のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

プレゼンテーション行き

2011-08-10 | 右足不自由日記
 一ヶ月ぶりの病院でした。今日の診察で、復帰の日が一ヶ月先か、二カ月先か、上手く行けば数週間後に診察が入り、二、三週間で復帰が出来るのではと思いながら行きました。
 先生にお会いすると、先生の方にアキレス腱を向けて、両足でつま先立ちをするように言われました。ひょいひょいっと何度か行うと、先生は、
「ほう。」
 と感心され、
「まさか片足でつま先立ちは出来ないよね。」
 私は、一番高い位置まで行かないが、何とかできると言いながらお見せすると、
「普通は三カ月でそんなことできないよ。君はスーパーウーマンだね。」
 先生もそのように励まして下さっているのかと思いましたが、あまりにも驚かれるので、私は少しならジャンプも出来ますと、両足で跳んでみせると
「ああ、もういいからやめて。」
 と心配されていました。そして、
「ビデオを撮って僕のプレゼンテーションに使えるね。」
 と笑っていらしたので、先生の素晴らしい手術のお蔭ですと言って私も笑いました。
「ジャンプをしないで何かできる?ジャンプをしなくていいのなら、もう仕事に戻って良いよ。」
 私は、ビックリして、信じられずに、何度も訊き返しましたが、仕事に戻って良いと本当におっしゃって下さったようでした。次は一カ月後にまた診察に戻るように言われたので、予約を取るために並んでいると、先生が私の名前を呼ぶのが聞こえ振り返ると、先生は、カメラを持っていらっしゃいました。
「申し訳ないけれど、もう一度靴を脱いでやってくれる?ビデオ撮るから。」
 両足と片足のつま先立ちを終え、両足ジャンプもしましょうかと伺うと、
「お願いします。」
 私の順調な回復は、先生のプレゼンテーション行きとなるようです。
 思い掛けない仕事復帰の許可にビックリして、ドキドキしていました。今日のランチの約束をしていた、そして、怪我をしてから特にお世話になっているゲイルには、すぐに報告をしました。彼女もとても驚いて、言葉が思い浮かばないほどに喜んでくれました。幸いと言いますか、ゲイルはランチの都合がつかなくなったということなので、カイロプラクティックへ行くことにしました。今の右股関節の動きでは、良い演技が出来ません。今日許可を頂いても、誰も予想していなかったことなので、すぐに復帰することは出来ないと思います。この間に、右股関節もしっかり治しておきたいと思い、すぐに予約を入れることにました。こちらも幸い、すぐに診て頂けることになりました。
 アパートに戻ると、今日初めての食事をして、急いでフィジオに向かいました。私は仕事に戻って良いと許可が出たので、バトンを練習して良いものと思っていたのですが、
「バトンの練習をしようと思っているの?」
 バトンはいつものようにケースに入れて、目立たないように持って行ったのですが、ミランダに見つかってしまいました。私は、練習をしてはいけないことを何となく感じとっていたので、目立って練習をすることを避けていたのですが、本当に駄目だったようです。それも、仕事に戻って良いと言われても、まだ。すぐにまだ駄目なことを感じとったので、「はあ。」とか、「まあ。」とか答えていると、
「そうね…、リハビリテーションの一環ということにしておくわ。」
 本当に不自由です。
 アーティスティックコーディネイターにはお会いしたので、復帰の許可が出たことをご報告できました。とても驚いていらっしゃいました。ステージマネイジメントのステイシイには、ご報告に伺いました。そして、ジャンプをしてはいけないという制限が解除されるまで、復帰は無いということが分かりました。私は、ジャンプをしなくても舞台で何かをすることは出来ますが、完全に治っていないことも分かっていたので、それは素直に受け入れられました。今回の怪我は、大きな怪我です。自分で判断しない、人の意見をしっかり聞き入れる、自分で早期復帰の希望を訴えない、と最初から決めていました。自分が思っていた通り、少なくともあと一ヶ月を使って身体も心も舞台人に戻していけることになり、焦らずにすみます。話の中でステイシイは、
