『まずはやってみよう』。私が何か行動するときに思う言葉です。いい加減に聞こえるかもしれませんが、この言葉のおかげで今までたくさんの楽しみを見つけてきました。頭でぐるぐる考えていても答えが見つかることはほとんどありません。未来なんてだれにも分かりません。ならば、「『まずはやってみよう』。いつもそう考えることにしています。亡くなったサントリーの社長・佐治敬三さんの口癖も『やってみなはれ』でした。
しかし、この『まずはやってみよう』という精神性は、維持し続けることが意外に難しいようです。子どもたちは算数を解きながらいつも「○○ってこれ以上約分できへんのぉ?」とか「ナァーここ、この数字で合うてる?」などと聞いてきます。毎日のように、「手動かさなアカンで」「書いてみて間違っていたら直したらええねん」といわれていてもこうです。『まずはやってみる』というこんな楽しいことをしない手はないのに、その手前で止まってしまいます。「もったいないなあ」と思わずいってしまいます。答えに到達するまでの道のりが楽しいし、自分で導き出すことが面白い、はずなのに、答えがあっていることの方が大切だと思うなんて悲しいことだと思いませんか? 答えなんてしょせん数字そのものです。数字を当てるだけのゲームなど運がよければそれでオーライ。自分の能力なんて関係ないのです。本当にもったいないことです。
以前にも述べていますが、国際学習到達度調査(PISA)の結果において、日本の順位が著しく低下していることはみなさんご存知のとおりです。日本の学生を困らせた問題はそれほど難しものなのか、と問題例を見てみるとなんのことはない、「自分の考えを書く」というものでした。科学的応用力の問題の一部をみると二つのグラフを比べて二人の意見が出されます。なぜそのような意見が出るのか、を問う問題が二問、三問目の答えは「だれも正しい答えが分かっていない」ことを答えさせるものです。問題文が多少難しく書かれていますが、かいつまんで説明すれば小学生でも答えることの出来る問題です。それが正答率、17.6% OECD平均18.9%よりも劣っているというのですから驚きます。
原因の一つが正しい答えを出すことを『学習』と位置づけた考え方にあることは明らかです。「まずは答えてみる」、本当はこの部分に重きを置かなければならないはずです。この世の中で、きれいにスーと「正しい答え」が出せることなどほとんどありません。「ああでもない、こうでもない」を繰り返し、出た結果がついにというか、後で検証してみると「正しかった」ということの方がほとんどです。そして、この試行錯誤…「ああでもない、こうでもない」の部分があるからこそヒトは成長することができるのです。
頭の中で考え続けても答えなんて出てきません。まずは鉛筆を持って書いてみましょう。頭の中で考えていたときにはつかみどころのない大きなもやもやだったものが、形となる喜びを感じて欲しいと思います。作文や感想文だってそうです。正しい答えを書こうとするから、話がおかしくなるのだと思います。正しい答えなんてありません。筆者が言っていることに沿って書こうとするから難しく感じるのです。文作において大切なことは「自分の感じたこと」を書くことのみです。それがたとえ世間の考えとは違っていてもあまり気にする必要はありません。学力到達度調査のテスト内容で分かるように、今、世界で求められている能力は、自分の考えをしっかりと示す力なのです。算数も然り、文章題が苦手という前に線図を書いてみる、面積図に直してみる、進行グラフを作る。図形がちょっとというアナタは、与えられた条件を全て図に記入してみる、補助線をいろいろ入れてみる。やることは沢山あるはずです。
『まずはやってみよう』失敗なんて気にしなくていいのです。やってみた結果の失敗なんてたいしたことはありません。『やってみた』ことからどんな世界が広がるかということの方がずっと大切です。そして、ずっと面白いことです。アルゴでは、広報用封筒の裏面に『失敗は、成功の反対ではありません。失敗は、成功への途上にある障害にすぎません。取り除けば成功への視界が開けます。成功の反対は、ただ座して何も為さないことです。』という文言を印刷し、お渡ししています。中学受験を目指す保護者の方にまず、何ごとにも怯まぬ強い意志をお持ちいただきたいからです。今、子どもたちにも、失敗を恐れない心が求められています。
