のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

ゲームのキャラクター

2010-08-31 | KA
 炊飯器でのパンは、今回も上手く焼けず、三度目の正直にはなりませんでした。二度焼きしても、今一つ。パンが焼けない炊飯器もあるようなので、あと一回、もう少し長い時間設定で焼いてみて、うまく焼けなかったら諦めます。
 車の量が少なく、街も空いている感じがし、学校が始まったことに気付きました。
 いつもいらして下さるお客様からお手紙が届き、またいらして下さるとのこと。さらに、ミスティアのアーティストからの言葉も届き、今日の良いエネルギーとなりました。
 シェリーのお友達が作ったという、私のキャラクター。350個のステッカーを貼り付けながら、8時間掛かったそうです。シェリーのキャラクターは、お化粧の細かいところまでそっくりでした。
 フルートを、思い切って二本とも新しいものにすることにしました。しかし、一本の表面加工がもう剥がれてきてしまいました。その上、なんとなく身体の動きが悪い感じ。二回目のショーでは、小指にほんの少し当たるというか、かすることが何度かあって、危ない感じ。最後には、右手に持ったフルートを左手に何故か当ててしまい、投げられませんでした。私には三秒は停まっていた感じがしましたが、DVDで確認したところ、よく分かりませんでした。でも、自分でびっくりしたので、顔には出ていたと思います。
 新しい電話は、スマートフォンというものらしく、追加料金が必要だと連絡が入ってきました。電話は、電話とテキストと呼ばれるメールしか使わないので、シンプルなもので良かったのですが…。それにしても、電話を変えたこと、そしてそれがスマートフォンだということが、どうやって電話会社に分かったのか。恐ろしい世の中です。

Recycled Percussion

2010-08-30 | 日記
 昨日の朝を取り戻すことはできませんが、本日は少し早くから活動開始。朝はとてもさわやかで、得をした気分になりました。いつもの朝食の時間まで食べるのを待つとすると、時間があります。アルバム作りに必要な、足りないものを買いに行きました。
 帰ると朝食を食べて、すぐにドラムのクラスへ行きました。今日から楽器に触れることになり、好きな楽器が選べました。私は候補が二つあったのですが、結局、大きなドラムではなく、アゴゴと言う、二つ並んでいるベルをスティックで叩く楽器の方を選びました。
 円になった中心に、先生が入り、楽器一つ一つにリズムを付けていきました。大きなドラムは六人を三つに分けました。それから、シャカシャカと音の鳴る、タンバリンの周りにあるような、シンバルがいっぱい金属の枠の中に並んでいる楽器、ガンザ・ヂ・プラチネイラを加え、アゴゴが入ります。先生は、時々音楽の用語を使うので、分からないことがあり、集中してそれを理解するようにしました。中くらいのドラムと、スネアドラムみたいなカイシャと呼ばれる楽器が入り、最後に、タンボリンと言うタンバリンみたいな楽器を三本に分かれたスティックで叩く楽器が入ると、みんなで演奏をしました。
 クラスに、ミスティアの歌手の友人が男性と来ていました。二十三年前に出会った人と、二十年振りに出会い、またお付き合いを始めたと。素敵な話でした。
 帰ってアルバム作りをしていると、少し億劫になってしまいましたが、『Recycled Percussion』のチケットを頂いていたので出掛けることにしました。入口を入ると、すぐにスティックとヘルメットをつぶしたような形で汚れが付いた重い金属の塊を渡され、観客参加型のショーだと分かりました。お鍋とか、バケツとか、ケーキ型とか、いろいろなものが渡されていましたが、私のは何なのでしょうか。その“楽器”となるものには赤の印がついていて、何かと思っていると、映像が始まり、バンドメンバー四名にそれぞれ色の担当があり、自分の楽器についた色の担当者がその色の板を揚げた時に、自分の楽器を叩くことが分かりました。赤の担当はジャスティン。ジャスティンくんと言った方が好いような、可愛らしい彼。彼は、世界一速くドラムをたたけるのです。その上スティックを回したり投げたり。良い筋肉がついていました。
 客席から八名程の観客が選ばれ、舞台上でスティックを回させられたり、投げて捕らせたりして、誰が一番上手か選ぶ時間がありました。みなさん意外に上手で、ジャスティンくんが投げたものを捕らないといけない時は、あんな投げ方ではとり難いと思われる物も、上手に捕っていたので感心しました。
 “Recycled”なので、ドラムセットはバケツやホイールなどで出来ていました。梯子を出してきて、登りながら、そして飛び降りながらも演奏をしました。パーカッション担当の二人は、それはそれはエネルギッシュ。ギターの音が少し大き過ぎて、時々耳が壊れそうになりましたが、エネルギッシュな彼らの演奏は、楽しく、元気になりました。お蔭で、帰ってからのアルバム作りが捗りました。

