福岡で高校のクラス会がありました。仕事の都合もあり、出席者はクラスの半数程でしたが、楽しいひとときを過ごすことができました。中には卒業以来会えなかった人もいて、懐かしいやら、うれしいやら…。
それにも増して、どんなことにおいても、無事に完結するまでの担当者の苦労が並大抵ではないことを思えば、笑顔のうちに散会した幹事諸氏にあらためて感謝です。ただ、度々の打ち合わせ会毎に増え続ける酒量にだけは、気をつけていただきたいと思います。各々語ることのない苦労はあろうとも、37年の歳月を越えて出会うことの意義を感じつつ、微笑むみんなの笑顔が潤んでぼやけるなにものにも代え難い時間でした。みなさん、ありがとう。
次の日は、島に渡り生家や親戚の墓参などをして、午後5時発の船で島を離れました。母が亡くなって20年余り、人の住まなくなった家が朽ち果てていくのは速いものです。秋の気配と共に世の無常を感じさせる裏庭の伸びに伸びた名も知らぬ草たち。常ならぬからこそ、今を真摯に生きなければならないと言っているようです。
その後、博多発午後7時30分の『のぞみ』で帰路に就き、京都着は午後10時14分。僅か2時間44分の旅でした。以前は、新幹線でも4時間ほど掛かっていましたから、隔世の感があります。受験に関西へ赴くとき、新幹線はまだ岡山までしか通じていず、乗り換えを不安に思った私は、多分『あかつき』だと思うのですが、ブルートレインで京都まで行ったことを覚えています。今は、その『あかつき』も廃止され、ブルートレイン自体死語になりつつあります。
この37年の時間の流れの中で、深夜10時間の3段ベットの大移動が僅か3時間弱の快適な旅になりました。そして、私たちはたくさんの恩恵を手にしています。しかし、その反面失ったものも沢山あるでしょう。別に懐古趣味ではありませんが、あんなときもあった、こんなこともあったと思い出すことだけでも、日々の忙しさに流され、ろくに振り返ることもなく過ごす自己の今を見つめ直す、良い機会となりました。まさにこの2日間は、過去と今を繋ぐ私の時間旅行だったのです。
今は、別れるときの友との京都での再開の約束が、ただ果たされんことを願うばかりです。