しかし、この『まずはやってみよう』という精神性は、維持し続けることが意外に難しいようです。子どもたちは算数を解きながらいつも「○○ってこれ以上約分できへんのぉ?」とか「ナァーここ、この数字で合うてる?」などと聞いてきます。毎日のように、「手動かさなアカンで」「書いてみて間違っていたら直したらええねん」といわれていてもこうです。『まずはやってみる』というこんな楽しいことをしない手はないのに、その手前で止まってしまいます。「もったいないなあ」と思わずいってしまいます。答えに到達するまでの道のりが楽しいし、自分で導き出すことが面白い、はずなのに、答えがあっていることの方が大切だと思うなんて悲しいことだと思いませんか? 答えなんてしょせん数字そのものです。数字を当てるだけのゲームなど運がよければそれでオーライ。自分の能力なんて関係ないのです。本当にもったいないことです。
以前にも述べていますが、国際学習到達度調査(PISA)の結果において、日本の順位が著しく低下していることはみなさんご存知のとおりです。日本の学生を困らせた問題はそれほど難しものなのか、と問題例を見てみるとなんのことはない、「自分の考えを書く」というものでした。科学的応用力の問題の一部をみると二つのグラフを比べて二人の意見が出されます。なぜそのような意見が出るのか、を問う問題が二問、三問目の答えは「だれも正しい答えが分かっていない」ことを答えさせるものです。問題文が多少難しく書かれていますが、かいつまんで説明すれば小学生でも答えることの出来る問題です。それが正答率、17.6% OECD平均18.9%よりも劣っているというのですから驚きます。
原因の一つが正しい答えを出すことを『学習』と位置づけた考え方にあることは明らかです。「まずは答えてみる」、本当はこの部分に重きを置かなければならないはずです。この世の中で、きれいにスーと「正しい答え」が出せることなどほとんどありません。「ああでもない、こうでもない」を繰り返し、出た結果がついにというか、後で検証してみると「正しかった」ということの方がほとんどです。そして、この試行錯誤…「ああでもない、こうでもない」の部分があるからこそヒトは成長することができるのです。
頭の中で考え続けても答えなんて出てきません。まずは鉛筆を持って書いてみましょう。頭の中で考えていたときにはつかみどころのない大きなもやもやだったものが、形となる喜びを感じて欲しいと思います。作文や感想文だってそうです。正しい答えを書こうとするから、話がおかしくなるのだと思います。正しい答えなんてありません。筆者が言っていることに沿って書こうとするから難しく感じるのです。文作において大切なことは「自分の感じたこと」を書くことのみです。それがたとえ世間の考えとは違っていてもあまり気にする必要はありません。学力到達度調査のテスト内容で分かるように、今、世界で求められている能力は、自分の考えをしっかりと示す力なのです。算数も然り、文章題が苦手という前に線図を書いてみる、面積図に直してみる、進行グラフを作る。図形がちょっとというアナタは、与えられた条件を全て図に記入してみる、補助線をいろいろ入れてみる。やることは沢山あるはずです。
『まずはやってみよう』失敗なんて気にしなくていいのです。やってみた結果の失敗なんてたいしたことはありません。『やってみた』ことからどんな世界が広がるかということの方がずっと大切です。そして、ずっと面白いことです。アルゴでは、広報用封筒の裏面に『失敗は、成功の反対ではありません。失敗は、成功への途上にある障害にすぎません。取り除けば成功への視界が開けます。成功の反対は、ただ座して何も為さないことです。』という文言を印刷し、お渡ししています。中学受験を目指す保護者の方にまず、何ごとにも怯まぬ強い意志をお持ちいただきたいからです。今、子どもたちにも、失敗を恐れない心が求められています。