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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

塾とテレビが奪うもの

2011年10月10日 | 中学受験 合格力随想

「勉強脳をしつける勉強法」の著者石田勝紀氏は、大学受験の浪人時代に、それまで読まなかった難しい本を読むようになると、40ぐらいだった国語の偏差値が20以上アップした、と述べています。また、国語の成績が上がるのと並行して、英語や数学も学習を特にしたわけでもないのに成績が上がったという体験談を書いています。

私も、高校生のとき、漢文に興味を持ったことをきっかけに、中国古典文学大系で「三国志演義」や「水滸伝」を原書に近い形で読んでいくと、不思議なことに国語の点数そのものが上がったという経験があります。これらの本は、原文と訳文が対比して書いてあり直訳に近いため、脚注や文末の注釈を首っ引きで見ながら読んだ覚えがあります。言うなれば、今はやりのライトノベルの対極にある読書です。自分自身ではそういう文章を読んだからこそ、読解力が伸びたのではないかと思っています。

浪人時代に難しい本を読むことによって国語の成績が上がったという石田氏は、自分の経験から、難しい内容の文章をやさしく解説することによって子供たちの読む力がつくのではと考えました。そこで、子供たちに、わかりやすい解説をすることによって難しい本を面白く読めるようにするという形の学習を進めたそうです。この難しい内容のものをやさしく解説するということは、本来、その役割をもっぱら各々のご家庭が果たされてきたことです。

全国の学力テストで、学力の高い県を調べてみると、意外なことに通塾が盛んでないところほど全体の学力が高い傾向にあるとのことです。つまり、家庭生活の中での文化的な力が、学力の土台になっているのではないかと思われるのです。家庭の中で、難しい話を子供の理解力に応じてわかりやすく説明するような機会があれば、子供たちの学力は向上します。学力は、問題集を解くような形の学習によってではなく、家族の知的で楽しい対話の中でこそ身に着いていくのです。

昔、といっても四、五十年前ですが、そのころは今ほど家庭にテレビがなかったので、1台のラジオを家族全員が聞いて、そのあと家族でおしゃべりをするというような生活がありました。ところが、今は、テレビが茶の間を占領していてそのテレビを見るだけで家族の団欒の時間が済んでしまうようなところがあります。極端なときには、各人一台のテレビがあり、それぞれがみたいものを見て、何も関わらず一日終わりというご家庭もあるようです。家庭の文化の代わりにテレビの文化が日本の社会に広がっているのです。さらに、その傾向にパソコンとインターネットの普及が拍車をかけています。

テレビの問題点は、惰性で見てしまいがちなところにあります。ニュースや何かの番組が終わったあと、考えたり話し合ったりする時間がなく、すぐに次の画面が始まりその画面に流されていきます。読書では、深い読み方をしているときは、途中で本をたたんで数分考えてからまた読み出すという読み方をします。そういう考える時間が取れないというのがテレビの弱点です。

家庭での文化力を高めるためには、テレビに流されない家庭生活が大事ですが、それと同時に、塾を運営するものがこんなことを言うのも変なのですが、塾に流されない家庭生活ということをもっと考えていいのではないかと思います。子供が小学校低中学年のころは、だいたい習い事に行っても帰りが早いので、夕方の食事の時間は家族の団欒の時間として過ごすことができます。ところが子供が成長して塾の帰りが遅くなると、夕方の家族の対話の時間が少なくなっていきます。また、家庭生活のパターンが塾に行く曜日によって異なるようになると、対話の時間を意図的につくる取り組みが必要になります。

さらに、毎日の自習の習慣を夕方の時間に当てていた場合、塾のある日には自習ができないというになります。すると、どうせ週に何回かはできないのなら毎日やること自体が無理だから、毎日の自習もできなくて仕方ないということになってしまいます。こうならないようにするためには、低学年のうちから、朝起きてすぐに毎日の自習をするという習慣を作っておくことです。こうすることで、多少なりとも対話する時間の確保にも繋がっていきます。

対話の習慣をつけるためには、休日に、食卓の話題としてテレビに流されない会話をするというスタイルを確立していく必要があります。そして、その前提が大きな声の挨拶にあることは案外見落としがちなことです。



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