マウント・チャールストンでシカ

2010-08-29 | ラスベガス
 昨晩も、バッタっと寝てしまい、今日は休みだからいいものの、起きると疲れ気味。十年に一度あるかないかのこと、朝食後にまた寝てしまいました。起きてからはアルバム作り。そして、陽の落ちる前にマウント・チャールストンへ。明るいうちに山に登り、暗くなると、満天の星空。帰り道は、シカに出会いました。シカというよりエルクのように大きな角を持った動物。でもシカでしょう。マウント・チャールストンでシカを見たのは初めてだと思いますが、今日は一気に五頭も見ました。
 夜は、お風呂に入ってしっかり寝ました。

聾唖のお客様

2010-08-28 | KA
 PCAと呼ばれる体力測定がありました。バランスは、いつもより少し保持できた感覚があります。実は、一人のアーティストの言葉から、私も練習してみました。でもたったの二日。ほんの数回。真剣に練習していた彼女に比べたら、練習などとはとても言えず、遊び程度のことでしたが、少しは違うようです。踏み台昇降、やはり前回は測定機の調子が悪かったと思われます。今日は、一回目の計測ですでに心拍数が70まで下がっていました。でも、踏み台昇降をする時、アーティストが飽きないように音楽を流し、それに合わせて昇降するですが、そのテンポが一定ではなく、二曲目がゆっくりでしたので、それで息が整えられたのかもしれません。ほんの数分の踏み台昇降、子供ではあるまいし、メトロノームで充分だと私は思います。握力、測定機の幅のセットを広くしたらいいのか狭くしたらいいのか、私の手は中途半端だったようです。前回までの記録に、そのことが書いてないとのこと。でも、今日測定をしてくれたマチュウは賢く、どの位置にセットをしたかも記入してくれました。ジャンプは一回跳ぶとコーチがアドバイスをしてくれ、コツを掴み、二回目の方が跳べました。
 一言言えばいいことを、言わずにその人が気付くまでいつまでも待つことの多い私です。ひとつ、ここ最近の行動からして、もしかすると気付いたのかしらと思われることがありました。でも、偶然だったようで、今日は戻っていました。自分のことはいつまでも待てるのですが、ショーのことはやはり言った方が良いかもしれません。それでも、確実に半年以上は待ってしまったこと。今日は改善されていて、気持ちが良かったです。
 一回目の花火、ヒューっと上がった後のバンバンバンがありませんでした。
 耳の聞こえないお客様がいらしたそうです。その方は、ショーの終わりに喜びを手話で表現されていたののこと。とても嬉しいことでした。
 チャリチィショーの練習、何度も振付を忘れて、何度も落として。今日は疲れているようです。一度きちんと踊れると、終わりにしました。

