のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

大きなステーシィ

2006-11-30 | KA
 週頭のミーティングで、日本人の300人のグループと写真撮影に参加したい人の募集がありました。またまた代役の日。広報に参加希望を言いに行くと「その日ノリコが出るように頼んだけど聞いている?」と言われました。やっとここまできたかと嬉しくなりました。しかし、ステージマネージメントからは何もいわれていなかったのでそう言うと、彼女は確認しておくと言いました。
 昨日までにステージマネージメントから何もいわれていなかったので、ショーのあとステーシィに確認に行きました。すると彼女は全くわからないと言い、メールをその場で確認しました。そして広報からのメールを見つけ、見逃していたと。彼女はしばらく考えて「これは自分のミス。でも、申し訳ないけどもう明日のことだから我慢して欲しい。」と。早く確認しなかった私も悪いですし、急な変更でまた代役がいい顔をしないのはわかっていましたし、それでステーシィに嫌な思いをさせるのも悪いので、「わかりました。」と言いました。
 少しトボトボと更衣室に戻り、メイクを落とし始めると、すぐステーシィに呼び戻されました。「代役から来週の出演日の変更の希望があったでしょ。それを変更させてあげるからと言うことで交渉してみるから。今日は連絡取れないから明日彼女が来たら訊いてみる。」私は「無理をしてあなたが嫌な思いをすることのないようにしてください。」と言いました。すると彼女は「私はいいのよ。」と。
 
 今日は出演するつもりでその時間に出勤しました。着いた時間には代役は来ていないのでどうなるかはわかりません。私はいつもの時間にメイクを始めました。しばらくするとステージマネージャーが来て「一回目出てください。」と。
 
 メイクを終えてストレッチをしていると、今日は2008年に始まる東京のショーの関係者がいらしていると聞きました。劇場内を走って探してお会いしに行くと元のテクニカルディレクターのチャーチルさんもいらしてみなさんのことをご案内していました。そして今日の一回目のショーをご覧になると。チャーチルさんは初めからKAにいらっしゃいましたが「ショーを観るのはこれが初めて」と。
 一回目のショーに出られることになって本当に良かったと幸せいっぱいになりました。
 ステーシィにはもちろんお礼に行きました。彼女は優しく微笑んでくれました。代役が私事でショーに出なかったり出演日を変更してもいつも何も言わないからと、私も同じようにするのは間違っていると思うので、代役にも「ありがとう。」と言いました。そして全ての心の準備ができました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒さと自転車と温かさ

2006-11-29 | 仲間
 「ノリコ、お願いだから今日は自転車で行かないで。-1度になるって。送っていくし、ショーが終わったら迎えに行くし。私は今週は町にいるのでいつでも遠慮しないで頼んで。」
 確かに起きたときは寒かったです。それにしても本当に親切な方です。わざわざメールを送ってくださって、本当に有り難いと思いました。
 でもまだ11月。寒い時期はこれからなので自分で行こうと思いました。
 支度をして玄関を出ました。寒くて思わず逆戻り。私の部屋は南向きなので、冬になるにつれて太陽の光が部屋の奥まで差し込むようになりました。日の光はぽかぽかです。だから、こんなに外が寒いとは思いませんでした。ジャケットを着て再出発。しかし、出ている部分は寒いです。途中で手袋をしました。

 ショーを終え、支度をして帰ろうとすると電話が鳴りました。MGMで働く友人。「今日は仕事が遅くなって今終わって帰るところなのだけど、まだ近くにいるから乗っていけば。外は寒いよ。車に乗っていても寒いし。」
 先まで行ったのにわざわざ戻ってきてくれました。そして明日も迎えに来るからとまで言ってくれました。

 温度計を見ると0度でした。ラスベガスはすっかり寒くなりました。でも私の周りは親切な方々ばかりで、心は温かい毎日です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3年目の初日

2006-11-28 | KA
 改めまして、私、契約の更新をいたしました。今度の契約は2007年12月31日までです。
 契約の更新ということを大人にはわかってもらえたとしても、教えていた小さい子達に「2年で帰ってくるからね。」と言って日本を発ったのが、結果的にはうそをついてしまうことになるようで、サインをするときに心が痛みました。でも私には2年で学びきれなかったことがあるようなので、もう少しここで過ごさせてください。

