から接木で増えたものです。ですから遺伝子はすべて同じです。現代的に言うならば1本の原木の「クローン」です。遺伝子が同じですから環境が同じであれば開花も同じになります。「開花予想」や「桜前線」が可能になるのはそのためなのだそうです。


「農業は人類の原罪である」・・・面白い本です。

2013年04月16日 | 雑学
梅田にある大型書店を覗いてみました。なるべく本が増えすぎないように買うのを控えていますがついつい・・・。
新書版の新潮社コーナーに「シンデレラがいじめられるほんとうの理由」「生物は体のかたちを自分で決める」「農業は人類の原罪である」が並べてありました。この3冊は -シリーズ「進化論の現在」ー と言う企画ものです。上記の3巻はシリーズ第1弾で第2弾として「女より男の給料の高いわけ」「現実的な左翼に進化する」があります。これら一連のシリーズは「政治、経済、社会、生物・・・・。世界を読み解く知の枠組みは、進化論=ダーウィニズムによってこうも変わった」更に「各分野のオーソリティーが平易に説く、最先端の研究成果がここにシリーズ化」と広告。又、本の帯には「・・・もはや現代の進化論は、キリンの首がいかにながくなったかとか、ウサギの耳はなぜ伸びたなんて研究している訳ではありません。現代の知の枠組みを変えつつある(進化論)の最先端を紹介・・・」とあります。
ダーウィニズムが 西欧科学文明の思想的バックボーンとして、欧米人の精神世界はもとより政治・経済などあらゆる分野に大きく影響したのは周知のことです。そうでないとあの冷酷無比な「帝国主義」の侵略行為を正当化できなかったことでしょう。
「弱肉強食」の進化論を「棲み分け」の理論で質したのは日本人学者グループです。そんなこんなで多少とも「進化論」に関心があったのですが、このシリーズを購入する一番の理由は、翻訳者が「竹内久美子」さんだからです。竹内さんの著作は発行される度に話題となります。ちょっと皮肉な見方をすればセンセーショナルで「ドッキリ」するタイトルで引き付ける「商売がお上手」とも言えますが、とにかく面白い読み物を提供してくれます。
竹内さんの事は「リンク」先の記事を観れもらえればわかりますが、竹内久美子の本として面白かった2~3の本を紹介します。
「男と女の進化論・すべては勘違いから始まった」・・・・女のシワや男のハゲの謎、背の高い男、口のうまい男がモテるワケ。理科系男や子供っぽい東洋人の成り立ち・・・・」
「小さな悪魔の背中の窪みー血液型・病気・恋愛の真実」・・・血液型を考えることは、すなわち免疫を考えることである。血液型と性格の関係を俗説とする“科学”の主流派に異を唱える・・・。寿命・美しさ、相性の問題…などの謎を解明」
「シンメトリーな男」・・・男のシンメトリーがどの程度であるかによりモテルモテ内が決まる・・・。宗教や思想の起源がシンメトリーに由来する・・・」
「BC!な話」・・・・「生物学的に正しいBiologically Correct視点に立てば「浮気は子供ができやすい」!暗躍する精子、マスターベーション男女の効能、女の痩身戦略、人間のペニスの形と大きさ、ピストン運動の目的・・・」
 どれもこれもベストセラーです。下心のあるエロ親父が飛びつきそうなタイトルがずらりと並びます。しかし、研究成果に裏打ちされた説得力のある、しかも学問領域を超えない記述は「ナルホド」と感心も得心もさせられ、下司な下心もどこかに吹っ飛んでしまう痛快なモノばかりです。
 竹内久美子さんの本の紹介になってしまいましたが、「農業は人類の原罪である」他このシリーズの翻訳者が彼女であるのでその内容も分かり易くて尚且つ面白い、と言うことで本題は次回からになります。




凱旋桜を観てきました。出雲街道(岡山県新庄村・久世町・勝山町)

2013年04月13日 | ドライブ・旅行
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岡山県北部、中国山地に位置するこのエリアは「美作の国」と呼ばれています。古くは岡山から広島県一帯に「吉備の国」がありました。その後「備前・備中・備後」の三国に分かれます。その備前の北方六郡を分割して「美作」になったそうです。奈良時代、和銅6(713)年だそうで、当地方は建国「1300年になるそうです。
 中国道から米子道・蒜山ICから新庄村に行く予定でしたが、勝央SAで案内嬢が「米子道・久世ICで降り、出雲街道の景色を楽しまれた方がいいですョ」とアドバイスしてくれました。アドバイスに従い出雲街道に出て直に一際目立つレトロな木造洋館が目に飛び込んできました。国指定重要文化財旧遷喬尋常小学校です。敷地内にある文化施設の案内嬢が校舎内をボランティアガイドが案内してくれると教えてくれました。できればこの御嬢さんに案内してもらいたいのですが・・・・。因みにこの御嬢さんもこの校舎で学び卒業したそうです。
  


