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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

探究すること

2009年09月15日 | 中学受験 合格力随想
みなさんは、幼い頃に盛んだった「なぜ?・どうして?」の気持ちをいつまで持っていましたか? 私はいまだにまだ持っているほうだと思います。「探究」と「比較検討」が好きな性分です。禁止事項についても、奨励事項についても、自分自身がトコトン納得したいと思っています。

それが、私の行動原理なのですが、実生活ではあまりしつこいと嫌われるのでホドホドにしています。しかし、自分だけの問題ではその行為と結果の間にある因果関係やしくみをなるべく突き詰めて考えたいと思っています。

世の中には、「…だから、…だ」が細胞レベルや化学反応のレベルで分かるまで、実行する気になれない方もいらっしゃいます。たとえば、こんな方が…。

お子さんを妊娠した時、「カフェインの摂りすぎには気をつけて下さい」とお医者さんに言われました。ここで何の疑問もなく「わかりました。」と言ってその女性は実行できませんでした。説明が足りないと感じて、「なぜか」と聞きました。

「胎児の発育に影響するからです」とお医者さん。その方はここでもまだ満足できません。まだ足りないと思いました。どういう仕組みでどういう影響があるのかが知りたいと考えました。納得いく説明を求めて、自分自身で調べました。

得た答えは、「カフェインが鉄分の吸収を妨げ、胎児への鉄分の供給が少なくなるから」ということ。ここで完了でしょうか。その方は、まだです。カフェインが鉄の吸収を妨げる仕組みまで知りたいと思いました。それから何段階かの疑問→解決の段階を経て、ようやく納得にたどりついたとのことです。

この方はよく「シツコイ」とヒトに言われるそうです。みなさんはどの段階で納得できますか?ちなみに私のシツコイはこれほどではありません(笑)。

調べる過程で、新たな知識が脳にストックされます。さらに考える過程で、ストックした知識を使うことによって物事とその知識の間に神経の結線が生まれます。知識は、そこへ到達する神経回路を結んでやらなければ生かされません。したがって、調べたり考えたりする「探求」という行為は、脳内にその神経回路をたくさん増やすいい機会なのです。

しかし、これは何もH高校の「探究科」にいかなければ出来ないということではありません。ただ少し現実の生活の中で、意識的に疑問を感じるようにすればよいことです。ヒトは疑問を感じると放っておくと不安になる性質を内包しています。捨て置くことが出来ないように出来ています。必ず解答を見つけようともがきます。もし、疑問を感じて放置できるようなら老化が始まっているのです。

私は、子供達の脳が柔軟なこの時期に、出来うる限り回路をたくさん増やし、より物事が深く考えられる人間になるべく、トレーニングするべきだ、考えています。そうすれば、考えることがもっとドンドン楽しくなってくるはずです。


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