のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

タイヤパンク

2013-09-08 | 日記
 日付がすっかり変わって、帰宅をすることになりました。車を運転し始めると聞き慣れない音がします。嫌な予感がしました。信号を曲がると駐車をしたかったのですが、駐車禁止の場所でしたので、バケーションクラブに入って行きました。車を確認したいから一瞬停めさせて欲しいとお願いすると、
「ここには駐車出来ないよ。」
 もう一度、変な音がするので確認したいと言うと、
「僕は自動車整備士じゃないから。」
 パンクしたみたいだからちょっと調べさせて欲しいと言うと、ようやく通じて、五メートル程先に駐車して良いと言ってくれました。そして、彼はタイヤを見て
「ああ、パンクしているね。」
 予想通りでした。この後何もなければ、どうすれば良いかゆっくり考えられたのですが、数時間後に友人のお母様を空港までお送りすることになっていました。
「幸い、少し空気が残っているから、ガソリンスタンドで空気を入れれば家までは帰れるよ。一番近いところは…。」
 と、初め聞いた時と違い、とても親切に教えて下さいました。
 ガソリンスタンドで、空気を入れようとしたのですが、どうも上手くいきません。もう一台の空気入れを使っている方のところで確認をすると、彼は私のところへ来て、手伝って下さいました。丁度その方はタクシーの運転手さんでしたので、自分の車がどうしようもならない時のために、電話番号を頂いておきました。
 無事帰宅。すぐにスペアタイヤに付け替えようと思ったのですが、どうしても眠くて、二、三十分寝ることにしました。
 起きると、スペアタイヤを取り出し、ジャッキを取り出し、作業開始。ところがネジがうんともすんとも動きません。全体重を掛けても、全く動きませんでした。ビン詰めの蓋など開けられないことはほぼ無いので、悔しかったです。でも、あまりにも動かないので笑ってしまいました。
 それでは、第二案。第三案まで考えていたので、焦りがなかったのか、疲れ過ぎていたのか、第二案は、友人が起きるであろう時間まで待たなくてはならなかったのですが、落ち着いていました。二十分ぐらい時間があったのでまた横になりました。
 友人は七時から仕事と聞いていたので、六時には起きると思って電話をしましたが、留守電。やはり、タクシーを呼ばなくてはならないかと思っていると、嬉しいことに電話が掛かりました。仕事は八時に変更になったけれど、時間的に間に合うのなら車を貸してくれるというので、お願いしました。
 ほぼ何も出来ずにドキドキしながら待つと、ようやくあと十分で着くと連絡が入りました。計算すると、お迎えの時間にはやはり間に合いそうになく、お母様に十分ほど遅れると連絡を入れました。
 友人の仕事場に寄ってその場所を教えてもらうと、その近くのファーストフードのお店で友人を降ろし、車を借りました。雨の中、他人の車を運転するのは神経を遣いました。予想通り、十分遅れでお母様にお会いしました。大きな車の後ろのドアを開けるのに手間取り、後部座席に荷物を載せようと思うと、たくさんの洋服が既に載っていて無理のよう。もう一度試すと、どうにか開きました。ようやく出発。
 ところが、今度は空港で迷いました。第三ターミナルは、お迎えに行ったことはありましたが、お見送りは初めてでした。出発の表示の方へ向かうと、そちらは駐車場に繋がっておらず、一度空港を出て入り直すことになりました。おぼつかない私の運転だけで落ち着かないでしょうに、その上いろいろとあって、時間も掛かり、お母様はドキドキされていたことと思いますが、そのような様子は全く見せず、素敵なお母様だと思いました。
 車を降りると、私の方が案内して頂くような感じで、チェックインカウンターへ向かいました。横に長い第三ターミナルは、羽田空港国内線のチェックインカウンターを思い出させました。自動チェックイン機も問題無く、旅慣れていらっしゃるようです。手荷物検査場もそれほど混んでなく、良い時間にゲートまで行かれるようでした。どうにかなり、ほっとしました。
 帰宅するとどうしようもなく眠く、台所の横に倒れるように寝ていました。
 秋祭りのミーティングには、自転車で行こうかと思っていましたが、雨が降りそうでした。でも、友人がスペアタイヤを取り付けに来てくれたので、車が使えることになりました。
 それからまた横にならなければならないほど疲れていました。細切れの睡眠は、疲れを全く取ってくれないようで、夜も九時頃になると、起きていることが出来ず、夜中に起きることになっても構わないので寝ることにしました。
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足元にも及びませんが光栄です

