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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

外化

2009年12月08日 | 中学受験 合格力随想
読書をしていると、分からない語に出くわすことがあります。読めないだけなら読みとばして文章の大意をつかめばいいと思うのですが、日本人でありながら(しかも私の場合、けっこう年を喰った)日本語が分からないなんて、自分が許せない気持ちになって辞書をひきます。

難解な漢字や、故事に基づく言葉がわからなかった場合は、日本語とはなんと奥の深いすばらしいものであることか、と感嘆することで自分の不勉強を慰めて、反省すればいいのですが、このごろ遭遇する「わからない」は、そのような難しく画数の多い漢語ではなく、まったく新しく出会う語であることが増えました。

「外化」という言葉に出会いました。「労働は人間精神の、身体を介してのモノや行動への外化・表出形態の一つである」という一節を読んだ時のことです。まず、これは「そとか」なのか「がいか」なのか。辞書をひくと、そもそも「そとか」という言葉が見当たりませんし、熟語的な読み方から察しても「がいか」のようです。「がいか」に対しては、「外貨・凱歌・崖下・蓋果」などが該当してきます。つまり、「外化」は辞書にないのです。

「外」も「化」も、難しい文字ではありません。雰囲気で、なんとなく意味もわかるような気がします。でも、それで済ませるわけにはいきません。言葉の用例を拾っていくうちに「外化」とは「認知科学」の分野で使われる言葉なのだとわかりました。ですから、認知科学、発達心理学といった分野に関心のある人にとっては、普通の言葉だったのかもしれません。では一体、認知科学とはなんなのか、私の素人行脚はまだまだ続くのですが、ここでは、やっとわかった「外化」の意味をお話したいと思います。

それは、「自分の考えを他者に説明するために文章を書いたり、図を作ったりして理解の過程を見えるようにすること」、を意味します。さらには、「外化」には、自分の考えをより深める効果があることがわかりました。

普通、私たちが自分の頭の中でだけ考えている間は、いいアイデアがあっても、なかなか具体的な成功まで見えてこないものです。それはただただ考えを一面的に観ているため、問題点もその解決策も見えないからです。そこで、アイデアの種から、文章にして書いていきます。はじめはメモのようなものでも、そこに「これもある、あれもある」といろいろな書き加えが生じてきます。

このとき私たちは、自分の考えに対して、さまざまな角度から吟味し批評していることになります。ひとりでアイデアの検討会を開いているような感じです。独りよがりだったものが、しだいに洗練されて、人に伝わる力を持つようになります。これは、算数でいえば、図表を書いて考えることでうまく解答に導かれることと同じです。

作文を書くことも、この「外化」のひとつだと思います。ひとつの思いや意見について、どうすれば他人に伝わるか、設計図をひいて考えていくのです。もちろん最初は、この自問自答の道筋のつけ方、つまり設計図のかき方に手間取ってしまうでしょう。作文が苦手というのは、この段階のもどかしさにあるのかもしれません。

考えることはとても大事なことです。それを外化することで、さらに成長できます。「外化」という言葉のおかげで、何のために具象化するのかすっきりしてきました。


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