「あなたの姿は、怪我をした今でもみなに良い影響を与えているのよ。」
 とおっしゃって下さいました。私はそれで涙を流してしまったのですが、彼女は私が舞台に戻れないのを聞いて涙を流しているのかと思ってしまい、修正するのが大変でした。
「あなたが世界記録を作りたいと思っているのは知っているけれど……。」
 そんなことは全くありません。
 彼女との話が思いがけず長くなり、フィジオに遅れてしまいました。フィジオは、昨日いろいろなエクササイズをしたので、今日は、ストレッチと自転車だけでした。
 KAは八月の末から長期休暇があり、私も当然、その間はお休みを頂けると思っていたのですが、そうではないようです。本来は、他のショーに行って、エクササイズを続けなければならないようです。また、ラスベガスを離れる時は、自分でエクササイズをすればよいという前回頂いたお医者さまからの許可は、今日のお医者様までで無効となり、また、新たな許可が必要だったようです。こちらも何かと不自由です。
 いろいろと時間が掛かったので、少し待ってマッサージを受けることにしました。右股関節はとにかく早く治したいです。
 今日はお客様を迎えることになっていたので、その登録をしようとすると、
「あなたはショーに出ていないのだから、そんなことしてはいけないのよ。」
 こちらも全く知らないことでした。リハビリテーションの為という時間以外は、そこに居てはいけないのです。フィジオでその時間にエクササイズをすることにして頂いて、今日は何とかなりました。ということは、木札の販売など以ての外ということに気付きました。ショーとショーの間にKAに戻り、木札の販売をしてバトンの練習をしてお客様をバックステージにご案内しようとしていたのですが、どれもこれも駄目なようです。不自由です。
 帰り掛け、開演が遅れているという放送が入りました。たくさんのお客様にいらして頂いているようです。もしかすると、“O”がお休みなのかと思いました。
 一度アパートに戻り、食事をすると、再びフィジオに戻りました。ショーが終わる頃、劇場の客席に入ると、ショーを終えたアーティスト達に手を振り、お客様を待ちました。しかし、いくらお待ちしてもいらっしゃらないのです。お座りの方向を見ると、まだ席にいらっしゃるようでした。お客様が残り少なくなっても、まだそこにいらっしゃいました。きっと感動に浸っていらっしゃるのだろうと思い、その場でお待ちすることにしました。
 お会いすると、彼女はとても喜んで下さっていました。
「のんのん、ここまで本当によく頑張ったね。」
 と涙を浮かべながら、おっしゃって下さいました。アーティストにも、興奮状態で声を掛けて下さり、また、フィジオにご案内すると、そこにいらしたコーチも含め、裏で働いて下さっている方々がどれほどサポートして下さっているか、そこにも感謝の意を示して下さいました。みなさん同じように感動して下さるのですが、彼女は英語が堪能で、さらに表現力も豊かで、みなさんの心に深く響いたようです。
「ノリコさんがいつもお世話になり、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。」
 その言葉に、涙が出そうになりました。彼女は、私が子供の頃華やかに輝いていたお姉さん。私は、バトンの歴史を振り返りました。まだまだマイナーであったバトンを、夢を持って続けられた先生方、先輩方。今の私があるのも、開拓して下さったみなさんがいらっしゃるからなのです。そして、みなさんが今もなお見守って下さっています。改めて感謝を致しました。
 中学生のお嬢様は、本当に良くショーをご覧になっていて、たくさんのことが見えているようでした。小学生のお嬢様は、本当に細かいことを質問して、みなでびっくりしました。ショーに感動し、舞台の上に立っているアーティストだけでなく、裏で働いて下さっている方々に本当に感謝して下さった私の先輩であるお母様。みなさんにお会いし、素晴らしいひと時を過ごすことが出来ました。また是非いらして下さい。
コメント (3)
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