 この校舎は映画・ドラマのロケに使われているようで「ALWAYS 三丁目の夕日」「火垂るの墓」「大病人」などの又、NHK朝ドラ「カーネーション」でも使用されたそうです。又、この建物には貴重なものが他にも沢山残されています。使用されている窓ガラスは昔の不均一で気泡が残っているものです。この貴重なガラスは保存されることなく使用されていて、もし割れてしまうと現在の板ガラスをはめ直すのだそうです。また、電気時計や始業を知らせる「鐘」、一番驚いたのは鋳物製の立派な「奉安殿」が残されていたことですボランティアガイドの方もこの学校の卒業生で、思い入れも大変なもので校舎内を隅から隅まで熱く案内していただきました。予定外の立ち寄りでしたが見学は1時間以上にも及びました。
     

 「暖簾の街」真庭市勝山町で昼食をとりました。先ずは「真庭市立郷土資料館」へ。
昼食は遅くなったのでメニューが限定されていました。十割そばは結構いけました。店内にはアメリカ製のまきストーブが良い雰囲気を醸し出していました。2軒ある骨董店を除きました。そのうちの1軒は以前NHKTVの情報番組でも登場したお店で、見覚えのある元気なおかみさんが応対してくれました。関西仕様の長火鉢が思いもかけない安値で売られていました。骨董に目が利く中村君が90%以上買う気になっていましたが思いとどまっていました。
 

   

 新庄村凱旋桜までの道筋にはこの2~3日の寒の戻りで降雪があったようであちらこちらに残雪がありました。気温は9℃で車から降りるとぞくぞくする寒さです。凱旋桜の見ごろは20日ころだそうですがこの寒さだと成る程と肯けます。  

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久々の一条さゆり

2013年04月10日 | 大衆演芸
4月9日、朝日新聞夕刊に「反骨の踊り子しのぶー一条さゆり考えるシンポー」と言う記事が掲載されました。
権力とか反権力などと言う言葉に最もなじまない最底辺の河原芸人のストリッパーを何故「反権力のヒロイン」に祭り上げたがるのだろうか? 最盛期には200館以上あったといわれている、ストリップ劇場だが現在、全国のストリップ劇場は47館だそうです。現在営業を続けている劇場でも入場客は疎らでどこの劇場も経営難だそうで何れこれらの劇場も廃業となることでしょう。「絶滅危惧種」の最たるものです。

 いつの頃からか「ゴミ」を分別して収集日に出すようになりました。人様に迷惑を掛けないように「ゴミ」さえ綺麗にビニールのごみ袋に入れて烏除けネットを掛けて門先に出します。その分別されたゴミはリサイクルされるものもあります。
そんな世相が日常になった時代にストリップ劇場、スマートボール、射的屋、見世物小屋が姿を消していきました。
どぶ川に漂った「アクタ」が消えただけのことです。一条さゆりはそんな時代の「アクタ」でしかないのです。誤解のないように静かに休ませてわ・・・。
「一条さゆりの真実」加藤詩子 講談社は迫真のルポルタージュです。興味のある方は一読をお勧めします。

医王岩・・・為那津比古が開いた北摂の邪馬台国

2013年04月03日 | 歴史
第16回月曜会ハイキング(4月08日)は「西光寺(西江寺?)⇒白島西⇒医王岩⇒二十二曲り⇒G8⇒南山⇒G8⇒才ケ原⇒地獄谷 」のコースだそうです。このコースの医王岩まで一帯は古代(邪馬台国のあった頃)の遺跡がある所です。健康のためのウォーキングの会ですから小難し古代史をゴチャゴチャ披瀝するつもりはありませんが、ウォーキングの途中遺跡に立ち寄られるのもたのしいかも知れません。

(画像をクリックすると大きくなります)

 バス道を被昇天学園を過ぎて直の所、如意谷団地に銅鐸出土地があります。如意谷銅鐸は昭和41年正月、団地造成工事中の如意谷丘陵を犬を連れて散歩中の地元住民によって偶然発見されました。ブルドーザーで削られた土中に黄金色に輝く物体が目に入ったそうです。
写真左より現在団地内に設置されている説明版。発掘調査中。箕面市立郷土資料館に展示されている如意谷銅鐸。(クリックすると大きくなります)
犬の散歩中、銅鐸を発見したのは地元の本城寿男さんです。本城さんはたまたま銅鐸の知識があったため現場を保存して直に市役所に連絡しました。この適切な処置により如意谷銅鐸は、埋納状態で発見された初めて例になりました。
 話は少し脱線しますが、若し貴方が銅鐸のようなお宝を発見したらどうでしょう?ひょとしてそのお宝は1千万円の値打ちがあるかもしれません。まァ、そんな思惑が交差しての「ドタバタ」劇が・・・。この如意谷銅鐸については当ブログ開設時に顛末も含めて詳しく紹介しましたが、プライベートな問題があって現在は削除しています。本城さんと僕は同年代で、同じ歴史同好会のメンバーでした。彼はリタイヤーし現在は山陰の小都市で銅鐸の研究を続けています。
医王岩の説明版と平成4年撮影の医王岩
萱野北小学校前を山手に曲がって行くと大宮池、薬師寺があります。そして今は廃社となった大婦天王社(私有地で入れません)がありそこから300m程先に人型をした医王岩があります。
箕面市民病院横、現コーナン店舗付近から撮影した箕面の山並み。高層マンションもまだ建っていません。(平成4年撮影)(クリックして下さい)
 弥生時代、邪馬台国があった頃、北摂の広い範囲(吹田市千里丘陵から箕面市、豊中市、伊丹市、尼崎市)にイナ国があったという説があります。旧版箕面市史の鳥越憲三郎(大阪教育大学)が主張した「イナ王国論」がその代表です。
 現在の為那津比古神社は石丸2丁目(冒頭の地図であは青松園前)に鎮座していますが、神社から50mの所に「今宮」と言う地名があります。将に今宮であり旧社地は医王岩の所にあった「大婦天王社」でした。
イナ王国があった頃、イナ一族の祖神を祀ったのが為那津比古神社であり、その祭祀場が医王岩であり、祭祀のシンボルが如意谷銅鐸だった、と言う説です。