 さて、3年目の初日、心がとても落ち着いていてなんだか変な感じでした。ライザミネリさんのお蔭かしら。突然のお客様のお蔭かしら。いい初日を迎えられて幸せです。

 ショーは新しいことがたくさんあって、たくさんのアーティストが去っていったことを実感しました。新鮮さがいい方向に出て行きますように。

 サンクスギヴィングのあとで街はガラガラでした。通りを抜ける北風が余計に強く寒く感じました。これからクリスマスまでラスベガスの街はすいているようです。人が減ると気温も下がるのでしょうか。今晩は7度。明日は最高気温が8度との予報です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物書き

2006-11-27 | 日記
 寒い日でした。家でもセーターを着ていました。寒さに気付いて窓の外を見ると、隣のアパートの敷地の落葉樹はすっかり黄葉していることにも気付きました。
 日が出ているうちに、と思ってスーパーに行くとモントリオールのフグから電話が掛かりました。いろいろ話して、パソコンに向かう時間で今日が過ぎていっていることを話すと「じゃあ、僕から電話があったこと今日のブログに書くのでしょう。」と。ご期待通り書いておきます。
 スーパーに行く以外、パソコンに向かってひたすら文を書いていたのでいたので、真っ暗になってから気晴らしに出かけました。外の温度計は10度。もう12月もすぐそこですから寒くなるのもわかります。
 そしてまたパソコンに向かっております。あとほんの少しでトライアスロンの日のことが完成します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3日遅れのサンクスギヴィングディナー

2006-11-26 | 日記
 シルクで提供している英語のクラスの先生が、サンクスギヴィングのディナーを体験してもらいたいと、お宅に招待してくださいました。町から40分も離れると山も近くに見えてきます。未開発地がたくさんある中に先生のお宅のある新しい家の並んだ地区がありました。
 玄関を入ると重厚さに圧倒されました。何かが違う。中は相当広く、キッチンだけでこのアパートのリビングルームの広さはあります。ダイニングルーム、リビングルーム、ファミリールームに隔たりがなく、キッチンをL時に囲んでいました。家具もソファも絵も置物もみな“本物”という感じ。シャンデリアもあります。聞くところによるとドイツに6年住んでいた時に使っていた家具をほとんど持って帰ったそうで、なるほど収納場所がもとからついているアメリカの家では最近見ない光景なのだということがわかりました。
 食事のときのお皿はウエッジウッド。そこにターキーとクランベリーソース、ポテト、インゲン、ブロッコリーをのせて頂きました。ご主人の料理はとてもおいしく、いつもは西洋料理を好まない中国人も喜んでいました。
 ご主人も先生のお友達も気さくな方で、いろいろな話をしながら少し英語の勉強もしながら楽しいときを過ごしました。

 先生のお宅とはなにもかも比べようもない私の部屋。それでも一番落ち着きます。いろいろな暮らしがあるものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優しさ

2006-11-25 | KA
 KAは2004年11月26日に幕が開け、2006年11月25日が2年間の契約の最後の日となりました。そして9名のアーティストにとって最後の日。
 ベスは二回目のショーを観たいからと一回目のショーを最後にしました。影絵で登場するときも、フルートを回すときも、いつも彼女の澄んだ歌声がありました。心まで澄み渡らせてくれる彼女の歌声に身を絡ませられるのも今日が最後です。
 繊細なのどを持つ彼女は、花火の煙からのどを守るために、いつもは花火が上がる前に舞台から去ります。でも、今日は私たちがお辞儀をし、ミュージシャンの方に振り返ると、彼女が舞台の中央にいました。
 ショーとショーの合間に去り行くアーティスト達のために集まりました。今日で辞めるアーティストはみなクリエイションのときからいたので、私たちにとって3年前後の付き合いです。彼らのスピーチを聞きながらまた涙。

 私は少し戸惑っていました。自分の心をどこにまとめたらいいのか。去り行くたくさんのアーティアストがいる中、私にはかぶりつきに日本からのお客様がいました。ご夫婦。あと3ヶ月で生まれる子と共に。

