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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

ともだちって…

2009年12月31日 | 中学受験 行雲流水録
ともだち、といったときに、誰を思い浮かべますか。同級生だった誰かでしょうか。ひとりですか。たくさんですか。

私は小さい頃、ともだちがあまりいなかったような気がします。幼稚園の途中から引っ越してきたので、小学校に入学したとき、級友たちには小さい時からの友人がいましたが、私はただ話をするぐらいで、本当に仲の良い友人はなかったような…。


   『ともだち』 谷川俊太郎(原文はすべてひらがなではないかもしれません)


 ともだちって

 ともだちって かぜがうつっても へいきだって いってくれるひと。

 ともだちって いっしょに かえりたくなるひと。

 ともだちって おかあさんやおとうさんにもいえないことを そうだんできるひと。

 ともだちって みんながいっちゃったあとも まっててくれるひと。

 ともだちって そばにいないときにも いま どうしてるかなって おもいだすひと。

  (略 このあと、まだずっとすてきなことばがつづきます。)


大きくなってこの詩に出会ったとき、小学生の私に「寂しかったね、でも、大丈夫だよ」と言って貰ったような気がしました。当時知っていたら、もっとどんなにホッし、勇気づけられたことでしょう。友達は数ではないのだ、と…。詩には人の心を豊かにしていく言葉の力を感じます。

しかし、大人になった今、また、新たな考えも生まれています。「何もかも打ち明けられるのが果たしてともだちなのだろうか。」と…。また、「ともだちはいなくっても大丈夫。それは、べつにいけないことじゃない。」とも。なんだか不思議な気持ちです。

そう思い始めてからは、「小さいとき友だちがいなかったのだ」という負の意識から、開放されふうっと楽になりました。自然に自分らしくあったらいいのだと思えています。○○さんはともだちで、△△さんはともだちじゃない、というふうにいちいち考えなくなりました。今思う、私にとってのともだちとは…。

「私のダサいところを見られても、まあいいか、と思える相手。」

「私と考えがちがっても、それをきいて、うんうん、そういう考えもある、と思える相手。」

「仮に、私から何かを上げるばかりでも、損した、と感じない相手。」

「何年ぶりに会っても、いつ会っても、楽に会える相手。」 

そんな感じでしょうか。

ともだちは自然に増えていきます。ときには、会ったばかりの人がともだちになることもあります。これから成長していく皆さんも安心して、あわてず今のあなたのままでいて欲しいと思います。つくらず、飾らず、巧まずして得た友こそ一生の宝なのですから。

それで、たいてい、じゅうぶん、だいじょうぶ、なのです。

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今年は今回で終わりです。
拙い文に一年間お付き合いいただいて、有り難うございました。
来年も、皆様方全てに希望の光が降り注ぐことをお祈りして、本年の終わりといたします。


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