MGM一般車通行止め

2010-08-27 | KA
 炊飯器で焼いた二回目のパン、今日も焼き切れていませんでした。さて、三度目の正直となりますでしょうか。
 MGMへ入る道がパトカーで閉ざされていました。私は自転車なので、入っていくことができました。その先には救急車が何台も。一体何が起こったのでしょう。私がチャリティショーの衣装の仮縫いをしていると、ケリーが来て、どこの道もふさがれていて、来るのが本当に大変だったと言っていました。
 楽屋に、衣装部屋責任者のエリックが居ました。そして、昨日のショーをご覧になっていたそうで、今日の良いエネルギーとなる言葉を掛けて頂きました。
 クラウンのショーに誘われました。何をしてもいいということですが、クラウンのショーと言うことですから、ふさわしいことができるようにしたいと思います。しかし、どうでしょう…。劇場はとてもとても狭く、天井に手が届きそうということですが、「あなたは、なんとでもなりそうだから。」と誘って頂きました。定期的にやっていきたいということで、いつでもやりたい時、声を掛ければ良いとのこと。今度のショーを観に行って、劇場を見て、考えたいと思います。
 衣装を着替えようとしたら、変化に気付きました。衣装の一部を直して新しいものを貼り付けただけと言えばそれまでですが、私は気になります。今まで使っていたもう一枚の衣装も、なくなっていました。最近、新しいものには丁寧なお知らせがあったので、私が慎重に新しいものを取り入れていることが分かって頂けたと思っておりましたが、どうしたことでしょう。でも、幸い気付いたので、気を付けることができました。
 疲れている感じがしました。そう思いながら始まったショーでしたが、ショーの始まりのミュージックボックスで考えていると、もしかしたら疲れていると思っているだけで、本当は疲れていないのでは、と思えてきて、疲れを吹き飛ばす努力をしようとしていないだけと思えてきました。少し頑張ってみると、面白いことに、本当に疲れていない身体になってきて、仲間が声を掛けてくれたり、そこで元気をもらったりしているうちに本当に元気になってきました。単純な私。病は気からと言うけれど、疲れもそうかもしれません。二回目も元気でした。ただ、湿度が少し気になり、指の先に粉を付けて出て行きました。
 エピローグで気になることがあり、ステイジマネイジメントに行ったことがありました。質問をしてその返事を何カ月、もしくは何年か待って、ようやく気にならなくなりましたが、代役には伝えてくれていませんでした。私が言うことでもないのですが、代役が毎日出ている今、毎回のショーで気になるので、言おう言おうと思いながらまた何カ月も経ってしまいました。今日はようやく言えました。
 調子良くチャリティショーの舞が出来ました。今日もジャニンのお友達がいらしていて、ご覧になって下さいました。
 夜、自転車のペダルの付け根にある輪状のものが、外れていることに気付きました。すぐにはめられましたが、どうしてここが外れていたのか。気付いて、はめてから出発出来て良かったです。
 MGMに着いた時のパトカーは、プールの異臭騒ぎの為だったようです。

布団も自分も縮こまっていたから

2010-08-26 | KA
 一回目のショー、練習しているとフルートの回転が見えません。何度も見そこないました。しかし調整も出来ず、出て行くことになりました。落ち着いて、それでいてあまり考え過ぎないようにしながら、演技をしました。
 身体が少し疲れているなと思いました。そして、昨晩、畳んだままの布団にばたっと倒れ、このまま寝てはいけないと思いながら寝てしまった自分を省みました。ラスベガスに住み始めてから、こういうことはほとんどしなくなったのですが、珍しく布団に入らずに寝てしまいました。しかし、そんなことで疲れている演技をしてはいけません。身体を動かして動かして、良い状態にしていきました。舞台の上では、少し一生懸命に動き過ぎてしまったので、元気な演技だったかもしれません。
 ショーが終わり、舞台裏を歩いていると、今日はショーに出なかったトリが、「良かったわよ。」と声を掛けてくれながら帰っていきました。こういうとき、必ずと言っていいほど、声を掛けてもらえます。
 チャリティーショーの全体練習、ボディパーカッションのアーティストと同じ振りをしているのに、明らかに彼はかっこ良いのです。そして音の響きの良いこと。頑張って練習をしましたが、12時半を過ぎた頃から、さすがに疲れてきました。自転車で帰るのが、珍しくちょっと面倒に思えるほどでした。
 今日は雨が降るかもしれないと言っていたので、防水加工のない自転車の椅子に、ビニールを掛けないといけないかと思っていましたが、雨は降らなかったようです。そして、久しぶりに摂氏30度にほんの少し満たない涼しい夜で、助かりました。

大きな手に小さな羽

2010-08-25 | KA
 今日は暑いな、と思っていました。いつものようにチューブ入りのリップクリームを塗ろうとすると、透明な液体になっていました。朝食、昼食の準備、出掛ける支度などを終えた頃には、何もしなくても汗が噴き出ていました。
 最近、特に坂道の登り時に、チェーンが歯車に引っかからず飛んでいる感じです。自転車の歯車がすり減っているのではと思い見てみると、半分ぐらいになっていました。修理をしなくてはいけないと思われます。アーティストのジェイソン・Hは、自転車を自分で作ってしまうぐらいの人。部品を買うのに良いお店を知っているか尋ねてみると、自転車を見に来てくれました。直してくれるとも言ってくれました。
 ショーの途中でステイシィに会うと、時間がある時に寄るように言われました。そして、「心配なことではないから。」と付け足しました。でも気になります。時間を見付けて彼女のところへ急いで行くと、私の衣装の羽を見付けたので、拾っておいたと言い、その羽を手にしていました。「あなた、羽、集めているでしょ」。大きな彼女の繊細なお心遣い、心温まりました。
 一回目のショー、フルートケースを外すのにほんの少し手惑いました。曲を始まらせずに待っていてくれたのは、ジャニン。ありがとう。
 ちょっと湿度が高い感じです。フルートの扱いをほんの少し注意しないといけません。でも元気な身体。真っ直ぐな感じの身体は、気持ちが良いです。それが証拠と言う感じで、スカートが回りませんでした。