 ー優しさー

 母になる彼女のことを思っていたら思い浮かんだこと。

 クリフデッキに乗り込むと、山男の格好をしたウルディがいつものように横にいました。今日はショーの前、みなに彼主演の映画を上映してくれました。「ノリコ、ノリコ、コココココ…」とよく歌ってくれた彼をここで見るのも最後です。
 フルートを回し始めるとたくさんの人に見つめられている気がしました。優しい空気。スーッと上を見上げたときジュリの空気を感じました。彼女とはヨガとダンスのクラスをいつも一緒に受けていました。今日はカードが置いてあって、「森のシーンの待機を上でしながら、毎日あなたの踊りを楽しんでいました。」と書いてくれていました。彼女は彼女が一番輝けるダンスの道に戻ります。
 フルートの二本目を持つと、いつもより力強くドラムの音が響きました。がっしりとした体格のセイジ。笑った顔を見るまでは怖い人かと思っていました。でも今は彼の優しさも優しい顔も知っています。
 さそりの中にはダニエルが待機しています。男性にも女性にもセクシーなダニエル。昨日は私のフルートのシーンを観ていてくれて「とってもラブリーだったわ。」と喜んでくれました。彼はカニさんにも入っていました。パペットから飛び出して彼の跳躍力、柔軟性、表現力がより活きる世界に行きます。
 ぐるぐる回るカゴのアーティストは3人います。エリオは代役。同じ衣装を着て舞台上で待機をしていましたが、一度も本番でその役をすることはありませんでした。最後のお辞儀で花道に立った3人、いつもは縄跳びをするフランシスコが中央に立ちますが、今日はエリオがセンターにいました。
 そしてたたみのステージのほうを振り返ると、いつもヒトデに入ったままのバレンタインが、今日はヒトデから飛び出して笑顔で大の字に立っていました。それを見たら涙を抑えることができず、頬を流れていきました。
 そしてまたお客様のほうを振り返るとすぐそこにご夫婦が。優しく拍手を送ってくださっていました。
 いつもより時間をとってみなで拍手を送り合いました。
 私のいる更衣室からも一人去る人がいました。カティア。彼女のためにシャンペンを開けました。彼女の品のよさは女王様役にぴったりで、私生活でも舞台上でもパートナーのバレンタインとの王様、女王様は気品がありました。以前はカニにも入っていました。しかし腰を痛めてしまい、二度とカニができないようになってしまいました。彼女は8年間シルクでコントーションのアーティストとして働いていましたが初めての怪我だったそうです。ご主人と娘さんと共にカナダに戻ります。
 私の顔は涙を流すたびに塗り直したお化粧も、最後にまた流れてひどいものでしたが、2年間のショーを終えた去り行くアーティストたちの顔はいい顔でした。
 
 さてさて、同じように2年間の契約を終えた私にも、今日はプレゼントがありました。ライザミネリさんがショーの関係者のために特別にショーを開いてくださったのです。それも無料で。彼女もショーを終えてから、お客さんもショーを終えてから、真夜中を過ぎた1時に集まりました。
 始まったとたんに引き込まれる彼女の存在に目が潤んでいました。「エンターテイナー…」自分の青さを感じながら、彼女がこのショー開いてくださった意味を感じていました。会場は異様な盛り上がりで一曲終わるたびに総立ち。彼女も「あなたたちはショービジネスがわかる人たちだから…」と、とても楽しそうに話していました。
 その中で彼女は「多分この中で私が一番年上だと思うの。私は60歳。だから今日は子供たちのためにショーをしようと思ったの。」と。彼女の力強い歌声と心の優しさ、私は終始じっと彼女を見つめていました。
「私はね、歌は歌えないと思っていたの。でもね、いい役者であることはわかっていたわ。ある時、歌もダンスと同じと言われたの。音楽に身体の動きを載せてダンスをするように、声を音楽に載せていけばいいだけだと。」素敵だなと思いました。
 話から歌に入るまでの絶妙さ。お客さんとのコミュニケーション。バンドに向ける優しさ。ゲストで迎えた歌手を敬う目。彼女の大きな大きな心に包まれて、私の心も晴れやかになっていました。彼女から有り難いエネルギーをいただき、次の契約のためのすばらしい充電となりました。

 特別なショーなので通常より短いものと思っていたら2時間半。すっかりお待たせしてしまいましたが先ほどのご夫婦にお会いできました。妊娠8ヶ月なので多くの人の反対がある中いらしてくださったそうです。食事をしながらいろいろな話をし、朝5時のご出発までご一緒して、薄明るくなる中お互いの家に向かいました。
 