2013-09-07 | KA
 二千二十年のオリンピック東京開催が決まり、何人かが祝福してくれました。七年後、私は何をしているのかと考えながら自分の歳を計算し、ここには居ないね、と笑いました。
 エピローグで、トランペットを吹くアーティストが二人居ませんでした。従者役の二人がすぐそこに入り、トランペットを吹き始めました。
 ジーナは、産休前最後の日でした。一回目のショーの後は、チーズケーキやカップケーキなどの甘いもの、二回目のショーの後は、そこにクラッカーやチーズが加わり、みなで楽屋に集まりました。彼女は二回目の出産になりますが、今回は仕事を休むことになるのがとても淋しいと言っていました。
 二回目のショーが始まる前に待機していると、デリックがいつものように「グッド・ショー!」と言いながら過ぎて行くのかと思いきや、立ち止まりました。
「『Jiro Dreams of Sushi』という映画、観たことある?」
 私は、あの人は凄いとか、あの寿司屋で食べたことはあるかとか、話が進むのかと思い、目をしっかり開いて彼の顔を見上げて、
「イエス。」
 と言いながらうなずくと、
「妻に勧められて何と無く見始めたのだけど、終始ノリコのことを思い出していたよ。」
 私はビックリしてから、大きな声で笑いました。私は、体調が悪い時にあの映画を観ました。萎えていきそうな時期でありましたが、鼓舞されたのを覚えています。
「執念というか、まだまだと言って首をなかなか縦に振らない彼を見ていたら、ショーの前にも後にも練習している君のことを思い出したよ。そういう人と仕事が出来ることは、本当に素晴らしいことだと思うよ。」
 私は少し涙目になり、彼とハグをしました。そして、良い緊張感を持ってショーをすることになりました。
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採血七本!

2013-09-06 | KA
 まだ寝ている時に病院から電話が掛かり、キャンセルが出たので早く来て良いと。九時前のことでした。そのまま起きて早く行くことにしました。
 紹介して下さったお医者様に、
「そこはガンと血液と専門があるから。あなたは血液の方へ行くのだから心配しないで。」
 と言われていました。病院の様子を知らせて下さっていて良かったです。
 こちらのお医者様の苗字がObaraでしたので、アジア的な顔立ちを想像して行きましたが、違いました。
 診察の後、採血。採血菅を、片手で持ち切れずに居るのを目にしたので、思わず数えてしまいました。何と七本。さらに、菅がいっぱいになるまで採血していました。今日はショーに出ない予定でしたから、予約を入れたのですが、予定変更で出ることになっていました。こんなに採血をすると分かっていたら、病院へ行く日を変更したのですが。
 帰宅途中で、運転免許証と保険証を病院に置いてきてしまったことに気付き、戻りました。病院はそのことを分かっていました。電話ぐらいして下さってもいいのでは、と少し思いました。
 帰って少し寝ました。きっと大丈夫なのでしょうが、少々心配でしたし、少し早起きでしたので、身体を休ませることにしました。昼食は、珍しく少し重たいものを食べたかったので、野菜の盛り合わせの他に、ほうれん草のカレーを食べました。
 ピアスの穴の炎症を起こしていた人に、メラルーカを貸していました。彼女にも有効だったようで、すっかり綺麗になったと見せてくれました。
 お化粧を終え、身体を動かし始めると、疲れを感じました。寝不足なのか、採血をしたからなのか。マリレンにそのことを話すと、
「両方じゃない?」
 そして彼女は、チョコレートを持って来てくれました。私は、おまじないのようにそのチョコレートを口にして、ココナッツウォーターを飲みました。
 一回目は、だんだんと調子が良くなってきましたが、キャプティビティが終わると、少しめまい。
 二回目のショーの前にも、ココナッツウォーターを飲みました。何を食べても飲んでも、乾いた土に吸収されていく水のように、胃に留まらずに消えていくようでした。
 セレモニーと呼ばれる新しい場面をしている時に、幼い時に洋服をプレゼントして頂いたことを思い出しました。私は、兄のお下がりや、近所のお姉さんから頂いた服を着て過ごすことが多く、そのことに不満があった覚えはありません。でも、何かの時に、友人のお母様が洋服をプレゼントして下さり、とても嬉しかったのを覚えています。突然思い出したのは、その友人がもうすぐ訪ねてくれるからかもしれません。ブラウスとベストとスカートがセットになったその洋服を、いつも特別な時に着て、それを着る度にウキウキしていたのを思い出します。今日のように、ショーをするのが大変な時もありますが、大切な役を頂いてこうして舞台に立てること、そして、今は自分で洋服も買えることなど考えていたら、涙が出てきて止まらなくなってしまいました。
 最後のお辞儀でお客様に近づくと、一番前の中央で小さな男の子が立ち上がって跳ねていました。ショーが終わって、バンドリーダーのリチャードさんのお客様にお会いすると、「一番好きな場面だったと話していたところだよ。」と教えて下さいました。
 多量に採血をした大変な日でしたが、出演できたことは良かったと思いました。無事に終えられてほっとしました。
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