『「落書きをなんとかやめさせたい」との願いを込めて描かれた東京・渋谷の「壁画アート」が無残にも汚された』という記事が読売オンライン(2007年7月31日)に載っていました。
みなさんは、スプレーのペンキで乱暴に描かれた落書きを見たことがあるでしょうか。公園の壁や橋の下・商店のシャッターなどに吹き付けられていて、この辺りには悪い人がいるのだなと、怖いイメージを持ってしまいます。そのおびただしい落書きに埋め尽くされていた渋谷の高架下に「春の小川」をテーマにした壁画を描いたのは、今年3月のことだそうです。美しく整えられたところに落書きなんてする気が起こらない、『ニューヨークの窓ガラス効果』という心理効果を狙ってのことなのでしょう。
ところが、『7月11日、黒やシルバーのスプレー缶で、アルファベット文字などが落書きされていたのが見つかった』というのです。
心ない犯人に対し、みなさんだったらどういう対応をしますか? 「落書き禁止!」という張り紙をする……見張りを立てて犯人を捕まえる……犯人を捕まえて罰金をとる……(実際に、所有者に許可を取っていない落書きは器物破損の罪にあたります)。しかしこの記事は、「壁画アート」運営実行委員長の『「地域の人たちの気持ちを踏みにじる行為だが、今度は、もっときれいにすればいい」』という言葉でしめくくられていました。
犯人をこらしめるのではなく、わからないのならもっときれいにするという解決法。「私たちはこの場所をいつも見ていて、きれいにしていたいんだ」というメッセージは、騒がず静かに、絵を見る誰もに伝わります。お店などにあるトイレで、「いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます」という張り紙を見ることがあります。こう言われると、気持ちよく「きれいに使おう」と心がけることができます。ところが、この張り紙が「トイレはきれいに!」などとう命令調だったら、「私は汚してなんかいないのに、なんだ」と、ちょっと反発したくなってしまいます。だいたい、そういう張り紙のあるトイレはあまりきれいではありません。
大音量でやって来る選挙カーに耳をふさいだことはありませんか? 混雑したイベント会場の係員が大声で指示を出せば出すほど、その場が混乱したということはないでしょうか。歌舞伎では休憩後の幕が上がったとき、まだ客席がざわついている時、舞台上の役者さんは芝居を始めますが、その声をとても小さくするとのこと。この訳は、小さな声で芝居をするとお客さんが「何を言っているんだろう」としゃべるのをやめて耳をすますので、それを狙っているのだそうです。
伝えたいことがあるときに、がなり立てるだけでは届かない場合があります。イライラして大声になったり強く注意をしたり、果てには相手をこらしめなくては気がすまなくなったりします。そして残るのはお互いを悪く思う気もちです。正しいことを言っているのに伝わらないのは、なぜでしょう。それは、自分の言いたいことだけを押しつけているからではないでしょうか。相手の心理を考えていないのです。
モーリス・ドリュオンの「みどりのゆび」で、自分に 花を咲かせる不思議な能力があることを知った男の子が最初に起こした奇跡は、刑務所を花でいっぱいにすることでした。鉄格子の向こうの汚い刑務所と囚人達。『あんなにしておいたら、囚人たちはりっぱな人にはならないだろうな、ぼくだったら、あそこにとじこめられたら、たとえわるいことはなにもしなくても、しまいにはきっととてもいじわるな人間になってしまう』(岩波少年文庫・安東次郎 訳)
花でいっぱいになった刑務所で囚人達と塀の外の人たちはどうなったでしょうか。興味のある人は読んでみてください。花は「悪いことはやめろ!」とは言いません。けれど、心に何かを芽生えさせます。渋谷の花の壁画も、スプレーを持った落書魔の心に何かを伝えるでしょう。伝えたいことを押しつけるだけではない表現というものも、あるのです。
みなさんは、スプレーのペンキで乱暴に描かれた落書きを見たことがあるでしょうか。公園の壁や橋の下・商店のシャッターなどに吹き付けられていて、この辺りには悪い人がいるのだなと、怖いイメージを持ってしまいます。そのおびただしい落書きに埋め尽くされていた渋谷の高架下に「春の小川」をテーマにした壁画を描いたのは、今年3月のことだそうです。美しく整えられたところに落書きなんてする気が起こらない、『ニューヨークの窓ガラス効果』という心理効果を狙ってのことなのでしょう。
ところが、『7月11日、黒やシルバーのスプレー缶で、アルファベット文字などが落書きされていたのが見つかった』というのです。
心ない犯人に対し、みなさんだったらどういう対応をしますか? 「落書き禁止!」という張り紙をする……見張りを立てて犯人を捕まえる……犯人を捕まえて罰金をとる……(実際に、所有者に許可を取っていない落書きは器物破損の罪にあたります)。しかしこの記事は、「壁画アート」運営実行委員長の『「地域の人たちの気持ちを踏みにじる行為だが、今度は、もっときれいにすればいい」』という言葉でしめくくられていました。
犯人をこらしめるのではなく、わからないのならもっときれいにするという解決法。「私たちはこの場所をいつも見ていて、きれいにしていたいんだ」というメッセージは、騒がず静かに、絵を見る誰もに伝わります。お店などにあるトイレで、「いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます」という張り紙を見ることがあります。こう言われると、気持ちよく「きれいに使おう」と心がけることができます。ところが、この張り紙が「トイレはきれいに!」などとう命令調だったら、「私は汚してなんかいないのに、なんだ」と、ちょっと反発したくなってしまいます。だいたい、そういう張り紙のあるトイレはあまりきれいではありません。
大音量でやって来る選挙カーに耳をふさいだことはありませんか? 混雑したイベント会場の係員が大声で指示を出せば出すほど、その場が混乱したということはないでしょうか。歌舞伎では休憩後の幕が上がったとき、まだ客席がざわついている時、舞台上の役者さんは芝居を始めますが、その声をとても小さくするとのこと。この訳は、小さな声で芝居をするとお客さんが「何を言っているんだろう」としゃべるのをやめて耳をすますので、それを狙っているのだそうです。
伝えたいことがあるときに、がなり立てるだけでは届かない場合があります。イライラして大声になったり強く注意をしたり、果てには相手をこらしめなくては気がすまなくなったりします。そして残るのはお互いを悪く思う気もちです。正しいことを言っているのに伝わらないのは、なぜでしょう。それは、自分の言いたいことだけを押しつけているからではないでしょうか。相手の心理を考えていないのです。
モーリス・ドリュオンの「みどりのゆび」で、自分に 花を咲かせる不思議な能力があることを知った男の子が最初に起こした奇跡は、刑務所を花でいっぱいにすることでした。鉄格子の向こうの汚い刑務所と囚人達。『あんなにしておいたら、囚人たちはりっぱな人にはならないだろうな、ぼくだったら、あそこにとじこめられたら、たとえわるいことはなにもしなくても、しまいにはきっととてもいじわるな人間になってしまう』(岩波少年文庫・安東次郎 訳)
花でいっぱいになった刑務所で囚人達と塀の外の人たちはどうなったでしょうか。興味のある人は読んでみてください。花は「悪いことはやめろ!」とは言いません。けれど、心に何かを芽生えさせます。渋谷の花の壁画も、スプレーを持った落書魔の心に何かを伝えるでしょう。伝えたいことを押しつけるだけではない表現というものも、あるのです。