 いろいろな人のいろいろな旅立ちが良い旅立ちとなりますように。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯島先生

2006-11-24 | KA
 飯島先生との出会いが私のバトン人生の始まりであります。高校卒業までの12年間お世話になりました。
「8名でラスベガスに行くことに決定しました。」とメールを頂いたときはどんなに驚いたことでしょう。本当に楽しみにお待ちしていました。
 
 木曜日のショーの後、サプライズでモンテカルロに行ってみました。するとゆみこ先生もいらしてくださっていて私がビックリ。感激しました。ゆみこ先生には衣装を何枚作って頂いたことでしょう。お二人はご姉妹です。久しぶりにお会いした先生方はお変わりなく、懐かしく、それぞれの娘さんと生徒さん達と共に時間を忘れて会話を楽しみました。昔々のことなのに「のんのんはこれが好きだったわよね。」と覚えてくださっていて、お土産にお持ちくださいました。

 そして今日はショーをご覧いただく日。私は珍しく、胃に痛みを感じていました。それでもみなさんのお蔭で不思議なほど気持ちよく舞うことが出来、舞台が下がっていく中、いろいろな思いをそこに込めて「ありがとうございます。」と言いました。目が潤んでいました。
 最後のお辞儀では、客席の先生方の顔を拝見することができ、お辞儀をすると込み上げてくるものがあり、しばらく頭を上げられませんでした。
 
 兄が二人いる娘を持つ同じ“母”としても、娘を思う気持ちがよくわかるのでしょう、先生は何度も母のことをお気遣い下さり、「電話するよ。」とまでおっしゃって下さいました。本当にありがたいことです。そして「また来るからさ。」と言いながらMGMを背にしました。

 ご体調の宜しいまま日本にご帰国されますように。そしてまた来られますよう、お身体大切にお過ごしください。ありがとうございました。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンクスギヴィングの恒例

2006-11-23 | KA
 今日はサンクスギヴィング、感謝祭の日です。アメリカに渡ってきた人を先住民が助け、後にそれを感謝して先住民に食事を振舞ったのが始まりです。毎年11月の第4木曜日がその日に当たり、ターキーを中心に食事をします。
 昨年もそうだったので覚悟はしていました。でもあえて訊かないようにしていました。そしてやはりそうでした。本来今日は代役の日でしたが、ステージマネージャーから「彼女は用があるそうなので。」と一週間前に言われ、私が出演することになりました。彼女からは何も言われませんが、いつものことです。私は、今週末でやめていくアーティストがたくさんいるので、彼らと一回でも多く一緒に舞台に立ててありがたいことだと思いました。
 ショーとショーの合間には今年も食事が出ることになっていました。準備はショーの前から始まり、1メートルぐらいあるチョコレートファウンテンは、すぐにチョコレートが流れ始め、甘い香りというよりカカオのきついにおいがショーの間中も漂っていました。
 カツラをつけているとき、「食事する?」と訊かれました。私は食いしん坊なのでもちろん食べたいのですが、答えは「しない。」。チョコレートぐらいは食べてもいいと思いました。いつもそれくらいは食べます。でも、おなかがいっぱいで舞台に立つのはあまり好きではありません。出来ないことはないとわかっていても、その状態が自分のベストの状態でないとわかりながら、舞台には立ちたくはありません。お客様にどれだけその差がわかるかわからないかはわかりませんが、やはりそのときにできる一番いい状態でいつも舞台に立ちたいと思うのです。
 エピローグの前で待機しているとき隣のジュリが「おいしそうなものが並んでいるからとっておけば。」と言ってくれました。ジュリは、私が一回目のショーのあとには食べないということも、普段は食べることが好きということも良く知ってます。「それはいい考えね!」
 ストレッチを終え、グリーンルームに行くと、人、人、人。デコレーションされたテーブルにターキーやマッシュドポテト、野菜のソテー、サラダなどが並んでいます。マティーニグラスに入れたマッシュドポテトがおしゃれでおいしそうで頂くことにしました。そしてパンプキンパイ。これもこの日には欠かせないものです。
 ショーを終えてゆっくりと頂いた食事はおいしかったです。今年はターキーを頂かずにこの日を終えました。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9階

