知人にダジャレをギャグにしている人がいます。その人のダジャレを聞くと、オモロイときもありますが、腰砕けになるような気分で、正直笑うに笑えないときもあります。ダジャレの「ダ」は「駄」。無駄・駄作・駄目などの言葉が連想できるように、「つまらない・取るに足らない」などの意味があります。そのせいか、ダジャレは嫌われたり、格が下がると思われたりすることが多いようです。
荻野アンナという作家がいます。この人は、作品よりも「ダジャレ好き」の方が有名で、そのせいで不当に評価を下げているかもしれません。1991年に『背負い水』という作品で芥川賞を受賞しましたが、この受賞を電話で受けた時の答えが「あ、しょう(そう)」。他にも、テレビのコメンテーターとしてよく登場するデーブ・スペクターも、ダジャレを連発しています。もう「デーブのダジャレ」というネタにもなっているようです。
しかし、ダジャレは本当にバカバカしい格が下がるものかというと、そうともいえません。まず、語彙が豊富でなければ思いつきません。言葉の音と意味に通じていて、人が思いつかないような組み合わせを考えられる、頭の柔軟さが必要です。それに、回転の速さ。これらが揃わないと、ダジャレは成立しません。デーブ・スペクターはアメリカ人。その彼が日本語でダジャレを言うのですから、日々の努力は並大抵のものではないでしょう。今も、1日に3~5個の日本語を新たに覚えることを続けているそうです。
古くから、日本語には言葉遊びの要素をもった修辞法がありました。古文の中の和歌にある『掛詞(かけことば)』はその最たるものです。「松と待つ」などは、私たちでもすぐに思いつきますが、平安人の感性はもっと研ぎ澄まされています。「大江山 生野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立(小式部内侍)」などはあまりに有名です。『掛詞』というダジャレを使って、和歌の意味をより深く理解することは、日本人が本来持つ心象風景の理解に繋がります。
現代詩の世界でも、ダジャレ好きな人がいます。谷川俊太郎です。「ことばあそびうた」の中の「イルカいないか、いないかイルカ」はあまりにも有名です。あの詩を声を出して読んでいると、ワクワクしてくるから不思議です。お子さんの中には、「ダジャレ苦手」とか「好きじゃない」と思っている人がいるかもしれませんが、あまり難しく考えず、言葉遊びだと思って気軽に接していただければと思います。「こんなのカッコ悪い」「下品」と思う必要もありません。おもしろいと思った感性を大事にして欲しいのです。
故郷の友達のダジャレを一つご披露します。「ストーカーすっとか?」ストーカーは犯罪ですが、「すっとか」という九州弁を使ったところに、笑いを生むひねりがあると考えるのは私だけでしょうか。
……でも、文字にするとあんまり面白くありませんね。言葉は会話の中でこそイキイキと輝くことの証左かもしれません。
荻野アンナという作家がいます。この人は、作品よりも「ダジャレ好き」の方が有名で、そのせいで不当に評価を下げているかもしれません。1991年に『背負い水』という作品で芥川賞を受賞しましたが、この受賞を電話で受けた時の答えが「あ、しょう(そう)」。他にも、テレビのコメンテーターとしてよく登場するデーブ・スペクターも、ダジャレを連発しています。もう「デーブのダジャレ」というネタにもなっているようです。
しかし、ダジャレは本当にバカバカしい格が下がるものかというと、そうともいえません。まず、語彙が豊富でなければ思いつきません。言葉の音と意味に通じていて、人が思いつかないような組み合わせを考えられる、頭の柔軟さが必要です。それに、回転の速さ。これらが揃わないと、ダジャレは成立しません。デーブ・スペクターはアメリカ人。その彼が日本語でダジャレを言うのですから、日々の努力は並大抵のものではないでしょう。今も、1日に3~5個の日本語を新たに覚えることを続けているそうです。
古くから、日本語には言葉遊びの要素をもった修辞法がありました。古文の中の和歌にある『掛詞(かけことば)』はその最たるものです。「松と待つ」などは、私たちでもすぐに思いつきますが、平安人の感性はもっと研ぎ澄まされています。「大江山 生野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立(小式部内侍)」などはあまりに有名です。『掛詞』というダジャレを使って、和歌の意味をより深く理解することは、日本人が本来持つ心象風景の理解に繋がります。
現代詩の世界でも、ダジャレ好きな人がいます。谷川俊太郎です。「ことばあそびうた」の中の「イルカいないか、いないかイルカ」はあまりにも有名です。あの詩を声を出して読んでいると、ワクワクしてくるから不思議です。お子さんの中には、「ダジャレ苦手」とか「好きじゃない」と思っている人がいるかもしれませんが、あまり難しく考えず、言葉遊びだと思って気軽に接していただければと思います。「こんなのカッコ悪い」「下品」と思う必要もありません。おもしろいと思った感性を大事にして欲しいのです。
故郷の友達のダジャレを一つご披露します。「ストーカーすっとか?」ストーカーは犯罪ですが、「すっとか」という九州弁を使ったところに、笑いを生むひねりがあると考えるのは私だけでしょうか。
……でも、文字にするとあんまり面白くありませんね。言葉は会話の中でこそイキイキと輝くことの証左かもしれません。