日本には一太郎という優れたワープロソフトがあります。しかし、機能的には劣っている(と、私は思います)マイクロソフトのワードに駆逐されてしまいました。私が、パソコンを使い始めた頃はまだ周りに何人も一太郎を使う人がいましたが、今は、1人しかいません。もう、一太郎利用者は『デジタルの化石』です。
一太郎は日本語になじんでいる感じがしますが、ワードは英語のワープロソフトをそのまま日本語に翻訳したような不自然さがあります。しかし、ワードには、同じマイクロソフト社のエクセルやアクセスに連携できるという長所があります。私は、データベースソフトを使う必要がなかったので、一太郎を使い続けましたが、アプリケーションとの連動を必要とした人々は転向していきました。そして、当時少数派だったワード支持者のその後は、マイクロソフトの他のソフトとともに隆盛を迎えました。同じことは、ロータス123とエクセルの関係にも、ネットスケープとインターネットエクスプローラの関係にもあてはまります。
自社製品で世界のすべてをカバーしようとするのは、マイクロソフト社の風土というよりも、アメリカの風土とも言えるものです。マイクロソフト社へのアンチテーゼとして存在するグーグルやアップル社さえグローバルスタンダードを目指します。実はこのことはグローバルスタンダードの普及ではなくアメリカンスタンダードの世界化だと思います。その結果、自社製品、つまり自分の価値観を世界に当てはめたいという勢力と、自分の価値観を自分の世界にとどめておきたいという勢力が対峙することになります。そして、勝利するのは常に世界に広がろうとする側です。アメリカのそんな考えも近ごろのサブプライムローンの破綻に端を発するアメリカ金融恐慌で、多少変化するかなと希望的観測をしてはいますが、やはりアメリカはアメリカでしょう。拡大主義を取っても縮小主義を取ることはありません。開拓時代西へ西へと進んだフロンティア精神そのままにアメリカは存在します。
そんな世界の趨勢を横目に、日本人が知的に優れた民族でありながら、コンピュータに関する分野でどんどん後れを取っていくのは、文字コードが分立しているためというのが大きな理由の一つのようです。日本人がコンピュータの学習を始める場合、日本語の文字コードによるトラブルに必ず遭遇するとのこと。このため、コンピュータの学習の底辺が広がらないのです。
しかし、日本語に関することはやはり日本語を母語とする人の手によって、日本の伝統を尊重しつつ改革されていってほしいと思います。その限りにおいて、一太郎の生存は日本文化の橋頭堡です。一太郎は一太郎であり続けて欲しいものです。たとえ『デジタルの化石』になろうとも…。
PS.勿論、IMEよりATOKが好きです(^-^)/
一太郎は日本語になじんでいる感じがしますが、ワードは英語のワープロソフトをそのまま日本語に翻訳したような不自然さがあります。しかし、ワードには、同じマイクロソフト社のエクセルやアクセスに連携できるという長所があります。私は、データベースソフトを使う必要がなかったので、一太郎を使い続けましたが、アプリケーションとの連動を必要とした人々は転向していきました。そして、当時少数派だったワード支持者のその後は、マイクロソフトの他のソフトとともに隆盛を迎えました。同じことは、ロータス123とエクセルの関係にも、ネットスケープとインターネットエクスプローラの関係にもあてはまります。
自社製品で世界のすべてをカバーしようとするのは、マイクロソフト社の風土というよりも、アメリカの風土とも言えるものです。マイクロソフト社へのアンチテーゼとして存在するグーグルやアップル社さえグローバルスタンダードを目指します。実はこのことはグローバルスタンダードの普及ではなくアメリカンスタンダードの世界化だと思います。その結果、自社製品、つまり自分の価値観を世界に当てはめたいという勢力と、自分の価値観を自分の世界にとどめておきたいという勢力が対峙することになります。そして、勝利するのは常に世界に広がろうとする側です。アメリカのそんな考えも近ごろのサブプライムローンの破綻に端を発するアメリカ金融恐慌で、多少変化するかなと希望的観測をしてはいますが、やはりアメリカはアメリカでしょう。拡大主義を取っても縮小主義を取ることはありません。開拓時代西へ西へと進んだフロンティア精神そのままにアメリカは存在します。
そんな世界の趨勢を横目に、日本人が知的に優れた民族でありながら、コンピュータに関する分野でどんどん後れを取っていくのは、文字コードが分立しているためというのが大きな理由の一つのようです。日本人がコンピュータの学習を始める場合、日本語の文字コードによるトラブルに必ず遭遇するとのこと。このため、コンピュータの学習の底辺が広がらないのです。
しかし、日本語に関することはやはり日本語を母語とする人の手によって、日本の伝統を尊重しつつ改革されていってほしいと思います。その限りにおいて、一太郎の生存は日本文化の橋頭堡です。一太郎は一太郎であり続けて欲しいものです。たとえ『デジタルの化石』になろうとも…。
PS.勿論、IMEよりATOKが好きです(^-^)/