子供達が立体図形を描くときに、見えない裏側をかいてしまうことがよくあります。これは、見えるつもりという先入観から引き起こされることが多く、まだ細部への意識が発達していないことに原因があるようです。絵を描くときの意識とテストで答えを導くときの心理には共通性が存在します。
絵を描くときのお話しを少しすると、上手に描く人の多くは細部までしっかり見て描きます。その人は顔を描くときには、顔とはこういうものだろうという先入観で描くのではなく、実際に細かいところを見ながら描いています。見えるものを徹底的に見つめることで、見えないものが見えてくるような感覚を感じているようです。
さらに、専門に美術の学習をする場合にはこのことがもっと重要で、全ての技術の基本として位置づけられ、「細部を見る」+「見たままに表現する」=「デッサン力」として徹底的に鍛えられます。人物然り、静物然り。印象派やキュービズムのデフォルメや強調を得意とする画家たちも、全員驚くべき「デッサン力」を持っていました。
生徒たちのテスト問題への取り組み方を見ると、絵を描くときと同じように、厳密に細部まで見る子と、そうでない子との差があることがわかります。この厳密に細部まで見る力が学習していく上では、日々の小さな意識の違いですが、積み重ねていくうちに大きな差となっていきます。
実は、何回言っても計算ミスが直らない。漢字の書き方が雑。算数の単位を揃えない。指示語の読み取りを間違える。…などの学習上の欠点は、この細部への意識の欠如に起因していることが多いのです。したがって、そんな生徒にいくら「ミスをするな」「注意深くやれ」と言ってもムダなことです。意識そのものに働きかけて、細部への意識を育む必要があります。
では、その方法にはどんなものがあるでしょう。前述のデッサンもそうですし、色々あるでしょうが、その一つに音読があります。それも難しい言葉が多く使われた書籍の音読を行います。この難読は、読み手にとってはかなりのプレッシャーです。読み間違いをしないよう一文字一文字に意識を収斂していくことになります。ただ、これは内容の理解までを求めるものではないことに心掛ける必要があります。
その意味では、古来より繰り返されてきた漢文の素読は、この意識開発の大きな手段でもあったと言うことができるかもしれません。テスト力とは実力そのものではなく、実力を100%発揮するための力です。しかし、このテスト力があるかないかで、テストの成績は大きく上下します。その礎となるのが細部への意識なのです。
絵を描くときのお話しを少しすると、上手に描く人の多くは細部までしっかり見て描きます。その人は顔を描くときには、顔とはこういうものだろうという先入観で描くのではなく、実際に細かいところを見ながら描いています。見えるものを徹底的に見つめることで、見えないものが見えてくるような感覚を感じているようです。
さらに、専門に美術の学習をする場合にはこのことがもっと重要で、全ての技術の基本として位置づけられ、「細部を見る」+「見たままに表現する」=「デッサン力」として徹底的に鍛えられます。人物然り、静物然り。印象派やキュービズムのデフォルメや強調を得意とする画家たちも、全員驚くべき「デッサン力」を持っていました。
生徒たちのテスト問題への取り組み方を見ると、絵を描くときと同じように、厳密に細部まで見る子と、そうでない子との差があることがわかります。この厳密に細部まで見る力が学習していく上では、日々の小さな意識の違いですが、積み重ねていくうちに大きな差となっていきます。
実は、何回言っても計算ミスが直らない。漢字の書き方が雑。算数の単位を揃えない。指示語の読み取りを間違える。…などの学習上の欠点は、この細部への意識の欠如に起因していることが多いのです。したがって、そんな生徒にいくら「ミスをするな」「注意深くやれ」と言ってもムダなことです。意識そのものに働きかけて、細部への意識を育む必要があります。
では、その方法にはどんなものがあるでしょう。前述のデッサンもそうですし、色々あるでしょうが、その一つに音読があります。それも難しい言葉が多く使われた書籍の音読を行います。この難読は、読み手にとってはかなりのプレッシャーです。読み間違いをしないよう一文字一文字に意識を収斂していくことになります。ただ、これは内容の理解までを求めるものではないことに心掛ける必要があります。
その意味では、古来より繰り返されてきた漢文の素読は、この意識開発の大きな手段でもあったと言うことができるかもしれません。テスト力とは実力そのものではなく、実力を100%発揮するための力です。しかし、このテスト力があるかないかで、テストの成績は大きく上下します。その礎となるのが細部への意識なのです。