2006-11-22 | KA
 ヨガの前に少し時間があったので、バックステージを散歩しながら身体を温めていました。ふと、フォーレストのシーンのスウィングポールは何階にあるのだろうと疑問が浮かび確かめに行きました。
 トレーニングルームがあるのが3階。こちら側の階段は4階までしかありません。反対側の階段を上ります。6階はプロップスの仕事をするときバケツを準備する階なので行ったことはありました。そして、スイングポールはこの階にありました。
 階段はまだ上まであります。7階、8階はキャットウォークがあり、リガーの人がメンテナンスをしていました。ここでスウィングポールの時に命綱を操っています。アーティストがフォーレストの準備をするのもこの階。一度ショーのときにここに来てその姿をみせていただいたことがあります。そのときは4階からステージ横の螺旋階段に移動して上がったのでその階が何階であるかわかりませんでしたし、気にもしていませんでした。
 そして9階。この劇場は9階まであるのはエレベーターのボタンを見て知っていました。でもここから足を踏み入れたことはありません。少しドキドキしました。 
 この階は7,8階と違い、9階という“床”がありました。床といっても下が見える網状のもの。「うわーっ。」と興味深げに見ていると、ちょうどそこにいたリガーのダンが珍しく親切に「初めてなの?」と案内してくれました。
 中に入っていくうちに、クリエーション中ようやく舞台が完成したとき、みなで劇場内を見学したことを思い出しました。きっとそのときここにも来ているはずなのですが、あの時はショーがどう繋がるのもわからないときで、劇場も広すぎて自分がどこにいるかも把握できず、何がなんだかわからずに見学していました。
 下を覗くと舞台が小さく見えます。水平の舞台が一番上まで上がったところから上が30メートルあるといわれていますから、小さく見えるわけです。いつもは上のほうに待機しているのが見られる山のシーンのテントもここから見ると下にあることになります。
 もっと見ていたかったのですが時間なので帰ることにしました。そして階段のドアを開けて「あれ、まだ上がある。」と気付き急いで上ってみました。そして10階が…「へー、10階まであるんだ!」恐る恐るドアを開けると…鍵が閉まっていました。
 もう2年以上もいるのにまだまだ未知の地が私にはあります。探検好きにもかかわらず…まだまだ楽しめます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろなありがとう

2006-11-21 | KA
 以前に編んだ帽子が好評で、エイドリアンからは注文が入っていました。でも、毛糸を買いに行く暇がなくてなかなか作れないでいました。昨日は、先にやらねばならないことがあるのに、毛糸が手に入ったら我慢できず、2時間弱を編み物で楽しみました。
 そっと彼の机に置いておきました。メイクをしていると「サンキュー、ノリコ」と放送が。コーチの部屋に上がると子供のようにはしゃいで喜んでいて、リクエスト通りに付けた大きなポンポンをぐるぐる回していました。
 今ならできたものを買ったほうが安くておしゃれなものがたくさんあるのでしょうけど、差し上げる人のことを思いながら手を動かしているのは素敵な時間です。素敵な時間をいただけたことに私のほうが「サンキュー」です。

 クリエイションのときからお世話になっていたステージマネージャーのアルマンさんは、キダムなどほかのショーもしていたベテラン。そのキャリアを買われLOVEが開けるときにLOVEに移動しました。一時的にということで。
 LOVEが開けてからしばらくしてミーティングに現れたとき、LOVEの仕事は終えたけどKAに戻るかわからないとおっしゃっていました。
 そして今日。やはり戻らないと。ベラッジオとモンテカルロの間に建設中のホテルに入る新しいシルクのショー、エルビスプレスリーのショーに行くことに決めたそうです。
 「絶対に戻ってきてください。」とお願いするほど彼を頼りにしていたのに、いい人はみな去っていきます。

 2回目のショーのエピローグ、タタミという舞台にのっているとき「シュー!!!」と大きな音がし、煙がもくもくと上がりました。「花火…ここで火が出てしまったら最後どうなってしまうのだろう…舞台は動くのか…花火が置いてある舞台にいる人たちは大丈夫なのか…」
 最後に花火は半分欠けてぐるぐる回りながら上がってきました。
 そんな2回目のショー、今日もお客様がいらしてくださいました。花火は半分欠けていましたが私の心は満ちていました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする