ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

折々に…

2016年01月15日 | 中学受験 合格力随想

本日で、朝9時開始の直前特訓も無事終了。いよいよ、明日から中学入試期間に突入です。

ということで、今日のお昼は恒例の激励昼食会。アンケートを取ると、お寿司が多かったのですが、こんなところで『当たる』とイケナイので助六と茶わん蒸しにしました。

それにしても、受験時期を迎えると「恒例の…」「恒例の…」といったイベントを頻繁に企画します。子どもたちのモチベーションアップに少しでも繋がればという思いも確かにありますが、近年は違う意味も感じるようになりました。

古来、日本は季節を楽しむ風習があります。近場の季節でも、晦日そば、初詣、七草、十日えびす、鏡開き、成人式、初弘法、初天神、節分、初午…等々。全部が全部、生活の中に組み込んでいるわけではありませんが、皆さんも折々に参加したり、それなりに楽しんでいらっしゃるでしょう。

これは何も日本だけの風潮ではなく、洋の東西を問わずまた然りです。例えば、感謝祭、イースター、謝肉祭、ハロウィン、クリスマス、独立記念日にパリ祭。しかし、日本人は殊更イベント好き、お祭り好きらしく、貪欲に他国の催事を咀嚼吸収していきました。ハロウィン、クリスマス、バレンタインデー、ボージョレ・ヌーボと。一時期、日本人のこんな習性に呆れたり怒ったりしたこともありましたが、近頃はこれはこれでいいのだと思えるようになりました。

日本人はよく控えめなおとなしい民族だと言われます。確かにその通りでしょう。しかし、本来ヒトはサルと別れた時点から自分本位、わがままに生きることを選択した種なのです。したがって、日本人はヒト本来の気楽さを押さえ、日々だいぶムリをして暮らしています。だから、小目標を設定し、そこまで頑張る、そこまで我慢するということを通じて、その民族性を維持しているのではないでしょうか。

ちょうど、竹が、節が有ってこそあのしなりや強靱さを持ちうるように、折々の心躍る催事がヒトにして明日を迎える勇気を与えてくれているような気がするのです。マァ、そんなことは別にして、当塾の折々の「恒例の…」が、少しでも子どもたちの成長の節となり、生きるとき出会う苦しさやつらさに負けないしなやかさや強さに繋がるといいのですが。節目節目の誰かの労りや思いやりは、きっとその子のやさしさや強さに繋がる、と信じています。

直前特訓を終えて全てやり終えました。受験生全員、無事に明日を迎えられることを今はただ祈るだけです。



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