大学生の頃、何人かが下宿に集まって碁盤を囲みケンケン諤々やっていました。私は全然ダメでしたが、小さいときからやっている友達には強い打ち手がいました。正に「一目置く」存在。死んだ駒が生き返る将棋と違って囲碁は刹那的な競技です。生と死が隣り合わせにあり囲んでいるつもりが囲まれていることもしばしば。えもいえぬロマンがありました。単純な白と黒の世界なのに、盤上には無限の宇宙が広がります。武宮正樹の宇宙流は言い得て妙でしょう。
さて、この「一目置く」という表現ですが、ご存じのように実はもともと囲碁にまつわる格言です。
▼「一目置く」……
*囲碁では、レベル差によりあらかじめ石をいくつか置いて始めることがある。(二級差なら二目、三級差なら三目)
*ここから、より能力の高い人に敬意を表して使うようになった。
面白いことに、私達が普段よく耳にしたり、何気なく使っている言葉の中には、囲碁にまつわる格言や慣用句がたくさんあります。
▼黒人(くろうと)・白人(しろうと)、白黒つける……
*碁石の原材料に由来する。元は黒石が那智の黒石、白石が日向の朝鮮ハマグリだった。
*対局の際、昔は強いほうの人が黒石を使っていたので「黒人(くろうと)」とい言うようになった。(今は逆)
*このことから、どちらが強いかはっきりさせることを「白黒つける」という。
※玄人・素人は仏教用語
▼上手(うわて、じょうず)・下手(したて、へた)……
*相対的に強いほうを「うわて」、弱いほうを「したて」とよんだ。
*囲碁の段級位では、7段以上を「じょうず」と呼ぶ。
▼手入れ・手を入れる……
*自分の石を生き残らせるために補修、メンテナンスをすること。
▼手違い……
*手の入れ方をまちがえること→ミスをすること。
▼岡目八目(おかめはちもく)……
*他の対局をはたから眺めていると、自分で打つときより手筋がよく読め、自分が強くなったように感じることがある。
*ここから、当事者よりも関係ない立場の人のほうが、ものごとをよく理解したり判断できることをいうようになった。
*岡の上のような高いところからだと全体がよく見えるから「岡目」。
八目の「八」は、「八百屋」や「八方美人」などの「八」と同じで、「多くの、たくさんの」という意味。
ほかにも「死活問題」、「筋ちがい」、「布石を打つ」、「活路(を見出す)」、「駄目(を押す)」、「定石」、「目算(する)」なども、囲碁にまつわる慣用句です。思いつくままに上げましたが、探せばもっとあるでしょう。
囲碁は私たちにとって、とても身近な存在だったのです。いかに生活の中に根ざしていたかがわかります。遠く平安時代から親しまれ、江戸時代に隆盛期を迎え、広く庶民も嗜むようになっていく囲碁。日本人の感性に合っていたことは、前述の豊富な諸表現からもわかります。
人びとが、生きる上での教訓や精神の深淵を囲碁に見ていたと思うのは、決して大仰ではないはずです。そんなことをつらつら考えながらの、お正月の「お手合わせ」でした。
さて、この「一目置く」という表現ですが、ご存じのように実はもともと囲碁にまつわる格言です。
▼「一目置く」……
*囲碁では、レベル差によりあらかじめ石をいくつか置いて始めることがある。(二級差なら二目、三級差なら三目)
*ここから、より能力の高い人に敬意を表して使うようになった。
面白いことに、私達が普段よく耳にしたり、何気なく使っている言葉の中には、囲碁にまつわる格言や慣用句がたくさんあります。
▼黒人(くろうと)・白人(しろうと)、白黒つける……
*碁石の原材料に由来する。元は黒石が那智の黒石、白石が日向の朝鮮ハマグリだった。
*対局の際、昔は強いほうの人が黒石を使っていたので「黒人(くろうと)」とい言うようになった。(今は逆)
*このことから、どちらが強いかはっきりさせることを「白黒つける」という。
※玄人・素人は仏教用語
▼上手(うわて、じょうず)・下手(したて、へた)……
*相対的に強いほうを「うわて」、弱いほうを「したて」とよんだ。
*囲碁の段級位では、7段以上を「じょうず」と呼ぶ。
▼手入れ・手を入れる……
*自分の石を生き残らせるために補修、メンテナンスをすること。
▼手違い……
*手の入れ方をまちがえること→ミスをすること。
▼岡目八目(おかめはちもく)……
*他の対局をはたから眺めていると、自分で打つときより手筋がよく読め、自分が強くなったように感じることがある。
*ここから、当事者よりも関係ない立場の人のほうが、ものごとをよく理解したり判断できることをいうようになった。
*岡の上のような高いところからだと全体がよく見えるから「岡目」。
八目の「八」は、「八百屋」や「八方美人」などの「八」と同じで、「多くの、たくさんの」という意味。
ほかにも「死活問題」、「筋ちがい」、「布石を打つ」、「活路(を見出す)」、「駄目(を押す)」、「定石」、「目算(する)」なども、囲碁にまつわる慣用句です。思いつくままに上げましたが、探せばもっとあるでしょう。
囲碁は私たちにとって、とても身近な存在だったのです。いかに生活の中に根ざしていたかがわかります。遠く平安時代から親しまれ、江戸時代に隆盛期を迎え、広く庶民も嗜むようになっていく囲碁。日本人の感性に合っていたことは、前述の豊富な諸表現からもわかります。
人びとが、生きる上での教訓や精神の深淵を囲碁に見ていたと思うのは、決して大仰ではないはずです。そんなことをつらつら考えながらの、お正月の「お手合わせ」でした。