人間が大きく成長するには、生涯の一時期読書に没頭するような日々を送ることが必要なようです。勝海舟は自伝の中で、数年間閉門を命ぜられときに、多くの本を読んだと述懐しています。
私立中学合格時、いったん教室を退会し、ある程度の期間を経て再開する子がいます。ここでよく見ていると、その再開したときに学年相応に考えが深くなっている子と、身体や知識だけが成長している子の二通りがあるようです。 この差がどこから生まれるのか考えてみると、休止期間中の読書をする時間数によるのではないかと思われます。
現在の学校教育の試験制度のもとでは、英数国理社の学習をすることが人間の成長につながるような評価がされています。もちろんそれらの知識や技能は必要ですが、学習だけに追われて読書をしないと、かえって頭が悪くなっていくのではないかと私は思っています。
小学校低学年の生徒で、家庭で行う学習は、学校の宿題と何かのドリルだけというような生活を送っている子も多いと思います。その学習が終わったあとはテレビとゲームを制限なくやっているという子もいます。そのために、学年が上がると習い事や塾に行かせるようになるのだと思いますが、学習だけをしていても頭はよくなりません。家庭での読書と対話の時間が確保できなければ、子供の思考力は成長しません。語弊を恐れずに言えば、読むことによって頭はよくなるのです。
家庭生活で読む時間を確保するためにまず大事なことは、テレビやゲームの時間を制限することです。長い休みのときなどで、テレビやゲームの時間を制限しきれない場合は、読書とセットでテレビやゲームの時間を設定するように工夫するべきです。 テレビやゲームなどの受動的な娯楽も、制限時間の範囲でやれば問題はありません。そして、制限があれば、子供たちは自然に自分でもっと創造的な遊びを開発していきます。木の切れ端だけでも、紙と鉛筆だけでも、いくらでも熱中できる遊びは見つけられるのです。
子供たちが家庭でテレビを受身的にいつまでも見てしまうのは、保護者の方が仕事から帰ってやはりそのように受身でテレビで見てしまう生活を送っているからだという見解があります。 仕事をしてくたびれて帰ってきたので、横になってテレビをのんびり見る、というのは一見よくある休息のパターンですが、そういう形以外の休息もあります。仕事をしてくたびれたので、自分の好きな趣味をして休息するとか、ランニングをして休息するとか、読書をして休息するという人もいます。
子供たちも同じです、英語の学習にくたびれたら、数学の学習をして休息し、数学の学習にくたびれたら、読書をして休息するという子もいます。遊んだり休んだりすることだけが休息ではないのです。
生活習慣を作るには、保護者の方の働きかけが必要です。いや、働きかけというよりも自ら行動することが大事でしょう。「本を読め読め」とおっしゃるだけのご家庭の子供たちほどほとんど本を読まない、という笑い話みたいな話しもあります。
現代生活の中では、テレビやゲームや塾や習い事によって、ご家庭ごとの独自の文化が失われがちです。夕食が終わったら、読書と対話の時間があるという家庭生活を作ることができれば、その文化は子供たちが成長したときにも引き継いでいくことができます。
そのためには、保護者の方が、学校での学習よりもむしろ、家庭での読書や対話によって人間は成長するのだということをしっかり確信し、自ら積極的にそのような時間をつくる必要があるのです。