“こんな町”を去ることにした彼

2010-08-24 | KA
 風がほとんどなく、洗濯物もゆらりともしませんでした。空にはいろいろな形の雲が浮かんでいて、楽しい感じ。

 「この人が居なかったら、私はショーを続けていられただろうか。そして、もしいなくなったら、私はショーを続けていけるのだろうか。」時々そう考えることがあります。私は人とあまり話をしませんが、その人とは良く話をします。しかし、その人がKAを辞めることが分かりました。トレーニングルームでストレッチをしていると、涙があふれてきて、全然止まりません。このままではショーどころか練習もできないと思い、その人の所に行きました。そして、彼の腕の中でたくさんたくさん泣きました。「こんな町」と言っていた彼が、“こんな町”にこれだけ長く居たという方が、考えてみれば不思議なのかもしれません。助けてくれる人が去っていく時、私はいつも、「この人の助けがなくても、あなたはもう平気になったのだよ。」と言われてると思うことにしているのですが、どう考えても、彼がここから居なくなることに、私はまだ心の準備が出来ていません。あと3カ月で、気持ちを整えていかないといけません。神様は、また私を強くして下さる…。
 たくさん泣いたので、目が腫れて重い感じがしましたが、身体の動きが良いのが救いでした。今日は頑張らず、良い身体の動きに任せてしまおうと、そして、彼が心配しないように、無事に舞台を務めようと思いました。
 ショーが終わり、いつものようにチャリティショーの為の練習をしていると、ジャンニンが南アフリカからいらしたというお友達と共に来ました。「観ていいかしら。」と言って一曲通すのを最後まで観てくれました。そして、もう一曲通しをしようと思って曲を掛けたところにゲイルがお友達とやって来て、「やってくれるの?」と。そのまま踊りました。今日は思いがけず二回もお客様の前で踊れることになり、良い練習になりました。

Osakaでの夜

2010-08-23 | 日記
 ドラムクラス初日、リオのカーニバルの映像を観ました。リオのカーニバルは大会で、ひとつのチームに三千人も四千人もいるとは知らず、改めてすごいのだなと思いました。衣装もとても凝っていて、それを作る技術も相当なものがあると思いました。肝心のブラジリアンドラムについては、理解できたのかどうか…。でも、今回のコースでは、サンバ調の演奏をするということは分かりました。先生はたくさんの楽器をお持ちで、私達に貸して下さるとのこと。実際に楽器を演奏し始めるのは来週ということで、その楽しみはもう一週間先でした。
 元KAのアーティスト、サラが、サンフランシスコに引っ越しをすることになり、集まりがありました。私は、野球の観戦予定が入っていたので、サラにはほんの少し、挨拶にだけ行きました。サンフランシスコは素敵な街。サラはとても楽しみにしているようでした。KAがサンフランシスコで行われていたら、私も永住を考えたかもしれません。
 野球は、KAのミュージシャン、ウベーフが国歌を演奏するというので観に行きました。アコーディオンによる演奏は、雰囲気があってとても素敵でした。試合はというと、動きがあって楽しかったのですが、私が観に行って、勝った試合はあったかしらなどと考えながら帰ることになりました。
 夜は日本食を食べに行きました。「いつまでKAに居るの?」という質問と共に、優しい空気が流れていたのが印象的でした。

ドラッグストアの写真印刷機

2010-08-22 | 日記
 頂いたブーツを、ようやく仕舞いました。だいぶ部屋が片付きました。
 作りたいものがあり、画像の編集をしなくてはなりませんでした。これがなかなか時間が掛かって…。でも、上手く印刷できました。ドラッグストアに行くと、その場で自分で写真の印刷ができる機械があるのです。有難いことです。これで作業が進められます。