「イナ王国論」に魅了されて多くの郷土史家や歴史ファンが、独自の「イナ王国論」を発表しています。
  
 
 当ブログでは過去に「イナ王国論」を何度か紹介しましたが、事情があって現在は削除しています。唯一何故「五月山(池田市)」と言うの?・・・地名の話(12)が参考になる項目です。
 道中、古代の箕面に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。




第2回目シネ倶楽部「アンナカレーニナ」鑑賞

2013年04月02日 | 映画
4月1日、第2回目シネ倶楽部映画鑑賞会でした。詳しくは世話役の乾さんから掲示板に報告があると思います。沢山公開されている作品から「コレ」と言った作品を選ぶ世話役さんも大変だと思います。大変さを十分わかっていますので決してイチャモンをつけるのではありませんから前もってお断りしておきます。映画を見た後の全くの個人的な感想です。

 大学の同級生に1回りも年上の人がいました。この人(Aさん)は関西出身で旧帝大であった超有名国立大学大学院でロシヤ文学を専攻し、モスクワにも留学経験がある人でした。その後、やはり関西にある国立大学に奉職しましたが、その時期に精神的に大きなダメージを受けて浪々の旅を続けて、たまたま帯広に立ち寄って畜産大学に魅了されて一般入試で首席で合格しました。新聞配達所で住み込み通学をしていました。我々若造の青臭い書生議論にも丁寧に真剣に参加する生真面目な人でした。下宿のストーブを囲み、焼酎とジンギスカン、たばこの煙で目が痛くなる部屋でいろんなことを「だべり」議論しました。そんな中で文学論なども飛びだ出すことも度々ありました。
 Aさんはロシア文学の専門家ですから自然と集まった学生への講義となってしまいます。無論、トルストイは何度も話題になりました。
その頃、Aさんは切ない悲しい「恋」に落ちていたようです。想像ですがAさんが放浪の旅に出たのもやはり「切ない悲しい恋」の結果ではないかと思われます。そして、また帯広の地で「切ない悲しい恋」に落ちたようです。
 「戦争と平和」「アンナカレーニナ」がトルストイ作品の最高峰だそうです。しかし、Aさんには「アンナカレーニナ」が心を占領していたようです。きっと「障害の多い不道徳な恋」だったのでしょう。「アンナカレーニナ」の冒頭「復讐は我(神)にあり」の本意について熱く語っていたAさんを思い出します。自分の境遇に重なるところがあるのでしょうか。
 卒業後、Aさんの消息を聞くことが絶えてありませんでしたが、最近同窓生から「Aさんは卒業から2~3年の後に農家の納屋で首を吊った」と聞かされました。
「人間は、真の人間になるためには、自分の内部に神の存在を意識しなければならない。」トルストイの言葉です。また、Aさんが語ったトルストイ文学の背景です。聖書・キリスト教を理解しなければトルストイ(多くの西欧文学も)は理解できない、と熱く説いていました。

 今日見た「アンナカレーニナ」はイギリス映画ですが、アカデミー賞の候補作品で実際「衣装部門」でアカデミー賞を獲得しています。
しかし、僕の感想ですが「単なる我がままな貴婦人の不倫物語」としか映りませんでした。映画を原作通りにとは言いませんが、今回の作品はあまりにも通俗に過ぎはしないか。どうせここまで通俗な作品にするならもっとエロチックな場面でもあればそれはそれで面白うのだが・・・。残念ながら大金をかけて作った「昼メロ」。

 
「アンナカレーニナ」は何度となく映画化されていますが、1997年公開されたアメリカ映画の「アンナカレーニナ」の方が未だ主演のソフィー・マルソーの魅力で僕は好きです。内容はイマイチ。トルストイ文学を映像化すること自体に無理があるのでは・・・。